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10-4 そうじゃない

「全部とは言いはしたものの、即こういうことになる?」

 素肌に触れるシーツの手触りの悪さ。揺れるスプリングの偏った軋み。鋳鉄製放熱器(ラジエーター)の放つ振動そのものにも近い低い音。尻込みする感情が、自宅の空間を改めて認識させ、雑多な情報の数に意識を逃がす。ぼんやりとカーテン越しでさえ明るい窓際。裸には少し寒い空気。

 暗い中、更に逆光なのになぜか分かる、こちらを射竦めて離さない青の瞳。

「僕ら割と高次な接続できるし、わざわざ人間的な交歓っているのかなぁ……って」

 逸らしていた意識が回帰して、緊張感を逃がそうと舌は滑る。

「全部って言った!」

「ああそうだねゴメンねっこれは僕が悪いね!」

 泣き腫らして目元を赤くした美青年にのしかかられる画角に、どうも脳みそが切り替わらない。これは一般的にそういう意味で盛り上がれる状況なのか、カキアには情報がない。

 時代ごとの常識は勝手に植えつけられるが、カキアの持つ性知識は生殖知識止まりだ。雌雄を揃えて交配させれば子供が産まれる。交合を順調にするため、種によっては快楽物質が分泌される。そのため人類は進化の果て、生殖行為さえ娯楽や交流の手段と捉えた。

 ゆえに、男同士でもその関係性は成り立つ。

「とりあえずっ、とりあえず外部からの観測遮って! ホントそれだけはお願い!」

 水底から浴室への転移を、ロエは難なくこなした。そこに新たな能力への戸惑いなど欠片もなかった。体勢が悪くてタイル張りの壁にカキアが頭を強打したが、皮膚感覚と合わせて痛覚もほとんど機能させていなかったので問題ない。びしょ濡れの衣服を脱ぎ捨て、シャワーで温まるまでは想定通りだ。

 その後抱えあげられ、全裸のまま寝室に攫われるのはカキアの想定外だ。

「多分、できてる」

「多分とか駄目でしょ。万全、完全、鉄壁じゃないと駄目でしょ」

「カキアの全部見る。俺だけ。だから、多分だいじょぶ」

 そういうことかと拙い英語に理由を悟る。観測を遮るという能力の使い方ではなく、カキアの姿を他の観測者に見せたくないという意識の話だ。その拒絶だけで、ロエは上位者の視野にまで干渉できる。

 困ったと、カキアは内心呟く。そう願ったのは自分であっても、尻の座りが悪いような、もぞもぞと身じろぎたくなる衝動がずっとある。肩に置いた手のひらから、絶えずロエの感情は伝わってくる。

 カキアだけの神。貶めず、利用せず、見下さず、カキアのために存在する神。

 混ざりっ気のない想いに、押しとどめていた手を退かせる。

「観念するからさ……、──僕初めてなんで、お手柔らかに頼める?」

 天井を背景に見上げる蒼穹の瞳は、どこまでも美しくカキアの目に写った。



  ※ ※ ※



「う、ぁ、ぁあっ」

 神経を伝播する身体感覚の情報の濃さに、脳みそが白く焼き付く。

「君っ何かやってるだろ!?」

 息を整えるのに大分かかる。何とか発声できるだけの力を取り戻し、股の間からロエを見上げてカキアは問い詰める。その追及は確信に満ちている。

 なのに、ロエの反応は鈍い。白い頬を上気させ、愛おしさを一切隠さずに目尻を緩めてカキアを見ている。

 こめかみに、手が伸ばされる。髪を梳き、地肌を指先が通る感触一つに、カキアの唇は堪らず吐息をこぼしそうになる。

 注がれる、無垢な眼差し。

「いや誤魔化されないからね」

 手首を掴んでカキアは睨んだ。

 懐柔というのは未知の領域だが、千年我を貫いた強さは変わらない。

「カキアに気持ち良くなってほしい」

「始まりが善意なのは分かったから素直に言いなさい」

 怒らないとは絶対に宣言しない。己の舌で自縄自縛を招いた反省はカキアもしっかりしている。

「……少しだけエロくした」

「誰だその単語君に教えたヤツ」

「学校近くのバスケコートの」

「クソガキどもから言語吸収するんじゃない」

 判明した事実に脱力し、持ち上げていた頭を枕に落とす。

「やっぱりかぁっ、この身体、大分雑な作りしてるのに何でだと思ったら」

 カキア自身も判別できない狭間にある身体だ。運動機能は割と人間らしいが、五感に関しては再現度が低いし、オフにもしてしまえる。とりわけ生殖的な機能はカキアの精神的にもほぼ機能しないはずだった。

 それがこのザマである。

「そういう押し付けどうかと思う」

「違うっ」

 腕に表情が隠され、途端にロエはカキアの横に寝転んで全力で抱き締めた。

「痛たた、分かった分かった。どう違うの?」

 悪意がないのは触れ合う肌から明白だ。必死さに、押し留めつつも聞く姿勢を見せる。

「押し付け違う。カキアの中にある。だから、重ねた」

「……ちょっと分かんないんで、昔の言葉の方で教えてもらっていーい?」

「ない」

「は?」

「前の言葉、流れた」

 息を詰める。平然と告げられた内容に、カキアは徐々に顔を歪める。

 忘却の川は神にすら作用する。一千年という時間で浸っていたカキアと、三十年もない時間で浸っていたロエでは、進行の速度は違い過ぎる。

「だいじょぶ。カキアの記憶、全部ある」

 カキアのせいで、英語の所々に崩した発音が定着してしまっている。

「言葉の状況、変わった。だからいらない」

 好きを求めてもいい。嫌だと言ってもいい。死はそれほど身近にない。困っていると言えば誰かが助けてくれる。

 それもこれも、今この時代、この街でだけの概念。昔の言葉とは、隔たった使い方。どう頑張ってもイコールでは結ばれないのだから、なくなってしまっても問題ない。

「……そっか。でもさすがに大変だから、後でちょっと対策しようね」

 胸板に顔面を抱き寄せようとするのには抵抗し、顔が見える距離で手を上げる。二度目に触れる金色の髪は少し湿っているが、それでも手触りの良さは変わらなかった。

 そうやって撫でた時、水かきをくすぐる毛先にすら、カキアは知らなかった感触がある。

「僕の中にあるってことは、僕が感覚切るのの反対みたいなこと?」

 自分の想像に顔をしかめる。倍増される痛覚など新手の拷問でしかない。

「違う。感覚育つ。育てる。育ったカキア、同じカキア。だから前払い……借り? 前倒し?」

 話を繋げて驚愕する。

「育てる、時間いる。今日余裕ないから今日だけ悪いことした」

 それはつまり。

「将来淫乱になるとかいう予告、僕どう受け止めたらいいのさぁ」

 カキアが仰向けに転がり、両手で顔を覆う。

 表情が見えなくなっても、ロエは落ち着いて肩に触れる。触れた先の、小さな規模でぐるぐると渦巻く風に、口元を緩ませる。

「恥ずかしい?」

「聞かれると余計にねっ」

 花でも咲きそうなご機嫌さを流し込まれては羞恥も落ちつくに落ちつかず、カキアは逃げてロエに背を向ける。

 当たり前に、ロエは背中からカキアを抱き締める。

「カキアが言った。俺が理解したら、なんでもできる」

 この街に満ちているのは純然たる概念、情報だけ。世界との垣根などなく、理解すればすべての事象を起こせ、万物になることもできる。

 それは最初に、カキアがからかい半分で告げたことだ。だが普通なら、世界の質量に負けて接続さえ叶わない。

「それが実行できちゃうわけか」

 カキアに関することであれば、ロエの力は及ぶ。

「……次からは一言断ってからしようね」

「分かった。ごめんなさい」

 素直に謝りながら、ロエはぎゅうぎゅうとカキアを抱き締める。寄り添う身体で、どうにも主張が強い部分がある。話は終わりにしてもいいかと、尋ねるようだ。

「……君、物理法則って知ってる? 穴の径よりデカいものは入らないんだよ」

 目を逸らしていた事実を、時系列さえ超えてしまえる神に訴える。

「うん。がんばろう」

「尻の穴に頑張れる要素なくない?」

「がんばる」

 一辺倒の応答に観念する。疑問にはしっかり答えてくれた辺り、カキアの心境に配慮はあるのだ。



  ※ ※ ※



 朝か、夕方か。外の気配を遮りきれず、カーテンは赤く染まる。

 時間を探るため、カキアは頭を巡らせる。あれはいつか。思い返す頭の働きは鈍い。おそらくどうにかこうにか一度交合を果たした後、ロエが部屋を出て、水のピッチャーとグラスを手に戻った。その時に電話をしたと言っていた記憶がぼんやりとよみがえる。それにどうこう考える暇はなく、水を飲んで人心地ついたと思ったら、当たり前のように次が始まった。その時にはもう、カーテン越しに部屋は明るくなっていた。

 だから今は夕方であり、それからロエが電話をした相手はゲスト対応室。

「……あぁ……もしかして休み……行かない連絡、してくれた?」

 やっと少し、現状に頭が追い付く。

「カキアがずっと気にしてた」

 してたっけと記憶を探すが、欠片たりとも見つけられない。主張の強い鮮烈で猥雑な情報の波が近場に広がっていて途方に暮れる。困憊で途中、注がれたものさえエーテルに分解して自身の補強に回したほどだ。

 不用意にラベルを剥がした途端、高密度のエーテルが内側で弾け、補強どころの話でもなくなった。存在を侵すほど濃いエーテルに、とんでもない醜態を晒した記憶がカキアにはある。それを何だか嬉しそうに見ていたロエの記憶も。その輝かしい顔面を一発殴ってやりたくなった記憶も。

 なのに、連絡を気にした記憶はやはり見つからない。

 それでもしていたのだというのだから、仕事中毒(ワーカホリック)と正式に診断される日も近い。

「嫌がって全然集中しなくなったから、電話しといた」

 今のカキアはゲスト(ロエ)の付きっきり対応中だ。出勤は免除状態だが、それでもその日の所在や予定は連絡している。ロエも何度か目撃している。真似て連絡することはそう難しいことではない。同室の上司が電話番などするわけがないので、相手がキラならなおさら用件を伝えるぐらい簡単だとカキアは安心する。

 どういう伝え方をしたのかは、まったく安心できていないが。

 それでも今、この安息に浸る時間はある。倦怠感、充足感、結びついて生まれる心地良い気怠さ。この中でなら意識を失ってもいいと、カキアは初めて微睡みを肯定する。

 放心気味に視線は目前へと注ぐ。

 鼻がつくほどの距離で向き合う先には、輝かしき(かんばせ)がある。人間的な美醜は時代、地域で変わるが、それを超越した均衡がその美貌には備わっている。それに改めて感嘆を抱くことはないが、気になることがあって、カキアはのろく腕を上げる。

「僕が出てって、泣いたの?」

 完璧を壊す、目元の赤み。昨夜ほどではなく、ほとんど色味も腫れも引いているが、全体の調和が取れすぎているので目立つ。

 手のひらを頬に置き、指先を目尻に触れさせる。ロエはそこに、自分の手のひらを重ねた。頷きは小さく、手もずれない。

「カキアがいなくなって、なんか勝手に溢れてきた」

 ロエの先の神を睨み、カキアは拒絶した。

 言葉にすることで、自分を見てもらえなかった悲しさをロエは思い出す。眉間に薄く皺を寄せて目を細め、唇を不必要に強く引き結ぶ。

 表出した人間性に、カキアは顔を寄せて額を合わせる。

「ごめんね。君は君なのにね」

 風を通す。堪えて縮こまる感情を、穏やかな風で浚う。

 途端にロエは表情を緩め、機嫌よく愛情を示して笑う。泣き腫らした痕を残して笑うロエの顔に、完璧である以上にカキアは魅力を──愛おしさを感じた。衝動のままに、触れるだけのキスを送る。

「しかしよくもまぁ、そんなんであの場面に駆け付けたねぇ」

 足りないとせがむ顔面を片手でわし掴み、不埒に動く手を手首で捕らえる。許せば永遠に続けそうな勢いに、わざと普段通りの声音を意識してカキアは話題を振る。

「風」

 くぐもった声。手のひらが吐息にくすぐられて離す。

 現れる蒼穹。いと高き天空の青。風と共にある空。

「風が助けろって。早く行けって怒ってきた」

 言葉の意味に、カキアは声をなくす。胸部の辺りが痛い。顔の、眉間の辺りに変な熱がある。鼻の奥を何かが抜ける感覚がする。喉が閉まって、全身が震えそうになる。

 まだロエによる重ね合わせの影響があるのかと戸惑う。

 身体を丸めたくなる衝動は、ロエによって抱き止められる。

「……そっか」

 カキアは忘却の川で終わってもいいと、決めていた。

 だから、ロエを呼んだのは。

 耳をくすぐる風。カーテンが揺れ、届く光がひらひらと波打つ。


 ──そこに、まだいてくれたのか。


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