特に怪異はありません
N氏が常日頃「怖いと思うから怖いんだ」と江角マキコばりのしたり顔で豪語するので私の耳にはタコができている。読者諸君だって――焼肉食べ放題でライスもビールもキムチも無しにひたすらパサパサしたブロイラーの激安鶏胸肉ばかり食べさせられているような――ウンザリした顔になっているのも私にはお見通しである。
だからたまにはあの男の絡まない話をしたいと思う。
N氏の特徴といえば帯霊体質である。海でも山でも自室にいようとオカルトに巻き込まれる。
逆に言えば、彼が絡まないので今回はオカルトイベントが起こらない。
特に怪異はありません。彼がいないと私はこういう感じ、という話だ。
さて「魔が差す」という言葉がある。これは人間の悪意が無意識や他愛もない刹那に支配されているということを端的に表している。要はタイミングや文脈の恐ろしさである。
映像学に、エイゼンシュテインの考えたモンタージュ理論というものがある。
例えば画面に、キャーッと声をあげる女がいるとする。次の瞬間、美味しそうなケーキが映る。
この女はケーキに嬉しい悲鳴をあげているのだ。
再び同じく、画面にキャーッと声をあげる女がいるとする。次の瞬間、ナイフを持った男が映る。
この女は男に恐怖して悲鳴をあげているのだ。
そうして物事は順序や心境でいかようにも転倒してしまう。あの出来事のタイミングが良ければ――私の心が穏やかで性善説に充ち満ちた精神状態であったなら、もしくは知人と一緒にいたのなら――また違った結末を迎えたはずだ。
不意の悪意はまさしく物語が現実に力を得る「タイミング」に蠢いて、魔が差す。
それはもうグッサリと。
★★★★
それは所用で地元に帰省し、様々な酷い目に遭って入院した後だった。電車で大学のある名呑町に再び帰ってくる際の話である。
諸般の事情により私のやさぐれた心は乗車時点で既に人間不信レベルであった。
新幹線に乗ったことがある者ならば分かるだろうが、大抵は一両目から三車両くらいは自由席車両であり、私が利用するのは概ねそこである。
煙草は吸わないので禁煙車両に行くわけだが、折悪しくその時の新幹線は長い間、喫煙車両として使ってきたものを改装して禁煙車両にしていたのである。
よって禁煙車両であるにも関わらず全体が黄ばんでおり染み付いたヤニ臭さは場末の飲み屋同然、ただでさえ精神的に気分が悪いというのに物理的にも気分を悪くしてくれるという無慈悲なサービスっぷりに私の外皮を突き破って鬼が生まれ出る寸前である。
新幹線は予定より十数分遅れた巌流島スタイルでやってきた。一瞬、私への宣戦布告か喧嘩を売っているのかと訝ったがどうも花火大会だの台風だのプリキュアオールスターコンサートだので人がゴミのようにごったがえしているせいだとわかった。
私は速やかに乗り込む。車両の座席配置は進行方向に対して左側三列、右側二列であった。北欧の人々なみに厳重なパーソナルスペースを重視する私は、運良く右側の二席とも空いている場所を見つけて窓際に陣取った。さて心を落ち着かせて漫画『ワンパーク』の最新刊でも読もうかと取り出して一息つく間もなく、茶色の髪をした男がやってきて隣に座った。
シルバーアクセなどを随所に装備した彼の顔を見ればいかにもオシャレに気を使い他人に気を使わぬ類の人間であることは明白。実際、中央に鎮座するどちらの物とも曖昧な肘掛はごく自然に奪われてしまっていた。
その日私は思い出した……高校時代、こんな奴らに支配されていた恐怖を……鳥籠の中に囚われていた屈辱を……。
「あ、もしかしてそれワンパーク?っスよね!」
「え、ああ。はいワンパークですよ」
知らない人と話すとかどんだけコミュニケーションスキル高いんだよ。
「仕事は? あ、大学生っスか」
「ええ、まあバイトも時々しますけどね」
それから受け身ながらひとしきりワンパークの話(どの実が食べたいか等)で盛り上がった後、彼は私が心を許したと思ったのかとんでもないことを言い出した。
「ちょっと聞いてほしい相談があるんスけどぉ。あっあっ、ぶっちゃけ聞くだけで全然オッケーなんでぇ」
私は黙っていた。しかし得てしてこういう奴らは黙っていると了承したと思うのである。
「俺、高校三年間いじってた奴がいるんスけど、卒業式の日、そいつに絶対に復讐してやるって言われたんスよ……すぐ追いかけたんスけど、逃げられちゃって。もうあれから二年くらい経ったんスけど、何されると思います?」
襟足を弄りながら無造作に話してくる。本当にこんなコテコテの輩がいるとは驚きである。
それよりも『いじってた』だと。復讐といわれたのなら『いじめてた』の間違いであろう。そんな話を何故赤の他人である私に? 懺悔なのか、それとも悪事と思っていないのか、単なるお悩み相談室レベルで私をみのもんたとでも思うたか。
「それはあなたが何をしたかと、その子がどう思ったかによると思いますけど」
「俺がやってたのは……」
そこで聞いたのは王道かつ有りがちだが胸糞の悪くなる話であった。
私はそのつい数日前まで地元で天使姫――いじめられて消えてしまった友人――の様子を目にしていたが、あまり代わり映えしない話だ。
目前の男の所業はパシリとカツアゲが多かった。いじめている者の所持金が無くなれば親の金を盗んでこさせ、ある日からそれもできないと泣き出したので本やゲームを万引きさせて売ることで調達させる。犯罪という秘密を共有すると心理的に抜け出しにくい共犯関係となるが上下関係は決まっており、金も心もひたすらにたかり続けるアルティメットクズであった。
更に日常的な暴力で心を支配すると(人は自らの受ける暴力にさえ依存してしまうのだ)、今度は彼に命令して彼の愛するペットであるチワワを玩具にした。
池に何度も投げ込ませてチワワがその度に必死に泳いで帰ってくるのを眺め、手を叩いて喜ぶ。次第に疲れてくるチワワ。それを的にして石を投げる。幾つか外れた後、チワワの目と額に当たってストライクとなった。沈むチワワ。
仲間内で彼を半殺しにして骨折させたこともある。
暴力は仲間内の「ウケ」を狙って加速し、ある日は煙草の火を押し付けて無理やり全裸にして、彼をバイクで追いかけ回しながら花火で狙撃。ラリった状態でそいつの妹を無理やり。妹の自殺。遺書は無かったので動機は不明でホッと胸を撫で下ろした。などなど武勇伝のように語る語る。
正直もうその時は人間の暗部というか黒の章というかそんな話には飽き飽きで、率直に言って一秒も聞きたくなかった。
眉間に皺が寄るのが自分でもわかる。警察に電話した方がいいかとも思うが、とりあえず今は新幹線内でありトンネルが頻発して圏外である。それに警察や駅員に言ったところでこの話が真実である保証はなく、証拠がどうのと言われても困る。この男が本名を語るとも思えない。
乗客は誰だって目的地に向かって新幹線に乗るワケで、その日の計画がある。警察や駅員を呼んだり妙な事件にかかずらって時間を失ったりするのは誰しも避けたいところだろう。
新幹線は意外と匿名での危ない話が許されてしまう空間なのだった。
……とすれば私の職業を聞いてきたのも、うっかりプライベートの警察官に話しかけてしまうリスクを考慮してのことだろうか。
ごくナチュラルな阿呆面を見るにそこまで考えているとは到底思えないが。
「俺、大丈夫スかねぇ……あいつ、何してくるんスかね」
彼は不安そうに身体を窄め、小さくなったように見えた。そこまでやっておいて不安になる意味がわからない。後先考えない阿呆だからこうなる。
まさに自・業・自・得の極み!
彼にいじめられていた男の子は警察に頼むのではなく、自分の手で復讐しようというのだ。やられたらやり返す……倍返しか。その気持ちはわからんでもない。
不愉快になりドス黒い気分が湧いてきた。少しだけ復讐を予想してビビらせてやることにする。
「ペットは飼ってますか」
「いや、飼ってないスね」
なるほど。
「じゃあ……端的に言えばあなたは殺されるでしょうね」
私は眼を覗き込む。漆黒の瞳孔を取り巻く茶色の虹彩。彼は喉を鳴らした。
「あ……やっぱそっスか……」
「しかしそれは最終段階。それまでのプロセスがあるでしょうね。殺すだけでは、彼が受けた恐怖というのは伝わらないでしょう。あなたは余程彼から恨みを買っているわけですから」
飼育小屋のウサギのようにどこを見ているかも知れないまま、静かに何度も頷いている。
「まずはあなたの家族や彼女からでしょう。友達、兄弟それから彼女はいらっしゃるんですか?」
「はあ、ツレはいて、兄弟はいなくて、あと最近彼女ができたっス」
いるだろうとは思ったが、こんな男と付き合う女も見る目がないな。 女も何かしらの犯罪に加担しているだろうから、通報する可能性も少ない。
「となると彼女からでしょうね。二年何もしなかったのも彼女ができるのを待っていたからでしょうし。幸せから不幸に落とすために。あなたが彼の妹に手を出したというのなら――同じことをされるか、もしくは触りたくもないので単純に殺されるか監禁して拷問するか――まあ、次手のために彼女を誘拐したら殺さず監禁でしょうね」
彼は眼を見開き、Tシャツの胸のあたりを掴んだ。
「やがてあなたに手紙が届く。宛名も住所もない。差出人も書かれていない悪質な悪戯。印刷された無機質な文字で。お前の行動は筒抜けだ。部屋の中は監視しているぞ。警察に知らせると彼女を殺す。誰かに相談しても殺す。両親に話しても殺す。読んだ手紙をただちに焼き捨てなければ殺す。親に『一週間くらいツレ(○○と△△)とバイク旅行に行く』と言って街外れの廃工場に○○と△△と来い。あなたには、その名前が一緒に彼をいじめていたメンバーなので犯人がピンとくる。犯罪歴や麻薬も所持していて警察に関わりたくないあなたは言う通りにしてしまう」
私は彼の様子を伺いながら、買っておいたいろはすみかんを一口飲む。
「監禁場所は人のやってこない街外れの廃工場。扉を開くと猿轡と縄で縛られた彼女が倒れている。あなた達は一斉にそれに駆け寄り、罠にかかる。足下には狩猟用の罠が仕掛けられていて――ググれば簡単に作り方もわかりますしホームセンターで材料も揃いますからね――あなた達を捕らえる」
新幹線は長いトンネルに入り、狂ったようにゴオゴオと風音を喚き散らしている。
「足を踏み込めば即座にワイヤーが肉に食い込むイノシシ用の罠。あなた達の目前で廃工場の重い扉は無残にも閉じられてしまう。マスクをつけた――恐らくいじめられていた彼が近寄ってきて、護身用スタンガンをあなた達の首筋に当て気絶させる。そうしてどのくらい眠っていたのか。叩かれて目覚めると、貴方は工場裏の庭に首まで土で埋められていることに気づく」
「うわあ怖いスね」
と言うわりには本気でそうなるとは思っていないのかヘラヘラ笑っている。
いいだろう……面白くなってきた。全ては想像力だ。
私は構わずに妄想を語り続けることにした。
★★★★
あなたが横を見ると、彼女や仲間二人が同じように頭だけ出している。畑の農作物のように。
全員ガムテープで口を覆われている。
そしてドンキで買った半魚人マスクで顔を隠した彼が――顔がわかると恐怖と畏れが半減しますからね――スタンガンの電流であなた達を脅す。研究者のような白衣を着ている。
「トんでる〜ア〜イデア! でっきるっかなっ?」
半魚人のおどけた顔に感情は読み取れない。片手のスケッチブックを開いて貴方達に見えるように置く。そこには「目玉焼き」と書かれている。
「目玉焼き、いかがっスかー? お好きですか?」
そう言ってあなたの彼女に近寄る。スタンガンをマイク代わりに向けると、彼女は小さく「ヒッ」と呻く。彼は取り出したクリップで彼女の瞼を挟み、両目とも閉じられないように固定する。
「半熟でも美味しいですねーでは今回の実験はダラララララララララジャン!! かーんーそうーざーいー」
半魚人は白衣のポケットから白い袋を取り出すと、彼女の前に屈む。
「これは海苔やせんべいの袋に入っている乾燥剤。シリカゲルのものもありますが、今回の中身は生石灰。これに水を与えると消石灰に変わり、発熱しますねー。オヤオヤ注意書きがありますねー食べない、開けない、濡らさない。禁水」
ビリィ!
袋を破る。中身が少し地面に落ち、彼女の目前の土に粉砂糖のように広がる。
「ところでざっくり言うと人間の目というのはほとんど水分とコラーゲンです。内部に光を通すために水分たっぷりの透明パーツが必要なんですね。目に熱を加えるとそこが白く濁って光を通せなくなる――つまり失明する、ということですね。焼魚の目を想像すると早いですねー」
彼女の髪を掴んで頭を後ろに傾け固定すると、無造作にスプーンで掬った生石灰を彼女の目にかける。
絶叫――なのだろうが、ガムテープ越しにくぐもった声が何度も聞こえるだけ。
あなたは反射的に目を背ける。
「せんべい、せんべい、やけた。やけたせんべいひっくりかえせ」
歌と共に生石灰はどんどんかけられていく。やがて彼女は両目から湯気を立てながら動かなくなった。
その様子をまじまじと観察する。
「うーん、ミディアムレアな月見ですねー」
★★★★
二人目はその隣の男だ。一緒に彼をいじめた仲間。坊主頭にエグザイルのようなオシャレ刈り込みをしている。
「トんでる〜ア〜イデア! でっきるっかなっ? フフー!」
再びスケッチブックがめくられる。そこには「いっぱい食べる君が好き」と書いてある。
「ワカメいかがっスかー? 健康に、なりたいかー? おー!」
やはりスタンガンを突きつけるが、彼もガムテープで口を封じられているのでモゴモゴ言うだけだ。
「テレビで言ってましたけど、やっぱり健康って大事なんですねー。ワカメは素晴らしい海藻で、多く含まれる栄養素は食物繊維は言わずもがな、アルギン酸、フコイダンですねー。これは老化とともに増える動脈硬化や心筋梗塞を防いでくれますねー」
何が起きるのかわからないが、それが良からぬことなのはわかる。頬に汗が滴って落ちるが、あなたは拭うこともできない。
半魚人がスーパーのビニール袋から取り出したのは小さなパックだった。
「半魚人のマストアイテム、乾燥ワカメ……この『バイバイン並にごっつい増えるわかめさん』で健康になってもらおうと思うんですよねー」
そう言って口のガムテープを乱暴に剥がした。男のもみあげとヒゲが張り付いて抜け、少し血が出た。
男は激痛に声をあげたが、その後すぐに罵倒の言葉や仲間の復讐や暴力団の知り合いの話をし始めた。長々と演説を垂れた後、彼に呼びかける。
「俺を殺したらあいつらが黙ってないぞ……お前も手足もがれてコンクリ詰めで沈められんぞオイ!」
半魚人はゴソゴソと再びビニール袋を探っている。
「聞いてんのか!」
「あーすいません、『俺っちワカメ大好物なんスよ今ワカメアツいっスよねマジで!』までしか聞いてなかったですー」
そう言って取り出したのは、薬局などで手に入るアングルワイダーだ。これは人間の口を開かせておくために歯医者やSMプレイで使われる開口具。素早く男の口にあてがい、洗濯バサミで鼻を閉じさせる。これで、口に入ったものは飲み込まなければ息ができない状態になった。
「さて人間の胃袋は通常片手の握りこぶし程度と言われています。ここに食物や水を詰め込むと伸びて更に入る、と。人体の神秘ですねー。通常、男性は最大で約2.5〜3キロ入ります。食べているうちに少し胃液で溶かされ小腸に送り込まれることを考えると、正味3キロで胃はパンパンになります」
男の表情が固まった。
「この『バイバイン並にものごっつい増えるわかめさん』は水で十分ほどかけて戻すと最低でも約2倍以上に膨れます……なるほど。一袋が200グラムだから、つまり十袋で4キロですねー」
開きっ放しになった口に先程の乾燥ワカメを十袋ザラザラと流し込んでいく。時折、詰まったら水を飲ませる。彼はまた歌い出した。
「あーぶくたったーにえたったーにえたかどうだかたべてみようーむしゃむしゃむしゃ。まだにえない」
男は涙目になりながら無理やり食道に乾燥ワカメを押し込まれていく。全てを飲み下した時にはぐったりしていた。
「むしゃむしゃむしゃ。まだにえない」
男は俯きながら必死に首を振る。あうあうと開きっぱなしの口から悲しげな声が漏れた。
「我慢しないでおかわりしなよー」
半魚人は駄目押しでもう五袋分――2キロ分になる――を押しこみ、それが嚥下されるのを満足げに見届ける。それからアングルワイダーを外して再びガムテープを何重にも巻いて、厳重に口を塞いだ。
十分ほど経つと、やがて男は痙攣し始め、喉か鼻の奥から屁のような破裂音を幾度も出した。膨れたワカメが行き場を失って胃を圧迫するだけでなく食道を逆流して上ってきているらしい。
しかし口腔内まで来たところで口は密閉されている。ワカメは鼻の穴に向かうが、勿論そんな小さな場所から出るのは不可能。男の頭が暴れまわったが、結局、窒息してピクリとも動かなくなる。
★★★★
あなたは気が気ではない。次の男はもうあなたの隣なのだ。気弱な男で先程からずっと泣いていてうるさい。
スケッチブックには「銀河のはちぇまれぇ!」と書いてあった。
「一度実験してみたかったんですよー。炭酸飲料は、シュワッとくる二酸化炭素を水分子で一つ一つ包んでいるような状態になっているわけですー。メントスの成分はその水分子をユルくさせて新しい泡を発生させやすくなるんですー。更にメントスの表面には沢山の微細な穴がありまして、そこは新しい泡ができる絶好の場所となるんですねーなるほどぉー」
半魚人はまたあなたの仲間のガムテープを剥がすと、許しを懇願する言葉を無視してワカメまみれのアングルワイダーを装着する。
「というわけで2リットルのコーラにメントス5個を入れると瞬時に泡だらけになり爆発して約2メートル噴出するのですね。これを俗にメントスコーラ、メントスガイザーと呼びます。人間がやると胃袋が破裂するとか、いやいや炭酸が気管や鼻から抜けて結局大丈夫だとか様々なことが言われてますが……今回は念のため鼻を塞いでおきますねー」
医者の、お薬出しときますねー、くらいのノリで取り出されたのは鼻栓と瞬間接着剤。男の鼻の内側と鼻栓にたっぷり塗ると装着して更にガムテープで押さえた。
「さて原理は不明ですがダイエットコーラの方がより噴出するらしいので、今回はそれでいきます。張り切って、どうぞー」
メントス二つ分――つまり28粒を男の口にばらばらと放り込み、プシッとペットボトルを開けるとすぐにダイエットコーラを注ぎ込んでいく。炭酸が抜けないようにできるだけそっと。
やはり口をガムテープで厳重に塞いだ。鼻も口も塞がれ、呼吸ができなくなる。
「かーごめかごめ、かーごのなーかのとーりーは」
半魚人は歌いながらあなたの頭を掴んで、メントスコーラの実験にされた哀れな男の方へ向ける。
「いーつーいーつーでーやーる」
彼の口のガムテープにコーラが少し染み出す。
「よーあーけーのーばーんーに」
鼻からポタリポタリと染み出す。
「つーるとかーめがすーべった」
鼻と目を繋ぐ鼻涙管を通り、目からコーラが噴出、茶色い涙が出てくる。
「うしろのしょうめんだあれ?」
コーラは鼻の奥から通じる耳管を通り、最終的には耳から出てきた。
「ラグラージ、ハイドロカノンだ! キモクナーイ!」
口のガムテープを剥がすと決壊したダムのようにコーラが流れ出た。
★★★★
いよいよあなたの番になった。半魚人が面を外し、あなたの耳元で低い声で囁く。
「お前だけは特別。呪ってやる。死んで死んで死んだら死んだ後もずっと死ね」
ガムテープを剥がし、突然立ち上がるとまた元のキャラクターに戻った。
「何が出るかなー? 楽しみですねー」
半魚人は二枚の薄い鉄板の端にそれぞれ半円が空いているものを取り出した。
鉄板を地面に置き、あなたの首を中心にその二枚を組み合わせると、半円が一つの円になり、首回りに隙間なくピッタリとはまった。
あなたはまるで鉄板のトレイに置かれた生首のようだ。その口にはガムテープ、あなたはされるがまま。
彼はそこでスケッチブックを取り出して開いた。「鼠浄土」と書いてある。
「ちょっとちょっと半魚人さぁん、今日は何を作るのぉ?」
彼は急に甲高い声を出して子供っぽい話し方をした。
「うん、キミは知っているかなぁ? 『おむすびころりん』って話。あるところにお爺さんがいました。山で芝刈りをしていると、おむすびを落としてしまいました。おむすびの転がった先は暗く深い穴でした。お爺さんは足を滑らせて落ちてしまいました。そこはねずみさんたちの暮らす穴でした。お爺さんはねずみさんからおむすびのお礼として大きなつづらと小さなつづらのどちらかをあげますと言われました。欲の少ないお爺さんは小さなつづらをもらいました。家に帰って開けてみると金銀財宝がざっくざくでした。その話を聞いたいじわるなお爺さんは、わざとおむすびを落として穴に入っていきます。そしてねずみのつづらを大きい方も小さい方も奪い取りました」
落語のように右を向いて話し、くるりと左を向いて別の人物に変わる。
「怒ったねずみは穴の中の灯りを全て消しました。いじわるなお爺さんは帰り道がわからなくなり、そのまま行方不明になりました。めでたしめでたし☆ というおはなしなんだよ」
あなたは思いつく限りのことを叫んでみる。泣いてみる。笑ってみる。交渉してみる。
しかし彼は全てを無視して一人芝居を続ける。
「へえ、でも山のことに詳しいんだね! 半魚人のくせに」
「『さん』をつけろよデコ助野郎! さてねずみさんたちは地下に住んでいたわけだけど、今はその神格が失われてしまっているんだね。だから僕はねずみさんたちをそこに帰してあげようと思うんだ」
「へえ、でも簡単じゃない? 穴を掘ってそこにねずみさんたちを逃がせばいいんじゃないの」
「ちっちっちっ、それがガキンチョ素人の浅はかさだよ。僕が言っているのはねずみさんたちを地下の世界に帰すってこと。ねずみさんたちが住んでいたのはただの地下じゃないんだ。民俗学で言う異界――死者の国――日本神話の『根の国』のことだよ。ねずみが『根住み』を語源とすれば頷ける話だよね」
「へえ、でも死者の国なんてそう簡単に送れるものなのかな」
「簡単だよ。生と死の間に立って橋渡しする生贄がいれば、ねずみさんたちは渡っていけるからね! その人がこの世とあの世を結ぶ『境界』――つまりトンネルのようなモノになればいいんだ」
「へえ、でも人間はトンネルにはなれないよ」
「考えてごらんよ。人間には一つの『穴』があるんだ。口から入って、食道、胃、小腸、大腸、肛門から出る。ホラ、繋がった」
「うわあ、ホントだね☆ でも、その人はどうなるの」
「ああさっきからデモデモうるせえなあ! 新大久保と首相官邸前が最近ホットだから行ってみたら?! その人の魂はずっとねずみさんと根の国で呪われながら暮らしますよめでたしめでたし!」
彼はそこで静かになり、料理の材料を眺めるようにあなたの方を見やる。四匹のネズミが入ったケージを持ってくる。忙しく動いてちうちうと鳴いている。赤い目でミミズのような尻尾をしている。
「……さてここに鉄製の箱があります。これをあなたにかぶせます。そしてガソリンをかけて火を付けると、この鉄の箱は熱くなるわけですね。そこにネズミがいると、さあどうなるのか。答えはやってみなくちゃわからない、大科学実験で」
彼は手早くネズミを掴んであなたの顔に投げつけると鉄の箱で蓋をした。視界が真っ暗になり、至近距離のネズミの獣臭さが鼻をつく。
あなたは頭ひとつだけネズミと共に閉じ込められたのだ。バシャバシャと外から音がしてガソリン臭くなり、続いて一気にサウナのように暑くなる。ネズミは熱い壁から逃げるように箱の中を駆け回る。
次に何が起きるかわかる。
ネズミは熱いから逃げようと地面の下を目指そうとする。しかし下は先ほどの鉄製のトレイだ。少しの隙間も無い。
「ずいずいずっころばし、ごまみそずい。茶壺に追われて、とっぴんしゃん。抜けたら、どんどこしょ」
ネズミが息をしているあなたの口へ逃げ込もうとするが、なんとか吐き出し口を閉じる。暗闇の温度はどんどん暑くなっていく。
ハイで躁的な歌声が聞こえる。
「俵のねずみが米食ってちゅう、ちゅうちゅうちゅう」
頬と喉に痛みが走り、ソーセージを食べるような音がする。齧られているのだ。痛みよりもその状況が恐ろしくて仕方ない。
言葉にならない声が箱の中で響く。
「おっとさんがよんでも、おっかさんがよんでも、行きっこなしよ」
あなたの頬や喉から入りこんだネズミが胸を駆け降りて行くのがわかる。鳴き声が中から聞こえる。
「井戸のまわりで、お茶碗欠いたのだぁれ」
★★★★
彼の顔を覗き込むと、瞳孔が開いているのがわかった。同時に口元を押さえて静かになっていた。
「……と、なるかもしれませんよ。すいませんねーハハッ」
私は得意げに笑った。N氏が横にいたら頭を叩くような、嫌な顔だったろう。
「いや、あざっす。勉強になるっス。おれ、バカだからそういう想像ができないっていうか、全然思いつかなくて……」
そこで目的の駅に着いたので私は挨拶もそこそこに降りた。感謝されても嬉しくはないが、何というか――少しカタキを取ったような気分で在来線に乗り換え、橙色のうろこ雲の下を帰った。
数日後、色々と考えて私は自分が嫌になった。
全く反省の色のない彼を少し懲らしめてやりたかった。それが始まりだった。
彼にいじめられた者のことを少しも知らないというのによく言えたものだ。誰がそんな回りくどく悪意に満ちた復讐をするのか。私だけだ。徹頭徹尾、それは私の復讐だった。正義を傘に着て堂々としたものだ。オカルト界隈で得た知識や想像力を活用して。
何故そういう気持ちになったのかと言えば、N氏の家でテレビを見たからだ。桃鉄を終え、ふと面白い番組がないかとチャンネルを回しているとニュースが映った。
手が止まる。
自分が新幹線で語った復讐と全く同じことが説明されていた。
「……強い怨恨が手口からわかります。容疑者は動機について、高校時代に酷くいじめられたからと供述しており、また被害者と何らかの関係があったと思しき容疑者の妹の自殺も、今回の事件の引き金となった可能性があるということで、引き続き取り調べが続いています」
彼から聞いた話の通りだった。しかしこんな偶然があり得るのか……彼は殺されたのか?
「被害者は……」
そこに映ったのは、新幹線で会った彼ではなかった。彼は被害者ではなかった。
彼は、容疑者の方だった。
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