前編 闇紳士レイレノール
かのグラーベン王国の、その南に位置するとある村。
【月星教会】が国教となり、それゆえに【魔種】への差別が消えつつあっても、完全に消えたわけではない。
古代【魔種】の脅威にさらされていた土地柄がゆえに、その【魔種】の血が含まれていれば、やはりよく思わない偏見を今も残す人々はいた。
「いたい!」
耳がすこし尖った幼い少年が、そこ一帯の乱暴な少年とその取り巻きに囲まれて石を投げられている。
その少年らは、大人に見られれば叱られるからこそ、そのか弱い【魔種の血を引く少年】を誰もいない村の郊外に連れて行って虐めていた。
「この【魔法使い】の手先め! 聖騎士団が退治してやる!」
【魔種の血を引く少年】を虐めている少年たちは、その自分たちが演じている【月星教会】とその聖騎士団もまた、【魔種】に連なる者である事実を理解していない。
そういった知識が至らない子どもゆえに、残酷に間違いを犯して平気なのである。
「やめてよ……」
とうとう少年が泣き始める。それを勝利と受け取った乱暴者は、その手の木の枝を剣に見立てて空に掲げた。
「よっしゃ! 邪悪な【魔種】は退治されたぞ!」
そう言って少年を囲んでケラケラと笑う。――と、不意にその場に一迅の風が吹いた。
「……そうそう土地柄とは変わらぬものだな……」
不意に聞こえるその言葉に、乱暴者達はビクリと身を振るわせて、風の吹いてくる方へと目を向けた。
「ひ……!」
そこに、片眼鏡をかけて黒いスーツを着込んで、シルクハットを被った――、その手に蠢く杖を手にした男が立っていた。
そして、乱暴者たちが恐怖を覚える最大の理由として――、その額に【第三の目】が開いていたのである。
――それは明確に【魔種】であった。
「結局、月星教会があろうが……、人は彼らを異常とみなす……。何より……自分たちが平穏であるために、外敵を作らねばならぬように……」
そう言って乱暴者たちの方に歩いてゆく【魔種】。
乱暴者たちは怯えた様子で後退る……が――。
ガス!
その杖が一閃されて乱暴者たちが軽く飛ばされる。……呻きながらも何とか生きている。
そうして、虐められていた少年のもとへと歩いてゆく……が。
「ひいい……、殺さないで!!」
その少年もまたその【魔種】に怯えきった目を向けた。
「……」
それを見た【魔種】は、静かに小さくため息を付いて、周りに聞こえぬ小さな声音で呟く。
「そうであった……、我もまた……、この子にとっては外敵であった……」
――詮無きことをしたものよ。
(……あの子……、リリィの事があるがゆえにこの国に帰還したが。……わが主の言う通り、我は少々密かに出来ぬ性分だな……)
そして再び一陣の風が吹いて――、その闇の紳士はその姿を消した。
あとに残されたのは怯えた少年たちだけであった。
◆◇◆
その日の昼間、【エルデンの魔窟】の周囲に築かれた砦の食堂で、グラーベン王国に昔から継承されてきたある伝統的庶民料理が出された。
鶏肉を特別な油で揚げた上に、白いソースと黒いソース――、いずれかをつけて食べる料理であり、ユウトとリリィはいずれもそれぞれの意味で初めて食べる料理であった。
とても仲良く舌鼓をうっていた二人であるが……、しばらくすると妙な事になり初めていた。
「……」
シルヴィンは苦笑いをしながら目前の光景を見ている。無論、それは周囲の騎士たちやシスターらも同じであり……。
「うぬぬぬ……」「むううう……」
ユウトとリリィがお互いに背を向けて怒りを表している。小さくため息をついたシルヴィンはユウトに向かって言った。
「ユウト殿……、別にいいではありませんか……。リリィ殿も良かれとおもって……」
「んだよ……。やっぱ騎士様は、常に御婦人の味方ってか?」
「……む(汗)」
心底困った……とシルヴィンは腕を組んで首を傾げた。
「……あの、隊長? なにがあったんっすか?」
別の場所に居た騎士の一人が、鶏肉を頬張りながら隊長に問う。その行儀の悪い様子に――額に怒りマークを浮かべながら答えた。
「ああ……、リリィ殿が大皿の上にある鶏肉全部に、黒いソースをかけてしまったのだ……。というか、貴様は立って食うな……、座って食べなさい」
「……ああ……」
その隊長の言葉に……騎士はさもありなん、といった様子で生暖かい笑顔で元の席へと帰っていった。
皆は当然理解していた――。この料理では稀によくある事なのだ。
それで大喧嘩に発展して血を見た例も……ある。
(……困った……。ここまで仲が良いところしか見てこなかったが……)
周囲の皆が困った表情でユウトとリリィを見つめている。
なにせ相手はかの【大魔女リリィ】とその夫である。夫婦喧嘩がこじれれば――王国の存亡にすら関わる。
まさしく――、家庭でよく起こる内容で王国存亡の危機が迫っていた。
「妾は……、黒の方が美味かったから……」
「だからって、みんなにかけるかよ……。一つ一つ食う時につけるもんだろ?」
「……それは……そうじゃが……」
その様子にシルヴィンが助け舟を出す。
「リリィ殿は、自分が美味しいと感じたからこそ、ユウト殿に楽しんでほしかったのでは?」
「う、……ぐ」
その言葉に少し苦しげに呻くユウト。
「あと……、リリィ殿も……、いくらそういった想いがあるからとて……、全てに一気にかけてしまっては、彼の自由がなくなりますし……」
「う、む……」
その言葉に少し俯くリリィ。
その後、二人は静かに互いの方を振り返って、互いにバツの悪い表情をしている。
「まあ……そうじゃのう。確かにこのままでは白が無駄に……」
少し反省した様子でリリィが呟く。それをしばらく見つめていたユウトは、しばらくして何か閃いて笑顔を作った。
「リリィ……」
「ん?」
笑顔のユウトが白のソースを、黒のソースのかかった鶏肉にかける。
その光景を少し驚いた表情で見つめるシルヴィンと騎士団の面々。
そしてユウトはその鶏肉の一つを取って一口自分でかじる。――その後に笑顔で別のものをリリィに差し出した。
「これって……」
その鶏肉を美味そうに食べるリリィ。シルヴィンは少し驚いて他の騎士に聴いた。
「これって……、たしか……」
「あ、ははは……。たまに子どもがやる邪道食いですね(笑) 一般には行儀が悪いとされている喰い方ですが……。俺も昔はよくやりました(笑)」
そう言って仲良く鶏肉を食べ始めた二人を、シルヴィンや騎士団の面々は優しい笑顔で見つめる。
(邪道食い……、行儀の悪い食べ方が……)
――この国を救ったか。
そう心のなかで思いながら……、シルヴィンは、自分もまたそれを口に運んだのである。
◆◇◆
昼食を終えてユウトが魔窟の奥へと引っ込んだ後、リリィもまた騎士団の訓練風景を静かに見てから魔窟の奥へと足を向けた。
魔窟には現在、明かりが設置されており、薄暗いながらも以前よりは遥かに明るい。
それはリリィ自身の心も同じであり――、それ故に……、
――多分油断しきっていたのだろう。
「……リリィ」
「――!」
不意にかつて聴いた声……、そして、今聴きたくない声が聞こえてきた。
「……な?!」
急いで背後に振り返るリリィの、その目と鼻の先に蠢く杖が見えた。
「……く、あ……」
その目から色が失われる。その杖の持ち主――、額に第三の目を持った闇の紳士が静かに言葉を紡ぐ。
「復活したのに何も起こっていない……。それを不思議に思っていましたが……。人間と馴れ合っていたのですか」
「れ、いれ、ノール……」
そのリリィの言葉を聴いて静かに頷く闇の紳士。
「はい……レイレノールでございます。我らが同士……」
白濁しつつある思考の中でリリィは疑問を得る。
(……な、ぜ? シルヴィンの話、では……、あの魔、法使い、……と)
そこまで思考すると、リリィはなんとか意識を振り絞りつつ言った。
「貴方……、し、んだ……、はず?」
「騎士団にそう聞きましたか? そう伝わっている……と」
――!
その瞬間、リリィは嫌な想いが宿る。
なぜなら――、この目の前にいる闇の紳士こそ――、
――かつて、【旅の魔法使い】によって【魔種因子】を埋め込まれた――、
――【魔種因子】保有者の一人であったからである。
(……まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか……)
リリィの脳裏に――、あの薄ら笑いを浮かべた【旅の魔法使い】の姿が浮かぶ。
「……人は……、殺すもの……。あの者たちに必要なのは……」
――嘆きと絶望――、でしょう?
闇の紳士が静かに哀しげな目でリリィを見る。
「……どうも、なにかの理由があって【魔性の渇望】が失われて……。その果てに彼らと友好関係を築いた……、と言ったところでしょうか?」
――ならば。
闇の紳士レイレノールは静かにその【第三の目】を起動する。
「……これは貴方のためです……。彼らのような存在を信じてはなりません。また……、あのような悲劇は……、起こすわけにはいかない」
闇の紳士がその【第三の目】の力を浸透させてゆく。その瞬間――、
――昼時の軽い夫婦喧嘩騒動の記憶が消えた。
――砦を建てている工事現場の人達に食事を作ってあげた記憶が消えた。
――騎士団に取り押さえられて、そして彼らに少しだけ受け入れられた記憶が消えた。
――ユウトと一緒に食卓を囲んで、幸せだった記憶が消えた。
――ユウトと――、初めて――、……彼を想い始めた時の記憶が消えた。
――消えていった。
そして残ったのは――、人間に追われて、閉じ込められて……、ただ泣きながら祈り続けるかつての自分。
今だ人間が信用できなかった――、その時の――、
――大魔女リリィ。
静かに冷たい目を開けるリリィ。闇の紳士は仕上げに、自分以外の声が聞こえないように、リリィの聴覚に細工を施した。
(……まあ、念の為に……)
そう心の中で想いつつリリィに言う。
「目覚めましたか? リリィ……」
「……貴様……、レイレノール? 生きていたのか?」
「はい……そのとおりです」
頭に手を当てて首を振るリリィ。
「妾は……、封印から出られたのか?」
「……ええ、私が解きました……。ただ……」
「……?」
魔窟の出入り口の方を杖で指しながらレイレノールは言う。
「この魔窟の周囲は……、例の月星教会聖騎士団の要塞に変わっております」
「ほう?」
そして闇の紳士は静かにリリィに頭を下げる。
「……しかしながら……、貴方になら彼ら程度……、皆殺しは造作もないでしょう?」
そういうレイレノールにリリィは静かに答えた。
「……まあ、そうじゃな……」
そのリリィの瞳には――、表情には――、これまでの優しさは欠片も残ってはいなかった。




