中編 お姫様への目覚めの……
シルヴィンと騎士団は、シスターらが見守る中今日も訓練に励んでいる。
無論、それは脅威たる【魔種】や外敵への備えではあるが……、すでにリリィはその対象から外れつつあった。
それだけ平和で……、穏やかな日々であった。
――まさかかつての災厄の中心である【魔種因子】保有者が近くにいるとは思わなかった。
実際は、砦には当然【魔種】への警戒システムは存在している。しかし、かつての【魔種因子】保有者――、特にレイレノールの如き高度な欺瞞を行える【魔種】に対する対策にはなっていなかった。言ってしまえば、そのようなクラスの【魔種】は、ここ百年にかけて脅威として現れなかった、からである。
だから――、
「ん?」
シルヴィンが不意に嫌な気配を察知する。
それは今までにない【魔種】の悪意の乗った思念。
「……? リリィ殿……なわけはない!」
シルヴィンは直ぐ様その方向を睨む。騎士団は困惑の表情で隊長の動きを見た。
――そこにその闇の紳士が立っていた。
「貴様!! 魔種?! ……だと? それも……」
――相当高位?!
その姿を騎士団とともに見るシルヴィン。
闇の紳士は恭しく丁寧に頭を下げて言った。
「月星教会の聖騎士団様がた……、ご機嫌麗しゅうございます」
「……?」
「……では、早速。死に給え……」
――!
常に訓練を積んでいるからこそ、彼らは即座にその剣を構えて実戦に備えた。
「……」
しかし、何故かその闇の紳士は動かなかった。しばらくして後ろを振り返って言う。
「どういたしました? リリィ……?」
「ん? ああ……」
そう言って闇の紳士の背後からリリィがゆっくりと騎士団の前に歩いてくる。
それをシルヴィンは驚きの表情で見た。
「な? リリィ殿?! どういう事……、まさか……」
シルヴィンは一瞬嫌な展開を予想する。唇を噛んで剣を掴む手が震えた。
(……まさかもう一度寝返った?! いや……そのような……。あのリリィ殿が?)
そんな事は思いたくないが……、リリィはかの闇の紳士と共にあって。
「リリィ殿!! どうしたのです?! 何故貴方がそこに……!!」
「……」
シルヴィンが叫び……、そしてリリィが困惑気味に眉を寄せる。
「レイレノール……。アイツの声……」
「ふふふふ……、申し訳ありません。虫けらの鳴き声など聞きたくはないでしょう?」
「……」
そのレイレノールの言葉にはっきりと不快感を覚えるリリィ。
――彼女がこの【エルデンの魔窟】でひたすら祈ってきた内容を考えれば当然なのだが……、レイレノールはその独善で理解が出来ていない。
そう……この男は昔からこうだった……。リリィは静かに心の中でそう思う。
「レイレノール……」
「ふむ?」
リリィの敵意を感じ取って眉を寄せる。
その様子を見て……、シルヴィンはある程度の事情を理解した。
(……わざわざ聴覚を奪っている? 我らの声が届かないように?! そうなれば……、計画が狂う?! ならば……)
シルヴィンは怒の表情で闇の紳士を睨む。
「貴様!! リリィ殿になにをした!! 精神支配……ではないな?! 彼女を心変わりさせる何か……」
その怒りの言葉に……レイレノールは一瞬舌打ちする。
(……あの騎士はそこそこ察しが良い……)
故にレイレノールは頭を下げてリリィに言う。
「今はそのような話をしている時ですかな? 目の前にこれほどの餌があるのなら……」
――喰らうべきでしょう?
そう言って恭しく頭を下げる闇の紳士を、騎士団とシルヴィンは怒りのこもった表情で睨み、リリィは静かに「ふん」とだけ呟いて……、
――その鈎爪に鎧われた両手のひらをシルヴィンらに向けた。
(……マズイ!! これは吸精能力?!)
シルヴィンを初めとする騎士団らは、苦しげな表情でリリィの姿を伺う。
――剣を……向けねばならぬのか?!
シルヴィンも騎士団らも……ただそれだけを想った。
「……」
「……」
「……?」
「……ん?」
しかし……、何も起こらず、レイレノールすら困惑気味に眉をひそめる。リリィもまた異変にやっと気がついてその両手を見つめた。
「リリィ殿?」
静かにシルヴィンが呟く。それにまるで反応するかのようにリリィも呟いた。
「……満たされておる? 飽和状態? ……どういう事じゃ?」
「……あ」
その瞬間、シルヴィンも騎士団らも、ある事実に思い至って……、そして理解とともに少し赤面する。
(……ユウト殿……、そうでした……。リリィ殿は……)
その時点で流石に焦りを見せだす闇の紳士。
(これは……、いや……、【魔性の渇望】が失われていた時点で気がつくべきだったか?! ……だが、まさかリリィの吸精能力が不全になるほど【満たされる】事など……あろうはずが……)
眉を寄せてリリィに言うレイレノール。
「どうやら手違いで……。何やらその能力は不全である様子……、その手で直接殺すのがよろしいかと……」
「……む」
リリィはレイレノールを睨み――、自身の手を睨み――、そしてシルヴィンら騎士団を睨んだ。
(……なんだ? これは……)
しかし、ここに来てやっと自分に起こっている異変の正体に気がつく。
――人を殺す気が起きない。
かつては拒絶された事もあって、恐怖とともにあった怒と戦闘意欲が……湧かない。
――しかし、目の前の騎士どもは自分の敵……。
リリィはそう思い直してその鈎爪をシルヴィンらに向けた。
次こそは……と、苦しげな表情を作るシルヴィン……だが。
……ちょおおおおおおおおおおおおおお、っと、……まったあああああああああああああああああああああ!!
砦の壁に反響するほどの声で男が叫ぶ。
シルヴィンが……、騎士団らが……、そしてレイレノールが、その声のした方向を見た。
ドドドドドド!!
土煙をあげつつ(!?)男が【エルデンの魔窟】の入口から走ってきた。
そして――、
「こら! リリィ!! 何してるんだ!!」
「……?!」
いきなり目の前で……、それもかなり近い位置で男が怒った表情で自分に何かを語りかけてくる。
――いや、近い――近すぎる。
(……な、んだ?)
自分は後天的ではあるが【魔種】――、それも吸精能力を持つ大婬婦とすら呼ばれている女。
――そんな自分に、この男は余りに近くで何かを訴えている。
「ユウト殿! リリィ殿は……その男に……」
「あん?」
その時になってやっとレイレノールの存在に気がつくユウト。
「なんだよテメエ……」
「ソイツがおそらくは何らかの精神支配を……」
「なにぃ?! て、めえええ!! 人の嫁さんに何してんだコラ!!」
そう言って怒りを向けるバカ面の男に、レイレノールは驚きの目を向ける。
(……?! これは……、いや……、まさかコイツが?!)
……それを危険に思ったレイレノールはリリィに向けて言う。
「なにをしているのです? その人間は貴方を害するものですよ?」
「……って、はあ?!」
さすがのその言葉に怒を通り越しかけるユウト。
一瞬、ユウトと……冷たい目をしたリリィの視線が重なった。
「りり……」
ガシ!
リリィがその腕を伸ばして……、当然のように、ユウトのそのド頭を掴んだ。
リリィの方が背が高いので、足がつかない状態にまで釣り上げられた。
「あだだだだだだだだだ……」
「……? ……?!」
「……痛いっていうか……、なんかむっちゃ懐かしい!! あったよねコレ!!」
ユウトが痛みを訴えつつキモい動きをする。リリィは眉を寄せて考える。
(……なんか……とても掴みやすい)
リリィは何故か心に温かいものを感じた。
さすがの事態に絶句するシルヴィンら……だが。
ドサ!
直ぐにユウトは解放された。
「あてて……」
痛みを堪えるユウトを見つめながらリリィは思う。
(……本当になにが起こっておるのじゃ? 満たされて……、殺戮衝動も消え失せて……、この心に湧き上がるものは……)
シルヴィンは今こそ……と解釈してユウトに叫ぶ。
「ユウト殿! リリィ殿は周囲の音を……、声が届かなくされております!! それをどうにか!!」
「え?! マジかよ?! ……!!」
何やら嫌なものを感じたレイレノールは、その根源であるユウトを睨む。そして――
「魔種よ!!」
動こうとして……シルヴィンの剣の動きがそれを一瞬止めた。
そして……、だからこそ間に合わなかった。
「リリィ!!」
「……?!」
突然、ユウトがリリィに向かって抱きついてゆく。リリィは困惑してその鈎爪を……。
「んんんんんん……?!」
……振るう前に唇を奪われた。
「……。は?!」
あまりの事態にシルヴィン初め騎士団ら、そしてレイレノールすら思考停止していた。
目前で――、ユウトとリリィが口づけを交わしていた。
「……!!」
「……」
「……?!」
「……」
「……」
しばらくの後……、リリィが脱力する。そして――、
「……て、なにおおおおおお!! バカモノ!! 皆の前ではしたない!!」
「うお?!」
ユウトはリリィに突き飛ばされて転がり……、そして、リリィはいつもの調子でユウトに怒を示した。
「……な、に?!」
それは……、レイレノールにとって困惑とともに、恐るべき事態であった。
仕掛けた術式が丸ごと消え去っていた。
(……何だ? 何が起こった?! ありえぬ……、何か解除魔法が働いた気配もなかった……)
この事態を招いた原因はこのバカ面の男である事は明白。そして――、
「目さめたかリリィ?」
「うえ? あれ? 妾は……」
リリィが一瞬の逡巡の後にその鈎爪を後方に向かって薙ぎ払う。それをレイレノールは素早く躱した。
涙目でリリィがレイレノールを睨む。
「……貴様!! 妾に……、取り返しのつかぬ事をさせようとしたな!!」
「これは……、そういうことですか?」
「妾の……、大切な場所を……」
流石のリリィも怒りが収まらず、その表情が凶悪なものへと変わる。
「……大切な場所……。そうですか……その男が……愚かにも」
「何だと?!」「何じゃと?!」
ユウトとリリィが二人一緒に叫ぶ。それを見て静かに目を瞑ってレイレノールは言った。
「……そこまででしたか……。これは……、どうやって彼女を満たしたのかは分かりかねますが……」
――貴方がこの哀れな娘に――、
――甘い幻想を想わせた元凶だと。
そのレイレノールの言葉に怒を顕にするリリィ。
「何が幻想じゃと!!」
その怒の言葉にレイレノールは静かに答える。
「このまま皆に受け入れられる……と?」
「う、ぬ……」
「……ここだけの箱庭でしょうに……」
その言葉を聞いて……、ユウトは静かに眉を寄せ、リリィは怒りを表し、シルヴィンは……少し驚いた表情を作った。
「テメエなにを言って……」
「……甘い幻想を抱かせた貴方を……わたくしは許しません……」
「……?!」
冷たい瞳でユウトを見るレイレノール。
「貴方は取り返しのつかない事をしました……」
「テメエはなにを言って……」
睨むレイレノールからユウトを守るように、リリィが視線を遮った。
それを見て――、レイレノールはため息を付いて。そして、頭を下げる。
――そのまま空へと舞い上がった。
「テメエ逃げるのか?!」
ユウトの言葉に少し止まるレイレノールだが……。
「それは……貴方もまた箱庭の主であった……と?」
不意に誰かがそうレイレノールに声をかけた。
その場の皆が――、ユウトが、リリィが、そして騎士団の皆が……、シルヴィンを見る。
――そしてレイレノールは一瞬振り返って答えた。
「……そのような記憶はありませんな……」
「……」
そして、その【魔種】――レイレノールは姿が霞のように消えていった。
ただ困惑の表情で皆はその消えた先を見つめていた。
◆◇◆
闇夜を飛ぶ紳士――、その心の中で言葉がリフレインする。
『それは……貴方もまた箱庭の主であった……と?』
――箱庭の主……、
その時にユウトのあの顔が浮かぶ。
(貴方はリリィに救いを与えたつもりでしょうが……、それは違います。……貴方は絶望へと彼女を向かわせている……)
静かに胸に収めている【魔石のペンダント】を握る。
(……貴方は……必ず……)
――私と同じになるでしょう。
静かにあの男――ユウトに憎悪を宿すレイレノール。
それは理不尽であり……、そして悲しい事であった。
◆◇◆
――兄様。
――ん? 何だい?
――いつ姉様に告白するの?
――ブ!! ――何を!
――早くしないと、姉様……、別の人に取られるかもよ?
――く、このマセガキが……。
――ふふふ。
………………。
…………。
……。
――ねえ兄様。
――……。
――何故、兄様は……。
――……。
――姉様を殺されたのに、……アイツに頭を下げているの?
――……。
――答えて……。
――兄様……。




