3-2 波は寄せ
「テレビ、経費で落ちそうかな?」
「購入目的の欄が『娯楽のため』では難しいかと存じます。……なぜそうも真っ正直に」
「え、駄目?」
パーテーションの向こうから聞こえる会話を聞き流し、ロエはソファで絵本を広げていた。ゲスト対応室に置かれている備品の一つだ。子供の対応用であり、子連れの対応用でもあるそれを、ロエは興味深く眺めていた。少し年季の入った装丁で、画風は淡い色彩だ。目を瞬きながらページをめくる。絵と共に綴られる英語のアルファベットは、古代ギリシャ語のものと少し似ている。お陰でロエももう覚えていた。ただ表音文字の都合上、発音は予想できても意味までは理解できない。文字も絵の一部でしかなく、ロエはただ芸術を鑑賞する心地で一枚、一枚を見つめる。
金髪の小さな子供、鳥、花、狐。
「終わったよ」
パーテーションから顔を出したカキアに、ロエは顔を上げて絵本を閉じる。書類を抱えたキラもカキアの後ろから続いた。
「この後はお二人でお出掛けですか?」
「いや、お出掛けってほどじゃないんだ。急に料理したいとか言い出すもんだから、帰りにマーケット寄るかって話で」
作業関連の書籍の脇、申し訳程度に数冊並ぶ絵本の間に、手元の一冊を仕舞う。
振り返ったところで、ロエはキラが纏う空気に戸惑った。
「料理、ですか」
「そうなんだよぉ。家でのメシなんて食えればいいし、うまいもんは外に食いにいけばいいと思うんだけどねぇ」
カキアの発言など意に介した様子なく、キラはヒールを鳴らして真っ直ぐにロエの前に立った。その近さに、ロエは初めてキラの容姿を認識した。普段ひっつめた黒髪とメガネの奥の冷静な黒い瞳、そしてその厳しい言動からとっつきにくい印象だが、近くで見るキラは意外と童顔で、それから身長が低い。
「室長代理は戦力外です」
ロエの胸ほどまでしかない高さで上目遣いに、キラは訴える。
「え、キラちゃーん」
「室長代理は料理の才能に一切恵まれておりません」
「キラちゃん、おーい」
「室長代理と料理をしようとなさっているなら、それは無謀と断じざるをえません。お考え直しを」
「無視しないで、キラちゃん……」
迫力だけは通じるが、ロエには言葉がまったく伝わっていない。困って通訳を頼るが、カキアは情けない顔で佇むだけだ。
どうしようかとロエは悩む。
──そんな状況に、甲高い電話のベル音は響いた。
すぐさまキラは身を翻らせ、デスクの方へと戻る。黒い受話器を拾う。
耳にした一声を、挨拶もせずに復唱した。
「濃霧発生!」
カキアもキラの元へ駆け寄り、緊迫した雰囲気にロエも続いて覗く。キラが聞き取る側からメモに書いていく内容を、カキアは確認する。キラが通話を終了するよりも早く、カキアは室長デスクから車の鍵を取った。
「係留場にて濃霧発生。波の発生は未確認。警察は出動済みとのことです。到着時には周辺住民の退避は完了しているかと」
「りょーかい」
「……わたくしも」
普段の覇気なく呟かれた言葉を、カキアはキラの頭に手を乗せて遮った。
「適材適所。ここで働かせてくんないと僕、逆にこの部署のお荷物になるからね。カッコつかせてよ」
軽薄に笑って、キラの頭を撫でる。
キラが唇を引き結ぶ。己の不甲斐なさを思い、その未熟さに瞬き一つで折り合いをつける。
「……髪が乱れます」
「ゴメンナサイ」




