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N氏  作者: 誇大紫
19/22

バベルのネ禍フェ騒動(中編)

とんでもない量のエロ本が置いてあるという店を目指し、複雑怪奇な裏名呑を進む私とN氏。そこに偶然出くわしたのは、ネカフェ難民の彼氏を探している丸木戸さんだった。やがて一行は見るからに怪しげなネットカフェに辿り着いた……。

 店内へ進むなり我々は感嘆の声をあげた。

 それはどこまでも続く本の洪水であった。漫画は勿論新書や文庫やハードカバー、ペーパーバックの洋書や漢籍、画集、雑誌まである。手前にレジとカウンターがあるが、それ以外に視界に入るものは本と本と本である。

「いったいどうなってるんだ……」

 それらが収められた本棚は壁であり、階段であり、床であり、天井であり、つまりこの店の建築材なのだった。

 高さ二メートルほどしかない息苦しい天井で、通路は複雑に入り組んでおり一見して果てがどこにあるのかわからない。微かに古い本のにおいが漂っていて、ページを繰る音がそこかしこから聞こえてくる。

 うっすらと、幾つもの本棚を段々に組み合わせた螺旋階段があるのがわかる。上階も地下もあるらしい。建築基準法がどうのという野暮なことは言うまいが、その法律を詳しく解説した本さえここにはあるのだろう。

「お客様」

 夜神(やがみ)(レフト)氏がレジカウンターに立ち、お辞儀した。

「料金は後払いになっております。お得なパック料金は三時間パックから八億七六五八万一二七七時間パックまでございます。なお、当店でのお食事は無料ドリンク類を除き全て店内の別料金の自動販売機のみを使って頂きます。また同様に地下にはシャワーや温泉もございますので別料金ではありますがご利用ください」

 丸木戸さんはキョロキョロと彼氏の姿を探して落ち着きがない。人の話はきちんと聞きなさい。

 ……とはいえ私もこの光景には目を奪われる。

 何億冊ともいうべき背表紙の群れを眺めていると、私の生涯に栄光の新地平を切り開く天与の一冊がどこかに埋れている気がしてくる。この本の大海にはいくらでも素晴らしい知識との出会いがあるのだと思うと武者震いがした。

「とりあえず、三時間パックで」

 と申請するN氏。私はその肩を叩き制止させた。

「どうせなら、もっと居ようよ。三日間くらい。来た道がわけわかんないし、ここには二度と来れないかもしれないんだしさ」

「ええー。一人でやってろよ」

 N氏が不満げに口を尖らせた。そもそも彼はエロ本を買いにやってきたので目的が失われてしまっているのだった。

「……アダルトショップの名残で成人コーナーもあるかもよ」

 バンダナの下の目が鷹のように鋭くなり、彼は訝しげに私の頭からつま先までジロジロと睨めつける。

「仕方ねえなー。メシ代と温泉代は出せよ?」

 彼はポリポリと頭を掻いた。

「メシ代は出すよ」

 ということで話はまとまった。全く、甘い男よのう。

 横で話を聞いていた左氏が満面の笑みで頷いた。

「では七二時間パックということでお取りしておきますね。お席はこちらから」

 我々はタブレット端末で店内の見取り図を見せられ、そこで思い思いの個室を選択する。

「あの……衣袋(いぶくろ)って人はどこですかあ。衣袋(いぶくろ)鮭流(さける)。恋人なんですけど」

 丸木戸さんが長い髪を弄りながら尋ねる。

「申し訳ありませんが、お客様の個人情報はお教えできないのです。御自分で連絡をとるか、お探しになられるしかありませんな」

 左氏は礼儀正しくもきっぱりと告げた。

「それが、さっきから連絡が取れないんですよお」

「……当店では店員は私だけです。ここを離れるわけには参りません。たとえお客様同士で戦争を始めようと既に個室に入られたお客様に店員側から関わることは一切ございません。お客様のお会計の時を除けば、ですがね。ではこうしましょう、その方がお会計をされる際には私からそのお方にメッセージをお渡ししますので、今この場で丸木戸様がそれをお書きになってください」

 彼女は少し困った様子で沈黙して考えていたが、やがてジェットストリームボールペンを手に取った。それにしても名前がカッコいいジェットストリーム。

 私とN氏は隣り合った個室を選び、丸木戸さんは食事用自動販売機の近くのオープン席にした。そこで彼氏がやってくるのを待つらしい。


★★★★


「さて……」

 個室は四畳半の広さで壁(本棚の背)の高さも申し分なくプライベートは確保されている。これではよからぬことをする輩も多いかもしれないという考えがチラと脳裏を過ったがあまり深く考えないことにした。

 PCやモニターもありテレビも見られる。ゲームもできるようだが、私はあまりやらないのでよくわからない。

 ジャケットのポケットに財布とアイフォンだけ入れていざ出陣。

 N氏は早々に螺旋階段を上がって妖しげな部屋へ行ってしまった。何やら凶々しくも蠱惑(こわく)的な桃色の光が漏れている。つまり彼のライフワーク――みなまで言わずともあとはお察し。

 私はぶらりとまずは一階を一周してみる。

 本たちが「君はアタシさえ読んでないの? 基本だよ?」「私を読めばその腐った根性も変えられるさ」「フン! べ、別にアンタに読んでもらうためにここにいるんじゃないんだからね!」などと語りかけてくる。

 おお素晴らしき世界よ。ポーにドイルに夢野久作横溝正史チャンドラーにクリスティ松本清張綾辻行人に我孫子武丸はやみねかおるに米澤穂信乙一に西尾維新佐藤友哉に舞城王太郎――なんということだ、作者は知っているがまだ読んだことのないタイトルばかり!

 だがここはグッと我慢である。ここはもっと品揃えがあるはずなのだから。

 後ろ髪ひかれながら誘惑を跳ね除け、私は手近な螺旋階段を降りていく。階段の脇にも本は所狭しと溢れんばかりである。

 芥川龍之介ボルヘス! いしいしんじに星新一に北野勇作伊藤計劃。サリンジャーにアシモフハインラインクラークヴォネガットにパオロ・バチガルピ。森見登美彦はもちろん。『世界SF大賞傑作選3巻』『世界SF全集別巻SF講座』もあるし、サンリオSF文庫の『銀の知識人たち』もあるし、ギブスンの『クローム襲撃』があるぞ! おお、師匠シリーズは気がつけば書籍化されていたのか!

 地下一階に着いた私は扉を開く。そこは先ほどよりも遥かに広く複雑な知識のラビリンス。

 メアリー・シェリーにブラム・ストーカーダーレス。小林泰三に恒川光太郎岩井志麻子に京極夏彦に平山夢明友成純一貴志祐介! 1812年、自費出版で100冊だけ作られた、アロルドの『奇跡の起こし方』。火事や虫喰いで必ず失われてしまうという。その完本。

 何気なく開いたラヴクラフト全集からは書簡がじゃんじゃんばらばらと落ちてきて、その幾つかにはメモ魔だった彼が何処行きの何時の飛行機に何人で乗り、その料金がいくらだったのかまで書いた紙片さえある。

 更に地下へ降りながら漫画棚へ差し掛かると、手塚治虫も萩尾望都も大島弓子も美内すずえも川原泉も清水玲子もあるし平野耕太も志村貴子もよしながふみも増田こうすけも上北ふたごもまゆたんもヤマジュンもアラン・ムーアだってマーク・ミラーだってある! 西島大介の失われたはずの原稿(もしや違法なルートだろうか?)も、荒木飛呂彦の『アウトローマン』の幻の原稿だってある!

 読者諸君よ、お気に入りの本を一冊言ってみたまえ。それはここにある。昔雑誌で読んだだけの短編だってある。

「ここは天国か!」

 そして私は先程の左氏の言葉――ここが元々「四次元の図書館」と呼ばれていた理由を悟る。

 ねじくれた時空。

 公園漫画『ワンパーク』の最終巻がある。ひとつなぎの大公園(パーク)の正体もわかる! 『名探偵(めいたんてい)困難(コンナン)』の最終巻もある。黒の組織のボスはアポトキシンにより記憶を失ってしまったという困難であったし、『カラスの仮面』は結局、最終巻は出ていないようである。『課長 山耕作』は最終的に『地球連邦元首 山耕作』となっており、もはや宇宙人が攻め込むような一大事でも起きなければ到底ありえぬだろ。

 つまりここは、過去のみならず未来に至る全ての書籍や雑誌類が存在しているのだ。私が今まで生きてきて読んだ本が全てここにある。そして読んだことのない本も、これから読むべき本も全てここにある。


★★★★


 「地下温泉入口」と書かれている扉を脇目に更に地下へと螺旋階段を降りていく。十数分降りていると地上の物音が遠くなり私の足音だけとなる。湿った風が足元から撫で上げてくる。弱々しく明滅する提灯アンコウの先っちょのような豆電球を頼りに、階段を踏み外さぬよう気をつける。見上げると本棚の螺旋の中心に光がおぼろげに見える。ちょうど深い海の底から弱々しい太陽を見るようで、背筋がゾクゾクする。

 今度は螺旋階段の下を覗き込む。上と同様の光があり、遥か下にも大きな部屋があるらしい。まさかこの階段は地獄にでも繋がってはいないだろうな。

「……怪談だけに」

 ……えー、ゴホンゴホン。死なせてくれるか。


 ……カチ……カチカチ……カチ……。


 微かに音がしているのに気づき、ふと立ち止まる。ビー玉をぶつけ合うような音だが、かなり速いリズムで断続的に打ち合わされている。進むごとにそれは大きくなっていく。私は螺旋階段から逸れて音のする方へ扉を開く。そこもまた一つの書庫であり、本と扉だらけになっている。

 音を頼りに幾つもの扉を開けていく。次第に本棚を縫うように設置されている豆電球ごときでは払えぬほど闇は濃くなり足先も怪しくなってくる。


 カチカチ……カチカチ……。


 やがて音が止んだ。傍の本棚を見れば、置いてある本はもはや本というより「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」と万葉仮名で書かれたよくわからない木簡や、よくわからない文字の粘土板やよくわからない羊皮紙、よくわからない植物の模写をよくわからない文字で解説したというよくわからない手稿などが登場してくる。

「これは……」

 その棚に一冊の本がある。タイトルはなく革張りで、ベルトで留められている。奇怪な雰囲気だがどこか惹かれるものがあり、私は手に取って装丁の感触を確かめる。

 瞬間、肌が(あわ)立った。

 本の装丁は昔から実験的に非常に凝ったものが作られる。宝石を埋め込んだり白樺の皮を使ったり蓑虫の巣を用いてみたりするが、これは「人の皮」を使って作られているのだった。博物館で展示されている人皮装丁本を一冊見たことがあったが、それは今目の前にある本ほど禍々しく冒涜的な気配を湛えてはいなかった。

 しっとりとした肌触りに、中が気になる。この装丁に使われた人間はどんな人物だったのだろう? 無理やり皮を剥がれたのだろうか? 自ら差し出したのだろうか? 男だろうか? 女だろうか? 部位は?

 私は指先の感触を楽しみながら本のベルトを外した……どこか女性の下着を脱がせていく気分だ……。


 ガチガチガチガチッ!


 音が至近距離で鳴った。怯んだ私の脳裏に(レフト)氏の笑顔と「店員は一切関与しない」という言葉が過った。音の出処を確認すると、足元の暗闇に浮浪者のような男が座り込んでいて心臓が跳ね上がった。

 男は頭を抱え込み声にならない声を垂れ流しながら、時折ガチガチと歯を鳴らしていたのだった。恐怖に震え我を失っている。声に耳を澄ましてみる。

「……もんにしてかぎ……ぜんにしていち、いちにしてぜん……そとなるかみ……こんとんのばいかい……げんしょのことばのがいてきあらわれ……」

 私が立ち竦んでいると不意に本を奪われた。彼は涎を垂らしながら本を開いて頬ずりし始めた。

「……こくうのもん……しっこくのやみにえいえんにゆうへいされるもののがいてきなちせい……かこ、げんざい、みらいのすべてはよぐそとすのなかでひとつである……」

 私は後ずさった。

 この本が読んだ者を狂気に堕とすというあの書物ネクロノミコンかもしれないと思うと、胸は熱くなるが肝は冷えた。

「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 まだ私は発狂したくはないので、彼の笑い声を尻目に螺旋階段まで戻った。

 更に地下には鉄扉が幾つもあり、逐一開けて中を覗いてみたが、洋書ばかりであったり漢籍ばかりであったりした。そこには人間が数人いたが、個室に帰らずに通路で本を貪るように読んでいる。本を抱えたまま眠っているのか死んでいるのかわからない人間さえいた。

 再び螺旋階段を降りると桃色の光に満ちた書庫に出た。

 本を探す男どもは互いに目を交わさずパーソナルスペースを保っている。時折情報交換はするものの、お互いの手に持つエロ書物から察される性癖には言及しないという暗黙の了解で、張り詰めた緊張感により熱気でムンムンとしている。

 ここは――あまり詳しく描写すると私の変態が字面から滲み出るのでやめておくが――古今東西大秘宝館ともいうべき様相、つまり当初の目的通りの場所であった。

 N氏はその中で安藤裕行や氏賀Y太やジョン・K・ペー太のエロ漫画を小脇に抱えつつ、何か紙束を凝視している。無精髭を撫でながら心底感服している。

「いや、いい仕事してますね……」

 傍らに立って覗き込むと、それは当時二次元であろうと児童ポルノを持っていると社会的に抹殺されたアメリカで、少年時代の新堂エルが描いては焼き捨てていたという二次ロリ絵の習作であった。

「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」

 N氏は顔を上げて数秒私を見た後、また目を紙束に戻した。私は構わず話を続ける。

「N氏は螺旋階段を上がって来たんだよね?」

「そうだ」

 姿勢を全く変えずに返事するN氏。

「私は下にずっと降りてきたんだよ。ということは、ここの螺旋階段は無限に続いてるみたいなんだ!」

「あーそうだな」

 紙束を眺めては感動のため息を吐いて、うんうんと頷いている。

「まあ……いいか。じゃあね、N氏」

 返事をしなかったが、あまり怒る気力もなかった。疲れたので、何かドリンクバーで飲み物を持って個室に戻ることにした。

 螺旋階段を降りるとすぐに一階となっていて私の個室があった。どうなっているのか知らないが、この無限に続く螺旋階段は非常に便利である。

 ドリンクバーへ着くなり、そこにいた丸木戸さんに腕を掴まれた。

「ちょっとお、なんかおかしなことが起きてるんだけど!」

読んで頂きありがとうございます。

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