2-2 グレーズド派?
「あんれま、どっかで見た男前」
街角に立って周囲を見渡していると、ロエはいつか見た男と目が合った。
車輪のついた箱──パトカーの傍らで、今日もデイブはドーナッツを食べていた。
「今日はちゃんと服着てるな。いくら男前でも節度と法律ってもんがあるからな、時と場所を選べてえらいぞぉ」
何も意味は通じないが、印象通りこの男が害意のない人間であるのはロエにも通じる。
「《カキアのとこに行きたい》」
「ん? ん? カキア……で、なんて?」
挑戦の結果は名前だけで終わった。しょうがないので、ロエは素直に名刺をデイブにかざす。
「何?」
名詞と自分を交互に指差す。
「カキア探してんのか? あいつ今時分は庁舎だろ。あ、庁舎の場所がわかんねえのか」
納得してデイブは全開の窓から上半身を突っ込み、車のダッシュボードから地図を引っ張り出す。ボンネットに広げると、ロエを手招いた。
覗いた地図の詳細な記載に、ロエは少し目を見開く。川の中洲、長細い葉っぱのようなこの街の形状が一目瞭然だ。
「今ここだ」
言葉と共に地図を片手で指し、もう片手で足元を指す。言語が通じなくても分かりやすいジェスチャーだ。
「で、庁舎はここ。行き方としてはひとまず大通りに出て、そっからはひたすら北上が一番迷わんと思うぞ」
指す位置が変わり、文字の記述が多い地域を指す。それからデイブはメモ帳にサクサクと今行った道順を記していく。
「ほいよ。簡単だし大丈夫だと思うが、迷ったら道に座り込んでな。食い終わって巡回戻った時、拾ってやる」
言葉にはすべて意味のあるジェスチャー付きで、渡された紙には道順と、目印になりやすい建物や看板が簡単にスケッチされている。それから右下の隅には、宣伝のようにドーナツが描かれていた。
ロエは口を開く。
「アリガトウ」
カタコトでも感謝の言葉が言えるのが、一週間の成果だ。
デイブはとびきりの笑顔とサムズアップでそれに応えた。
※ ※ ※
目当ての建物は少し手前からでも見つけられた。石造りの建物は他より重厚感があり、ロエには少し馴染みがある。建物前にはベンチがいくつか並び、歩道を挟んで路上駐車が連なっていた。二階まで伸びるポールで旗が二枚はためいている。視界上でちらつくのが気になって、ロエは国旗と市の旗をそれと知らずに眺める。
「あれ、もしかしてゲストさんです?」
横手からかかった声に、ロエは顔を向けた。
「うおっ、この顔面はやっぱこの間のゲストさん!」
なぜか陽射しでも避けるように顔を背けられて、ロエは首を傾げた。シャツにサスペンダー姿の若者は、ロエを直視しないよう薄目で見てくる。手までかざした拍子に、相手の持っている油の染みた紙袋ががさっと鳴った。
「すいませんっ、一身上のアレで美形は直視できなくて。ええっと何か庁舎でお手続きですかね? 担当課まで案内します?」
ひどく挙動不審だが、薄着で短時間外出していた素振りで、この建物の関係者──庁舎職員であることは察せる。
ロエはカキアの名刺を掲げた。
「カキアさんの名刺。……あ、普通に対応室目的ですか。なら二階です。ご案内しますよ」
問いかけの後に、沈黙が落ちた。じっと顔を見られて、若者は焦りを顔に浮かべる。戸惑い気味に一歩を踏み出す。
ロエはその動きを目で追うだけだ。
「えっ、通じてない!? えっと、付いてきてー」
二、三歩進んでも反応はなく、どうにか誘導しようと手のひらを上に、車のバック誘導並みの大袈裟な腕振りで手招いた。
そこでようやく、ロエははっと気付いた様子で後を追い始める。
動かすことに何とか成功し、若者はほっとした様子で庁舎の玄関をくぐった。窓口には手を挙げるだけで過ぎ、奥の階段から二階に上がる。廊下にはいくつも扉が並んでいた。開けっ放しの扉が多い中、ゲスト対応室だけ硬く扉を閉ざしていた。
「カキアさーん、ご新規さんがご用事ですよー」
若者は雑なノックの後、ほとんど返事を待たずに扉を開けた。
そこには並んだ机で作業するカキアとキラがいた。キラの手元でタイプライターのベル音とレールを滑る音がする。
「……マイケルくん、ノックの意味知ってる?」
「入りますよのお知らせです」
「入っていいですかのお伺いです。うち、機密も多いんだから君のためにも止めなさいね」
カキアが眺めていた紙を置き、椅子から腰を上げた。入る勢いだった若者──マイケルを押しのける要領でドア枠に手を置いて立った。
マイケルはめげない態度でカキアの横に立ち、口元を手で隠して小声で問いかける。
「……すいません、もしかしてご新規さん耳が?」
「あー……そっちじゃなくて言語の使用の方がね。たまにあるでしょ?」
「ああ」
納得の声を上げたマイケルは、反射的に室内に目を向けようとしていた。当然その視線はカキアの身体に阻まれ、何を見ることもない。
「案内悪かったね」
「いえいえ、目立ってたんで。じゃ、ボクはここで」
良い事をしたという充足感か、マイケルは笑顔で去っていった。
残された二人、ロエとカキアで向き合う。
「で? お留守番が寂しくでもなった? 《何かあったか?》」
「《何で今機嫌悪くした?》」
「なんだって?」
会話が成立せずに、カキアは思わず英語で聞き返した。
ロエが人さし指を、カキアの向こう、部屋の中に向ける。
「《会話中、あいつがそっちに注意を払ったら、なんか嫌な気分になってただろ》」
「君の感覚器どっかおかしくない?」
意味を理解できない会話の中、的確にそれを感じ取ったロエにカキアは少し唖然とする。
「《……今俺がどういう気分か、分かるか?》」
「《聞いたら駄目な話だったか?》」
「《俺がお前に聞かせる話じゃない。忘れろ》」
「《わかった》」
驚くほど素直に応じられ、カキアは拍子抜けする。
「《知りたかったんじゃないのか?》」
「《駄目だって言われたことは駄目で、やれって言われたことはやる》」
「《勇者ってのは随分使い勝手のいい駒だな》」
「《そうだったんじゃないか》」
「《……他人事だな》」
「《俺を使ってたのは俺じゃないから、使用者目線は他人事だな》」
ロエはあっさりとそれを言う。
カキアは顔をしかめかけた。けれど代わりにこもりかけた力をため息に乗せて抜き、ドア枠に置いていた手を離した。
「《何か用事があって来たんだろ。話なら中でするか?》」
半身を引いて、部屋の中に招く素振りに、ロエは首を振った。手に持っていた紙を差し出す。
「《落ちてた。いるやつじゃなかったか?》」
自信は半々ほどで、ロエは受け取ったカキアの反応を伺う。
カキアは紙に目を落として、それからバツが悪そうに頭をかいた。
「キラちゃん、あったわー」
「またご自宅にお忘れに?」
「えーっと」
「再三外出時は持ち物を確認するよう、ご注意申し上げておりますが」
言葉の圧にへらりとカキアは笑ってみせた。
両者見つめ合って、キラが席を立つ。手元の紙に、カキアの手から抜いた紙を差し入れ、パラパラと内容の連続を確認する。
「確かに受領いたしました」
「ごめんて」
「謝罪の必要はございません。同居の折から幾百と注意申し上げておりますが、わたくしの言葉には室長代理を変える力がないのでしょう」
「めっちゃ怒ってるよねぇ。違うってほら僕、決まり事とか習慣とか苦手でしょ?」
「ええ、ですから自身の力不足を恥じるばかりです。──ところでロエ様が帰ろうとなさっています」
「え」
振り返れば確かに、ドアの外にロエの姿がなくてカキアは慌てる。入り口から顔を出して廊下を見る。
「ちょっと待っ、《待て!》」
廊下を戻っていたロエは足を止めて振り返った。
「《何で帰ろうとしてる?》」
「《目的果たしたし、俺必要ないだろうし》」
「《……礼も言ってないだろ》」
「《別にいらない》」
本当に気にした様子もなく、ロエは言い切る。善意に対する対価を求める気がさらさらない。当たり前に感謝も謝罪も、欲しがる素振りはない。
「《……待ってろ》」
一言言い置いて、カキアは室内に戻った。
壁際のラックから、掛けていたコートを取る。
「お帰りですか?」
「礼して送ってくる。あの歳って何に喜ぶ?」
「ゲストに年齢の区分けは無意味かと」
「ごもっとも」
室長のデスクに近づき、引き出しから公用車の鍵を取り出した。




