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N氏  作者: 誇大紫
3/22

筋肉は人を愛するのだ騒動

 動機が薄ければ薄いほど――逆に悪意は強ければ強いほど「怖い」ものである。

 ちょいと「ジャック・ニコルソン」でググってみて頂きたい。

 割れたドアから覗くあの顔! 悪意の塊! 最高ヒャッホー!

 映画『シャイニング』が何故あれほど怖いのかといえばそれは名優ジャック・ニコルソンの邪悪な顔のせいだと結論づける――のは安易過ぎる。むろん半分以上はそれが占めているに違いないけれども。

 原作小説やキング版映画では、あの父親は館に潜む霊にとり憑かれてしまったのだとはっきり描かれている。そこで最も有名なキューブリック版を考えるに、ジャック演じる父親がおかしくなったのはアル中のせいなのか霊のせいなのかはたまた俳優のせいなのか(ジャックは鼻に白い粉のようなものをつけてゴキゲンな時がある)、判然としない。

 あの父親は元々ああなのか、いきなり発狂したのか。

 何故? 理由も動機もわからないまま。

 ただひたすらに苛烈な悪意をもって斧でこどもを追いかけ回すのである。

 ――動機なき悪意。外側しかないもの。つまりそれが「怖い」。


★★★★


 つい先日、キャトル・ミューティレーションで全身の血液を抜き取られるという愉快な死に方を遂げたN氏。彼はいわゆる「シックス・センス」的な人であり、やれ見えただの殺されかけただの、常日頃私に新鮮な話題を提供してくれていた。大学時代、私はよく遊びに行ったものだ。


「これ、いつの?」

 N氏の部屋、押し入れに貼られたいわくつきの御札は年季が入ってまるで炭のようになっていた。

「あー? 昨日かな」

 昨日という言葉に私は衝撃を受けた。きっと貰ったばかりの状態は清潔感溢れる白だったに違いないのだが、霊を招くN氏の体質ゆえにたった一晩でこの「驚きの黒さ!」という羽目になってしまったのだ。

 白が黒に!

 聖なるものが邪悪なものに!

 きっと盛り塩でも置こうものなら器ごと破壊されて世の女性にとり諸悪の根源たる砂糖へと変貌し、地獄の業火にていい感じに焼かれカルメ焼きになってしまうことは読者諸氏にも想像は難くないと思う(?)。

「昨日、何かあったの」

「その押し入れから誰かが出てこようとした。手までは出てきたんだ」

 N氏は指先で畳を撫でた。編み目で爪が、カリリと鳴った。

「それで指相撲でもしたのかい? アハハ」

「細い指で色白の、キレイな手だったなー」

 他人の言葉をスルーするのは人として最も憎むべき行為である。しかし相手が「あの」N氏であるということに一抹の憐憫(れんびん)をもって私は許した。

「俺はとにかく夢中で、出て来ようとする腕を押し込んださ。不気味だったけどな」

 私は傍にあった雑誌『相撲』を開き、関取のグラビアやピンナップを眺めていた。

「おい」

 N氏が苛立った声で呼んだ。私は顔を上げる。

「それで御札を貼ったのか。それだけ? 通報もしてないの?」

 N氏が素晴らしいのはそれで平然としているところである。もし相手が人間なら、ということを考えない。彼女がまだ生きていて、今この瞬間に……。

 ぴりり。

 視界の隅で、御札が破れて落ちた。押し入れの扉が少しだけ開き、隙間から手が伸びる。N氏の言う通り美しい女性の手だった。優しそうなあの白い手で色々なことをされてみたい。叩かれたり撫でられたり刺されたり挿されたり……。

 いやいや私はそんな誘惑には負けないが、N氏だってきっとかの女性にそうされたいに違いない。仕方あるまい。

 私は近づき、手を握って引っ張った。軽い抵抗がありながらも、するりと押し入れから出てきた。

 我々が心の奥底に潜ませていた予想は概ね当たった――のだけれども、途方に暮れた。

「あー。手だけだね」

「手だけか」

 肘までしかその手はなかった。しかし動いていた。私が手を放すと、それは新種の生物のようにかさこそと畳を這ってN氏へ向かう。

 N氏の身体をよじ登り、首を絞め――るかと思いきや頬に擦り寄る。

「いまどきアダムス・ファミリーネタか……君にそうとう懐いてるみたいだけど」

 N氏は手を踏みつけて動けなくする。爪はがりがりと畳を引っかき、次第に血が混じり始めた。

「さて、『ムー』に送るか、動画サイトで公開するか、警察に引き渡すか、謎の研究機関に見てもらうか。どうするの?」

 N氏はその全てを無視して結論を出した。

「あるいは面倒をみるか、だな」

「こんな得体の知れないものを飼うってのかい……」

 N氏はかつて見たことがないほど渋いダンディズム溢れる表情をして私に向き直った。

「手だけでも一応自分を好いてくれてる女だからな」

 西日が部屋に射してN氏の顔に影を作る。一見カッコイイ台詞のはずだったが、何故だか哀愁が漂う。

「それにシグルイで言ってたんだ。筋肉が人を憎むってな。それなら、筋肉が人を愛することもあるだろうよ」

 筋肉。それ即ちボディ。つまり今は手。もはや脳が人を愛するのではない。筋肉が人を愛するのだ。アインシュタインでも思いつくまいこのコペルニクス的転回。さすがN氏。最先端を行く貴君の愛はもはやその境地に達したか。文字通り彼はこれから彼女と手に手をとりあって暮らしてゆくのだ。

 私の筋肉は知らず知らずのうち、彼に敬礼していた。

 N氏の言動がよほど「心」――我々でさえそんなものがあるのか不明だが――の琴線に触れたのか、「彼女」はうち震えながら卓上のペンを持って紙に何かを書いていた。

 目を細めたN氏は、近づいてそれを読むなり「彼女」を掴んで押し入れへ放り投げた。音もなく気配は消える。続いて紙を破いて捨てた。

「……怖かったなー。今までで一番かもしれん」

 静かな部屋でN氏は軽く笑いながら言った。呆気にとられた私はなんのことか尋ねたが、教えてくれなかった。

 結局、N氏がトイレにたった隙にゴミ箱から紙片を取り出し、パズルのように並べ直した。

 思わず私は例の台詞を呟いていた。

「怖いか……? やー、怖いと思えば何だって怖くなるね」

 破れた紙切れにはこう書いてあったのである。

 ――「やらないか」。

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