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8-2 興味は全開で

「ねぇねぇ、狙い通りではあるんだけど、何かおかしい気がするの、僕の気のせい?」

 言い表せない違和感を、カキアは寒風吹き荒ぶベランダで表明した。休憩所として解放された客室の一つに、三人は最低限の挨拶をしてから乗り込んだ。風を感じたいカキアと新鮮な空気を吸いたいロエが、寒さにも関わらずベランダにいる。一方開け放たれたガラス扉の向こう、室内側でマイケルは椅子に掛けている。

「え、これ以上ない完璧な勝利ですよ」

「何か完璧過ぎない?」

「そりゃもうこれ以上ないくらいに演出がはまりましたんで」

「ロエ様?」

「それもですが、全部ですよ」

「……嫌な予感するから、君の考えた演出おさらいしてもらっていーい?」

「分かりました。まずロエさんとカキアさんを、高級ジゴロと反堅気に仕立てます」

「分かりませんよ? え、何か格好の雰囲気周りと違うなぁとか思ってたけどわざと?」

 ロエの容貌から目立つことは想定内ではあった。それにしても感嘆とは違う部類の、特に中年以上の男性に、やや眉をひそめる反応が散見された。

 さもありなん、二人の装いはこの時代の定番とは異なっていた。

 上流階級であっても男は質実剛健の時代、二人の装いはやり過ぎだった。男が着るには軟弱と見られるベルベット生地で、ロエの美貌を一旦軟派者という地上規格に落とし込んだ。余裕を持った仕立てが全盛の時代にあって肉体の厚みを見せるサイズ感で、カキアを暴力を生業とするかのような威圧感で装った。

「そこからの反転。遠き太古の地のやんごとなきロエ様と、喋ったら知的で物腰柔らか通訳カキアさん。そのギャップに正常な判断なんて死滅。そこに来て、カキアさんのアドリブの従軍経験。物腰柔らか通訳兼歴戦の護衛にランクアップでチェックメイト」

「僕堅気な公務員なんですけど」

 従軍経験は嘘ではないが生前だ。東の海とは遠征中の黒海だ。この時代に想像される世界大戦は縁遠い。最後は怪我、というか致命傷で死んだ。なお殺した相手が横にいる。嘘をつき過ぎると収拾がつかなくなる予感がしたので真実を含めたが、そこまで拡大解釈されているとはカキアの予想外だった。

「大丈夫。あの人達、島中(しまなか)に興味ないんで、外で再会しない限りは一夜の夢ですよ。騙されたかもしれないと、騙されたとの間にはふかーい溝があるんです。誰も好き好んでそこ確定させませんよ」

「……マイケルくん、実は上流社会向いてるんじゃない?」

「やだなぁ、こんな小手先の企て、お遊戯会レベルですよ」

「それで会場中だまくらかした後なんだけど」

お仕事(ビジネス)になると思考が多次元化してややこしくなるんで、ボクじゃ無理ですねぇ」

 とりあえず二度と来たくない世界だと、カキアは断定した。こゆるぎもしない髪を撫でていく風を感じながら、思わず瞑目した。

 ベランダの柵の向こう、一階のガラス張りのパーティー会場が反射して川面がぼんやりと光っている。それを見つめていたロエは、会話が途切れたのを感じてカキアを振り返った。

「《もう帰っていいのか?》」

 質問と同時の右手は、カキアの前髪に届いた。

まだだ(ステイ)!」

 咄嗟に逆側へ身体を逃がしたが、指先が引っかかった一房が額に落ちる。

「……これあり?」

「魅惑的ですね」

「淀みない回答として意味不明なんだけど、ありってこと?」

「大変けしからんと思います」

「いいの? 悪いの? 直した方がいいの? 《ロエ、分かるか?》」

「《何で俺に英語聞くんだ?》」

 途方に暮れて犯人のロエにまで縋るが、望む安らぎは得られない。

「まぁ僕も含めて三人ですので、変にこの部屋で時間過ごさなきゃ大丈夫でしょう。せっかくですし会場で少しぐらい料理摘まんで、それから帰りましょうか」

「《この男の英語難しい》」

「《俺もそう思う》」



  ※ ※ ※



 白いテーブルクロスの中央を、淡いブルーのランナーが横切っている。その上の銀とガラス細工の食器に盛られているのは、宝石の如くきらびやかな料理の数々だ。

「《……おいしいけど、これ何?》」

「《すまん、俺にも分からん。》この料理は?」

「あぁ、このカナッペですか? クリームチーズにエビの風味を移したムースですね。隠し味に別種のチーズ……、チェダーかな。味わいはあくまでレッドキャビアを主役にして、仕上げに削ったベルガモットの皮で香りを華やかにまとめてありますね」

「《チーズとエビしか分からない》」

「《俺も分からん》」

「《贅沢盛り盛り薄々トースト。食いでがない》」

「《その認定でいいと思う》」

「甘い物がお嫌いでなければ、この辺りのタルトもおすすめですよ。一口の完成度がなかなか」

 慣れた仕草でマイケルは銀のトングを操り、ロエの皿に料理を運んだ。

「やっぱりマイケルくん、上流社会合ってるんじゃない?」

「やだなぁ。食い道楽なだけですよ」

「でも庁舎で見る時よりよっぽど堂々としてるけど」

「そりゃそうですよ」

 肯定は少し高めの声の調子で返った。

「ここは、怯む素振りを見せたものから食われてく場ですから」

 続く言葉は反対に、警戒を促す重みと密やかさで響いた。

 カキアは視界を広げた。まだ遠いながら会場の雰囲気に乱れがあり、視線を運ぶ。遅々とした移動速度で異変は動く。人の波のせいで、その正体を知覚できたのはかなり近距離だった。

 深い褐色の肌に時を皺として刻んだ、ひどく小柄な老人が、杖を頼りにこちらに歩みを進めている。蓄えられた豊かな髭は白く、背も丸めがちだ。着ているのは上品なタキシードだが、ひどくチグハグな印象を覚えさせる。傍らには付添人らしき者がいる。

 カキアは膝を折り、腰の曲がった老人と同じ高さに目線を合わせた。

「……このようなところでお会いしようとは、先達」

 震えがちな発声で、老人はカキアに先達と呼びかける。

「ご無沙汰だね、翁。壮健そうで何より」

「死なぬことを壮健と指すなら、我らは永久に壮健の檻の内だ。珍しい客人と聞いて顔を出しましたが、カキア殿のことであったかな?」

 そうではないと察する顔は上がり、カキアの傍らのロエに向かう。視力が衰えているのか、その眼差しは茫洋としていて、それでいてすべてを見透かすようでもある。

 老人と高さを合わせたまま、カキアはロエを仰いだ。

「《歴の長いゲストだ。名前はゴーヴィンダ。俺達より……千年後ぐらい後の爺さんだ。頭が良過ぎて神秘に気に入られた系の》」

「《ちゃんと喋った方がいいか?》」

「《お前が良いなら、名前だけでも教えてやれ》」

「《ロエ》」

 短く落とされた音を味わうように、老人──ゴーヴィンダは頭を揺らす。それから漏らされた吐息は、深く感嘆の色を帯びていた。

「別れは遠けれど恋しき源流の調べ。浅学にて判断つかぬが、カキア殿と近いお生まれかな?」

「翁が浅学を自称しちゃ、僕らは形無しだ。御名答だよ。悪いが、ロエ様は英語を話されない。名前だけで満足いただけるかな?」

「英語……」

 すぅっと、ゴーヴィンダの瞳が、皺の中にうずまった。小さく舌を転がり出た言語は特殊で、カキアが捉えられたのは意味ではなく、そこに込められた深い悲哀だけだった。哀切の余韻の果て、誰も聞き取れない言語に沈黙が落ちる。

「──確かに英語は実生活に比重が高いです」

 そこに切り込んだのは、カキアでもロエでもなく、マイケルだった。

「だが概念を前提としない言語だからこそ、広く文化の違う人同志でも、意思を伝える手段と成り得た。今この瞬間の対話すら否定なさるのは、いささか悲しいことだとボクは思います」

 ゴーヴィンダは、頭をもたげてマイケルを見る。

「……貴殿は?」

「失礼しました。マイケルと申します。深淵の数、その発見の民にお会いできて光栄です」

「貴殿は、言葉を」

「ほんの入り口を覗かせていただいただけです。真理に伸びるその道程はあまりに長い」

「……あぁ、悪かったね。恥ずかしい限りだ。貴殿のような若人を、私は嬉しく思う。……カキア殿、良い出会いをいただいた。場を乱す年寄りはここらで失礼しよう。また」

 去る老人の背中を見送り、カキアは膝を伸ばした。マイケルに近づき、小声で問いかける。

「翁、なんて? サンスクリット語だよね?」

「はい、すっごい全力意訳ですけど、『英語など俗世の営みに縛られた侵略者の言語だ』的な。『サンスクリット語の高次元的探究性に比べるべくもない』ってニュアンスで。単語だけぼやっとで、ほぼハッタリです」

「ありがと。普段は知的好奇心に全振り爺さんなんだけど、ちょっとまいってるな」

「ゲストさんでしたか? だったら、変にたしなめない方が良かったかな。今時分だと独立の件もありますし、インドの方からすれば英語に複雑な思いもお有りでしょうね」

「しかしマイケルくん、よくサンスクリット語と判別ついたね」

「穴って開いてたら、覗いてみたくなりますよね」

 深淵の数、ゼロ。インドで発見されたとされるそれを指して言うには、あまりに軽い。大体そこへの知的好奇心からインドの価値観に思いを馳せ、根源であるサンスクリット語に興味を持つものがどれだけいるか。カキア達の古代語と違い、サンスクリット語は宗教的な継続によって話者がいるにはいる。それとて儀式的な定型文がほとんどだ。

 カキアは呆れを示す。

「そうして落ちるタイプだね、君。さらっとこういうことするからお父さんが逃してくれないんじゃないの?」

「あ」

 会場の注目が、見事にマイケルに集まっていた。

「《もう帰っていいか》」

「はい、おいとましましょう!」


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