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N氏  作者: 誇大紫
17/22

古い手紙

 突然のお手紙失礼致します。

 以下、少しでも先生の癇に障ることがあればそのままそっとゴミ箱などにでもクシャポイして頂きますようお頼み申し上げます。

 ところでコチさんの話によると、先生はいつもNさんの思い出話で「怖いと思えば何だって怖い」とお書きになっていらっしゃいますよね。

 浅薄な知識しか持たない私に言わせて頂けば、この世で最も怖いものは「ほんとうのこと」だと思うのです。それが一つあるだけで確かだと思っていた足場が揺らいでしまう。ホラーがコメディになったりコメディがホラーになったりするでしょう?

 先生がこれの意味を悟られるのはずっと先だとは思いますけれど、されど私がこの時点でこの腐った妄想の垂れ流しを書かないことにはその機会さえ奪われてしまうのです。

 コチさんによれば、今この瞬間に書いた手紙だけがクシャポイされずに残る可能性が高いそうです。

 いつか先生は誰の言葉も届かなくなってしまいます。その時に、ふとこの「古い手紙」が見つかりますように。そして叶うことなら、深い暗闇に迷い込んだ「今」の先生が読んでくださるように。奇妙ですね。今っていつなのでしょうか。

 さて上から目線で傲慢な申し方を許して頂くなら、クソムシの私は「今」の先生をお助けしたいのです。かつて先生が私を助けてくださったように。

 私をはしたない、品性下劣な牝豚の分際でなどと思われるかもしれませんが、とにかく読んで頂けますでしょうか。


 私は頼る者もない身、しばしば尻の毛まで抜かれて鼻血も出ねえほどの金欠に陥るのですが、そんな時はいつもあることを思い出すのです。

 「今」の先生からすれば懐かしいかもしれませんが、私や先生やN氏さんたちがあの名呑町に住んでいた頃――私がこのお手紙を書いているまさに今の時代――のことです。

 それは業務用スーパーに行った帰り、私ことメンヘラ糞ナードはあるパチンコ屋の前を通りかかったのです。

 視界の端に何か枯葉めいたものが映りました。

 ――まさか、いやそんな。神様!

 ひらひら。

 ひらひら。

 駐車場に千円札が落ちていました。今にも風に舞い上がりそうな千円札。

 拾ってネコババするのも考えものです。たとえばそこに落とし主が現れたらどういたしましょう? 警察に連行されてしまう? 前科者の仲間入り? 千円どころではないリスクです。一円だろうが遺失物横領罪や窃盗罪が発生することは先生もご存知かと思われます。それで結局私は――この胆小鬼(ダンシャオグイ)は――拾わなかったのです。

 千円札が私の頭の片隅にフワフワと舞いました。

 以来、私はお金に困ったときはいつもその千円札を思い出します。コチさんによればツルッツルうどん脳みその私は死ぬまでその癖が変わらないそうです。ふとお好み焼きを食べようとしてお金がないとき。ふと友達へのプレゼントを買おうとしてお金がないとき。

 今あの時の千円札があれば、と。

 きっとあの時拾ってしまっていたならばこうして何度も思い出すことはなかったでしょう。

 それは何度もリピートされることで永遠に消えない千円札なのです。

 千円札は永遠の輝き。

 何の話かと思われていることでしょう、ええ、ノーパンげろしゃぶの私もそう思います。

 ですけれど――実は万事においてこの現象はあり得るのです。人は物事を何度も語り直すことでリピートし、永遠にしてしまう。

 人はみんないつか死にます。

 でもいまだにサザエさんはお茶目をするし、しんちゃんはお姉さんをナンパするし、おじゃる丸はまったりプリンを食べているし、にゃーこは黒い笑いを提供する。

 作者がもう現世におらずとも、です。生み出されたものは遺された者に語られ続け、その限りにおいて語られる者は永遠……なのかもしれません。少なくとも「今」の先生はそうお思いになっているのかもしれません。

 では語る者はどうなのでしょうか。特に死んだ者のことをたった一人で語っている場合は。

 自分が語らなければその人が消えてしまうような気がして、半ば強迫観念になってはいないでしょうか。

 千夜一夜物語のシェヘラザードが夜毎語るたびに命を永らえるように。

 語るのをやめたとき、同時に語り手も死ぬと思い込んではいないでしょうか。

 (かた)りは(かた)りです。

 何度も語り直されるごとに人を欺いてゆくのです。それは他人だけではありません。語り手でありながら、同時に一番の聞き手である先生をさえ欺いてしまうのです。時には先生は語ることをおやめになってください。

 今回は代わりにこの天使姫が語ろうと思います。

 「今」の先生はもうお忘れになっておいでかもしれませんが、つい数日前にこんな騒動がありました。



 深夜、先生は私や蟲飼さんと共にNさんの部屋に乗り込みました。先生はやはり嬉しそうに黒縁眼鏡の奥に悪魔的微笑を浮かべます。

「今すぐ心霊スポットに行こう」

 やはりいつも通り顔色も調子も悪いNさんは文句たらたらでしたが、先生はその帯霊体質が無ければ面白くないとやはり強引に連れ出すことにしたようでした。

「テレビ局の人達が名呑(なのみ)町の心霊映像を撮りに来るってんで、それについていこうかと思ってね。幽霊が出たらN氏もリアクション役としてテレビにも出られるかもよ? 大丈夫大丈夫、話は通ってるからね。N氏の顔写真を見せたら、ディレクターの人が『おお、すでに取り憑かれているじゃないか!』と大絶賛の辛気臭い顔のおかげで簡単にOKが出た」

「お前そんな勝手に」

「霊が出たら出演料で金一封が貰えるんだよ? N氏なら簡単でしょ?」

 と言えばNさんは特に文句は言わないので本当にこの人はちょろいと思います。やれやれ系主人公気取りなのかもしれません。彼がねずみ色のジャージに着替えるのを待たずに、私たちは早速テレビクルーとの待ち合わせ場所に出発しました。

 横に並ぶと見上げるほどの身長の蟲飼さんは何やら時折奇声を発して胸をときめかせている様子です。例によって蟲飼さんは、幽霊さえも裸足で逃げ出す、直視した者は気を失いかねないすっぴん(これが冗談ではないところが恐ろしい)を隠すためサングラスとマスクに黒ずくめの帽子とコートという出で立ち。まるで女囚さそりか黒の組織でありどう控えめに見てもアレな人です。

「心霊スポットかー。怪しいニオイがギュンギュンするねー☆」

 一番怪しいのは貴女です。

 合流したディレクターさんやカメラさんとワゴン車に乗り込みお話を伺います。心霊スポットは名呑峠で、よく走り屋たちの交通事故が起きたり行方不明者が出たりするところです。

 そこの噂はこうです。


 あなたが深夜三時に車で三つ目のヘアピンカーブに差し掛かると、道の外側の林にボロボロの車が現れる。よく見ると運転席には死体が積まれていて――見覚えのある顔なのだ。車も見覚えがある。

 それはあなたの乗っている車が事故を起こした数分後の姿。ボロボロの自分。それに気を取られ、運命は現実になってしまうのだった……。


 その話を聞いた時から先生の顔は珍しくみるみるうちに青ざめていきました。それを見たNさんはここぞとばかりに嬉しそうに肘で先生の横腹を小突きます。

 やがて峠の入り口に差し掛かり、ワゴン車を脇道に停め、そこで午前三時になるまで待機することになりました。

「おっ、とりわけ元気(キーゲン)だったのに(ワーコー)になっちゃった? それとも早速、心霊(レーシン)を感じ取っちゃってる? ん?」

 ディレクターさんは先生を見て意地悪そうに言葉責めです。業界用語だらけで先生には伝わっていませんでしたが。カメラさんは一応撮っておこうと絵面を押さえました。

 先生以外はこれといって特に変化はありません。強いて言えばNさんがいつもより血色が良いくらいで。

「ちょっと……」

 先生はカメラが止まった後にテレビクルーたちから離れて、私たちだけでこそこそ暗がりの会議を始めました。

「多分……や、間違いなく、私は問題のボロ車を見たことあるんだよ」

「えっ」

 一同驚愕の事実です。

「じゃあお前は何で死んでないんだ。ゾンビか」

 まず初めにそこにツッコむNさんは流石と言えるでしょう。

 先生はいつものように肩を竦めた後、ドヤ顔で解説を始めます。

「そう、ボロ車を見た人が死ぬのなら私は死んでるはず。そもそも、その話が本当ならどうしてその話が残ってるんだろうね。語り手は死んでるはず」

「確かにカニカニ」

 蟲飼さんの声でした。この人は突然こういうことを放り込んできます。表情が全く読み取れないのでみんな笑っていいものかわからず空気が数秒凍った後、全員が無かったことにしました。

「つまり、これは悪質な噂なんだよ」

「やれやれ。それで、お前がそんな鬱になる要素は?」

 いつもならこのあたりでコチさんが降りてきて私にそっとネタバレして去っていくところですが、どうやら蟲飼さんの素顔を極力避けたいのか現れません。

天使姫(エンジェルプリンセス)、何か?」

「いえ、別に」

 先生は未来のことを言われるのがあまり好きではありませんよね……誰もがそうかもしれませんが。

「とにかく。結論から言うとね、あの噂を言い出したのは私……なんだよ」

「はあ?!」

 Nさんの声に、遠くで煙草を吸っていたクルーさんたちが不思議そうな顔でこちらを見つめます。

 先生は彼らに笑顔で手を振り十分に誤魔化してから、向き直りました。

「声が大きい」

 指を口に当てます。

「実はね……」

 かなり前に、先生はたまたま名呑中央病院で峠の付近に住むおじいさんやおばあさんと知り合いました。そこで走り屋たちがうるさくて困っているというお話を聞いたそうです。更によく事故が起きたり行方不明者が出たりするので困っていると。

 走り屋たちは別に心霊スポットでなくても元々峠を攻めすぎて事故を起こしていたのです。

 それを聞いた先生は、工場勤めのおじいさんたちからいくらかクズ鉄を貰い、名呑峠の第三ヘアピンカーブ脇に「ボロ車」を作ったのです。

 昼間は見つけられにくく――見つかったとしてもクズ鉄にしか見えないけれど――夜に車のライトが当たれば車内からはまるでボロ車のようにボウッと浮かび上がる位置に調整して。後は噂を流すだけです。

「でも私が最初に流した噂は全然、こんな話じゃなかったんだよ! おかしくなってる」

 先生は見事に注意を喚起することに成功し事故は減り、やがて記憶の彼方に忘れ去っていらっしゃったようです。しかしどうやら知らないうちに噂に尾ひれがつき心霊スポットとして有名になりすぎてしまったようで、こんなテレビ取材班が来るような事態になってしまい今に至る、と。

「ああなんだ、ただの馬鹿か」

 Nさんは辛辣です。

「これは私もフォローできないなー」

 蟲飼さんも同意です。Nさんと一緒に帰ろうとしています。

「……金一封」

 先生が俯き加減にボソリと呟くと、二人の足がピタリと止まりました。



「ううっ、頭が痛い……!」

 ワゴン車内でNさんがわざとらしい演技で苦しんでいます。痛いわけがありません。それでもディレクター陣が騙されているのは、やはりNさんの顔がノーメイクでもゾンビとしてやっていけるほどの天性の死相があるからでしょう。

「三つめのヘアピンカーブが近づいてるよ、大丈夫かいN氏。もう帰ろうか?」

 心霊スポットに辿り着く前に帰ろうとするという、心霊特番ではなかなか見ないものの至極当然の発言をする先生。嘘でも先生がNさんを心配している姿はレアです。

 そして後部座席で体を小さく丸めて絶対にカメラに映らない位置にいる蟲飼さん。彼女は画面にいるとキャラが濃すぎて視聴者の目が幽霊にいかないというので「そもそもいない」という(てい)になりました。何のためにこの人はやってきたのでしょうか。

 私は私で「鈴木(すずき)天使姫(エンジェルプリンセス)」という名前がうるさすぎるため絶対に「鈴木さん」と呼ぶことが全員に義務付けられてしまいました。

 そして第三ヘアピンカーブを曲がる時、なるほど確かに巧妙に配置されたクズ鉄がボロ車のように見えました。

「ひゃあああああああああああウェホッエホッゲホゲホ」

 大根役者もいいところの私の拙い叫び声が響きました。

 ディレクターの顔は青ざめ、カメラさんもじっと混乱に耐えながらNさんを撮っています。

「……何か感じる」

 感じるのは私の白けた視線でしょうか。Nさんのノリノリな演技に続いて私たちは車を降りてクズ鉄の置いてある場所に向かいます。

 夜の峠は寒く、林の闇は濃く。気分は嫌が上にも盛り上がるのでしょう。噂がデタラメだと知らなければ。

「何だこれ……」

 果たして私たちはクズ鉄がばら撒かれている現場に到達しました。この暗さで一度しか見ていないはずのボロ車の場所へ一直線で向かえたのはさすが設置した当人といったところでしょうか。これがまさにマッチポンプの良いお手本です。

「車が……今の瞬間にバラバラになったというのか? 不可解だ。そんなことがありえるのか? これが私たちの運命だとでもいうのだろうか……」

 先生は息を吐くように嘘を吐きます。よく真顔で言えるなと感心します。しかしその台詞はナレーターに任せていいと思います。

 そこでディレクターにポラロイドカメラで写真を撮るように指示されました。どうやらそういう企画だったようです。

 金一封がこれにかかっています。

 カメラを渡された私は、クズ鉄が散乱する林をバックにNさんと先生を写真に撮りました。

 そしてその場でチェックして、私は気を失って倒れました。この世のものとは思えぬ悍ましいものがそこに写っていました……。



 翌朝、私は病院の一室で目を覚ましました。嬉しそうな先生に対して仏頂面のNさん、そしてサングラスをかけた蟲飼さんが横でしょんぼりしていました。

「えっと……」

「ごめんねー。大丈夫? 天使姫ちゃんとカメラさんが倒れちゃったからみんな慌てて帰ったんだよ」

 特に体に問題はありません。倒れた場所が土や草で良かったです。

「この二人にはもっと怒ったほうがいいぞ。カメラを撮った奴が気絶するかもしれないことは、わかってたんだからな」

 そう言ってNさんが先生を睨みます。

「あの、テレビはどうなったんでしょうか。金一封は?」

 三人がドッと笑いました。私は顔が熱くなるのが自分でわかりました。

「それがよ、詳しくは話せないらしいんだが写真や動画に問題があってボツだとさ。怖すぎたんじゃねーかな。二人も倒れたんだし。最近は怖すぎるとテレビ局にクレームが来るらしいしな」

 確かに私が見たあれは怖かったと深く何度も頷くと、蟲飼さんが申し訳なさそうに笑いました。

「本当にごめんね。ホラ、何か映らないと金一封貰えないって話だったじゃない? だから」

 あの時、蟲飼さんはワゴン車に残ったと見せかけてNさんと先生の後ろの暗がりに立っていたのです。暗闇に紛れながら、なおかつ見たものを卒倒させる「素顔(すっぴん)」を晒した状態で。

 恐ろしい化け物が二人の後ろに映り込み、私やカメラさんがそれを直視して気を失うほどの見事な心霊写真、心霊映像の完成でした。

「ただ、それだけじゃこんなことにはならなかったかもね。N氏の力でもう一人の心霊が映ったからこそ、さ」

 もう一人?

「これこれ、ここ」

 蟲飼さんの部分を隠して写真を見せてもらうと、確かに背景の暗闇に紛れてもう一人います。服がボロボロで、二人を見つめているのが不気味です。

「さすがN氏の帯霊体質の面目躍如といったところかな」

「でも俺はあの時何にも感じなかったんだけどなー」

 白々しい演技はしていましたけれどね。

 ……いや、え?

「ちょっと待ってください。Nさんはあの時、何も心霊的なことはお感じにならなかったんですか?」

 キョトンとした顔で頷くNさん。私は続いて蟲飼さんに向き直ります。

「蟲飼さんの顔を見た場合、心霊の類はお逃げになるんですよね? つまり霊が映るはずがない」

 皆さんは、私の言いたいことが次第にわかってきたようでした。

 先生は苦笑いして言いました。

「もしかしてこれ、本物の人間?」


 後日テレビを見ていると、名呑峠で続出していた行方不明者は全て殺されていたとのことで、その犯人の顔が報道されました。犯人は名呑峠に隠れ住み、心霊スポットにやってくる人々を殺していたのです。

 それが、私の撮った写真の人物の正体でした。どうやら私たちは危うく殺されかけたのでした。


 さて私が先生に申し上げたいのはこの車の噂と同じことなのです。語られていくうちに物事は生き残りはするでしょう、しかしそれは徐々に変質を遂げてしまうのです。

 今の先生にはもはや御自分で何が真実で何が嘘だったのかわからなくなっているのではありませんか?

 グチャグチャの時系列に何度も言及される奇妙な彼の死因。このままだと彼が死んだことさえ怪しくなってくるのではないですか?

 どうかひとり静かに狂わないでください。

 それでは、どうも私みたいな脳みそド腐れゲロ豚ビッチ娘のたわごとをお読み頂きありがとうございました。

読んで頂いてありがとうございます。よろしければ感想などお願いします。

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