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分からせシリーズ

浮気を疑ってしまう彼を分からせてみた。

作者: 入多麗夜
掲載日:2026/08/22

 この国では、王都を中心に多くの貴族家がそれぞれの領地を治めている。王都に近い家ほど舞踏会や茶会といった社交の機会も多く、そこで他家との関係を築き、時には縁談や商談をまとめることも珍しくない。一方で、国土の北端に近い地域ともなれば事情は少し違った。冬になれば深い雪に閉ざされ、王都までは何日もかかる。華やかな社交よりも領地経営を優先する貴族も多く、王都では滅多に姿を見せない家もある。


 クライゼン家も、そんな北国を治める領主家の一つだった。当主であるローゼン・クライゼンは、普段こそ無口で落ち着いており、初対面の者には少し近寄りがたい印象を与える人だった。感情を表に出すことも少なく、社交の場で妻へ甘い言葉を囁くような人でもない。そのため、王都ではクライゼン夫妻について好き勝手な噂をする者もいた。夫婦仲は冷えているのではないか。南部から北国へ嫁いだ妻のアリシアは、寂しい思いをしているのではないか、と。


 もっとも、アリシア自身はそんな噂を気にしたことなどなかった。ローゼンとは夫婦喧嘩らしい夫婦喧嘩も、ほとんどしたことがない。優しくて、少し不器用で、そして少しばかり心配性な夫。それがアリシアの知るローゼンだった。


 けれど、その日だけは違った。


 アリシアは初めて思った。


 この人、意外と面倒なところがあるわね、と。


 そのきっかけは、王都で開かれた舞踏会だった。


 クライゼン家が王都の華やかな催しへ顔を出す機会は、それほど多くない。もちろん領主として必要な付き合いはあるし、王家からの招待を無下にするような家でもない。けれどローゼン自身、音楽と香水と人の噂で満ちた大広間よりも、雪に閉ざされた領地の執務室にいる方がよほど似合う人だった。だからその夜、彼が礼装に身を包んでアリシアの隣に立っているだけで、何人もの貴族がちらちらと視線を向けていた。


 北国の領主夫妻。そう呼ばれる二人は、王都では少し珍しい存在だった。ローゼンは相変わらず静かで、必要な挨拶を丁寧にこなすものの、自分から話題を広げることはあまりない。一方のアリシアは南部で育った令嬢らしく、社交の場での振る舞いには慣れていた。微笑み、言葉を返し、相手の家や近況を自然に思い出しながら会話を繋ぐ。それは領主夫人として当然の振る舞いであり、少なくともアリシア自身はそう思っていた。


「アリシア様ではありませんか」


 ふいに声をかけられ、アリシアは振り返った。そこにいたのは、南部にいた頃の知人だった。伯爵家の子息で、名をルシアンという。アリシアの兄と付き合いがあり、実家の茶会にも何度か顔を出していた人物である。淡い栗色の髪に、人当たりのよい笑み。懐かしい相手ではあるが、それ以上の何かがあったわけではない。


「まあ、ルシアン様。お久しぶりです」

「本当に。北国へ嫁がれてから、なかなかお目にかかれませんでしたね。お元気そうで何よりです」

「ええ。最初は寒さに驚きましたけれど、今では随分慣れました」

「アリシア様が北国に慣れたのですか?それは驚きですね」


 昔からアリシアが寒さを苦手としていたことを知っているからこその言葉だった。アリシアもそれを理解していたため、「人間、意外と何とかなるものですよ。もっとも、冬の朝に窓を開けるたび、今でも少し後悔しますけれど」と冗談めかして返すと、ルシアンは楽しそうに笑った。


 ただ、それだけだった。


 昔の知人と再会し、近況を話し、少し冗談を交わしただけ。舞踏会では珍しくもない会話である。アリシア自身、その程度のつもりでいた。


 けれど、夫の方はそうではなかったらしい。


 ルシアンと別れ、アリシアがローゼンのもとへ戻ると、彼はいつも通り静かに立っていた。周囲から見れば、普段と何一つ変わらない北国領主に見えただろう。けれど、長く一緒にいるアリシアには分かる。ほんの僅かに口数が減り、視線がいつもより硬い。


「ローゼン、何か変よ。大丈夫?」


 そう尋ねると、ローゼンは少し迷うようにこちらへ視線を向けた。


「……さっきの男とは、随分親しそうだったね」

「ルシアン様?昔から知っているだけよ。お兄様の知人なの」

「そうか。いや……少し心配になっただけだ」

「……私にはそんな気はないわよ?」


 アリシアが目を瞬かせると、ローゼンはすぐに頷いた。


「分かっている」

「分かっている人の言い方ではなかったわ」


 本人としては責めるつもりなどなかったのだろう。けれど、今の言い方ではまるで、アリシアが少し声をかけられただけでふらふらと誰かについて行くように聞こえる。それは、少し面白くない。


「君を疑っているわけではないよ。ただ、王都の舞踏会には色々な者がいる。親切そうに近づいてくる者もいれば、家名や噂を利用しようとする者もいるし、君は人当たりが良いから、相手が勘違いすることもあるかもしれない」


 アリシアはゆっくりと瞬きをした。今の言葉が、ローゼンなりの心配から出ていることは分かる。分かるのだけれど、それはそれとして、聞き流せる言い方ではなかった。


「つまり、それって私が浮気をして、結婚を蔑ろにしようとしているって思っているってことよね!?」


 思ったよりも声が大きかった。


 近くで談笑していた夫人が、驚いたようにこちらを振り返る。その隣にいた令嬢も、扇の陰からちらりと視線を向けてきた。楽団の音は変わらず流れているし、大広間全体が静まり返ったわけではない。けれど、少なくとも周囲の数人には、今の声がはっきり届いてしまったらしい。


 ローゼンも、ほんの少しだけ目を見開いた。


「悪かった、アリシア。そんなに声を大きくしなくても――」

「大きくもなるわよ。貴方、今かなり失礼なことを言ったのよ?私はただ、昔の知人と少し話しただけ。それなのに、相手が勘違いするだとか、変な男が近づいてくるかもしれないだとか言われたら、まるで私がその気になれば簡単に誰かへ心を移すみたいじゃない」

「そういう意味ではないよ」

「じゃあ、どういう意味?」


 ローゼンは答えようとして、言葉を止めた。その一瞬の沈黙で、アリシアは大体分かってしまった。これは心配だけではない。もちろん心配もしているのだろう。ローゼンはそういう人だ。けれど、それだけならこんなに歯切れが悪くなるはずがない。


 アリシアは、じっと夫を見上げた。


「嫉妬したの?」

「……本当に心配したんだ」


 ローゼンは困ったように視線を落とした。その態度に、アリシアは少しだけむっとした。嫉妬されたことが嫌なのではない。むしろ、そういう感情を向けられること自体は少し嬉しくもある。けれど、それを心配という言葉で包んだ結果、自分が軽率な妻のように聞こえるのは納得がいかなかった。


「私はね、ローゼン。貴方に嫉妬されるのが嫌なんじゃないの。でも、私が他の殿方を見るみたいに言われるのは嫌なの」


 そう言って、アリシアは扇を目元に当てた。泣いてはいない。けれど、泣いているふりをするくらいは許されると思った。


「ひどいわ、ローゼン。私は心の底から貴方を愛しているのに!貴方が夜にあんなことやこんなことをしておいて、私が他の殿方を見るわけがないでしょう!!」


「ち、ちょっと待ってほしい。何を言い出しているんだい?」


 さすがのローゼンも狼狽えたが、アリシアは止まらない。周囲の視線が増えていることにも気づいていたが、もう勢いがついてしまっていた。


「それに、私が他の殿方に心を移すですって?そんなことできるわけないでしょう!貴方があんなに大事にして、あんなに優しくして、あんなに離してくれないのに!」

「アリシア、周りに聞こえているって……!」

「聞こえればいいのよ!私は浮気なんてしませんって、はっきり分かっていただけるでしょう!貴方が私を、こんなに貴方なしではいられない妻にしたんでしょう!」


 ローゼンは完全に言葉を失った。


 その様子を見て、アリシアは扇で目元を隠したまま肩を震わせる。もちろん本当に泣いているわけではなく、涙など一滴も出ていない。けれど、声を少し震わせ、俯き加減にすれば、周囲からは夫の言葉に傷ついた妻くらいには見えるだろう。我ながら、なかなかの名演技だった。


 さすがのローゼンも、このまま大広間の真ん中に立たせておくのはまずいと思ったらしい。


「アリシア、少し来てほしい」


 そう言うなり、彼はアリシアの手を取った。強引というほどではないが、いつものような余裕もないらしい。アリシアの指先を包む手には、少しだけ力が入っている。ローゼンは周囲へ短く会釈をし、それ以上誰にも声をかけられる前に、アリシアを連れて大広間の端にあるバルコニーへ向かった。


 アリシアは扇で目元を隠したまま、素直についていく。もちろん、泣いてはいない。けれど、泣いているふりを続けたまま夫に連れ出されるのは、なかなか悪くなかった。周囲からは、夫に宥められている妻に見えただろう。実際には、夫婦の夜の事情を大声で暴露しかけた妻を、夫が慌てて避難させているだけなのだが。


 バルコニーへ出たローゼンは、周囲に人影がないことを確かめてから、ようやくアリシアの手を離した。


「アリシア」

「何よ」


 まだ扇を目元に当てたまま答えると、ローゼンは深く息を吐いた。


「まず、泣いていないね」

「泣いているわ」

「その割には涙が出ていないようだけど」

「心では泣いているの」

「その割には、かなり楽しそうに聞こえる」

「あら、そう?」


 アリシアが扇を少し下ろすと、ローゼンは本当に困ったようにこちらを見ていた。その様子が少し可愛くて、アリシアは思わず口元を緩める。


「全く……君は、どうしてあんなことを言うんだ」

「貴方が変なことを言うからでしょう?」

「……ごめん。嫉妬していた」


 あまりにも素直に言われたため、アリシアは一瞬だけ言葉を失った。さっきまで、心配だの、相手が勘違いするだの、随分と遠回しなことを言っていたくせに、二人きりになった途端にこれである。そういうところがずるいのだ。こちらがもう少し文句を言おうとしていたのに、先に謝られてしまえば、怒るに怒れなくなってしまう。


 アリシアは扇を閉じ、そっと辺りを見回した。右を見ても誰もいない。左を見ても、やはり誰もいない。硝子扉の向こうから舞踏会の音楽は聞こえてくるが、バルコニーにいるのは二人だけだった。それを確認すると、アリシアは少し背伸びをして、ローゼンの頬へ口づけた。


「……っ、アリシア。何をしているんだ」


 ローゼンは小さく息を詰めた。冷静な北国の領主とは思えないほど、分かりやすく動揺している。その反応が可愛くて、アリシアは満足げに微笑んだ。


「いいじゃない。これでおあいこね?」

「おあいこ?」

「ええ。貴方は私に変な疑いをかけました。私は人前で少し言いすぎました。だから、おあいこ。仲直りの印よ。それに、これで私に変な虫も寄ってこなくなるでしょうし、結果オーライよ!」


 胸を張って言い切ると、ローゼンは目を伏せ、静かに息を吐いた。


「結果オーライ、なのかい?」

「そうよ。だって、王都の舞踏会で北国領主の妻に近づくと、夫婦の熱い事情を聞かされるかもしれないって広まるでしょう?」

「それはそれで、かなり問題があると思うけどね」


 呆れたような返事を聞きながら、アリシアは改めてローゼンへ腕を回し、押し潰してしまいそうなくらい強く抱きしめた。


「愛しているわ、ローゼン。本当の本当に」

「ありがとう。私も愛しているよ。ただ、舞踏会で夫婦の夜の話をするのは控えてほしい。社会的に死んでしまいそうだ」


 大広間に戻れば、また彼は北国の領主らしい顔をするだろう。周囲から見れば、何事もなかったように見えるかもしれない。けれど、アリシアは知っている。この人は嫉妬もするし、心配もする。そして、妻が少し泣いたふりをしただけで慌てて手を取ってくれる、優しくて不器用な人なのだ。それが、とても愛おしかった。


「そろそろ戻りましょうか」

「……戻れると思うかい?私はもう帰りたいんだけど」

「大丈夫よ。堂々としていればいいの」


 アリシアがそう言って身を離そうとすると、腰に回っていたローゼンの腕が緩むのを、ほんの少しためらった。それに気づき、アリシアはにっこりと笑う。


「あら。離したくないの?」

「……少しだけ」

「まあ」


 一瞬だけ目を丸くしたあと、嬉しくなったアリシアはもう一度ローゼンへ抱きついた。


「ええ。とてもいいわ」


 夜風の冷たいバルコニーで、二人はもう少しだけそのままでいた。大広間では音楽が続き、王都の貴族たちはきっと、北国領主夫妻の妙な口論についてひそひそと話を始めているに違いない。けれど、アリシアは少しも気にしなかった。夫婦喧嘩というには甘すぎて、惚気というには少し騒がしい。それでも、これは確かに二人にとって初めての夫婦喧嘩だった。そしてアリシアは、その相手がローゼンでよかったと、心の底から思っていた。


 しばらくして大広間へ戻ると、案の定、何人かが心配そうな視線を向けてきた。そのうちの一人が恐る恐る声をかけてくると、アリシアは何食わぬ顔で微笑む。


「大丈夫ですわ。少し夫婦喧嘩をしただけですもの。バルコニーで彼が私を抱きしめてくださって、愛していると何度も……いえ、一度でしたけれど、とても深く言ってくださいましたから。もうすっかり仲直りしましたわ」


 隣でローゼンが、恥ずかしそうに目を閉じた。


「アリシア」

「うん?」

「……帰ろう」

「まだ曲は残っているわよ?」

「これ以上いると、君が何を話すか分からない」


 そう言われて、アリシアは楽しそうに笑った。結局その夜、北国領主夫妻は少し早めに舞踏会を後にした。


 そして翌日、王都には新しい噂が広まった。曰く、クライゼン夫妻は冷え切っているどころか、夫が妻に嫉妬するほど仲がいいらしい。曰く、夫婦喧嘩をしても最後には抱き合って仲直りするらしい。そして何より、夫は重度の愛妻家であり、妻のアリシアは浮気などする気が微塵もないらしい。


 ローゼンはその噂を聞き、しばらく舞踏会には行けないと頭を抱えたが、アリシアは少しも気にしなかった。


 何しろ、これでもう誰にも疑われることはない。


 少なくとも、大声で分からせた甲斐はあったのだから。

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― 新着の感想 ―
全貴族が騒然! 今期最高ヒット作!! 「舞踏会の真ん中で愛を叫ぶ  ~ちょっと大人向けの熱い内容を添えて~」 ただいま公開中 ・・・・・なんてね(・ω<)テヘペロ
可愛らしく、甘~いわからせでしたね(*´艸`) 今回も楽しいお話をありがとうございます(*˘︶˘人)
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