8-1 ハッタリは全力で
マイケルは盛大ににやけていた。
「どうです、カキアさん、ロエさん。感想は?」
「「脱ぎたい」」
「うわ、大胆」
「一致しちゃったことにとんでもない意味見出さないで」
疲弊気味にカキアは呟き、投げやりに背凭れに身を預け──かけ、ぎりぎりで踏み留まった。身に纏う衣装を思い出し、改めて姿勢を意識した状態で重厚な革張りのシートにゆっくりと凭れる。キャデラックの後部座席は広く、三人で座っても余裕があるが、着せられた服のお陰で窮屈で仕方ない。
深みのあるチャコールの三つ揃えスーツ。光沢のあるグレーのシャツ。幅狭めの髪色に合わせた黒のネクタイ。磨き込まれた黒の革靴。
注文品っぽさとは肉体を見せてこそというマイケルの謎の主張により、カキアからしてみればワンサイズ間違っていないかという着心地だ。マイケルの兄の物を大急ぎで手直しさせたのは事実だから、そんな見栄は初めからいらないのではというカキアの訴えは却下された。
「ってかマイケルくん、座るとこ逆の方が良かったんじゃないの」
なぜかマイケルが道路中央寄りに座っている。このままエントランスの車寄せに入るとして、先陣を切って出ていくのは逆端に座るロエになる。
「ロエさん以外は背景になれますので、完璧な段取りです」
「一応僕世話役なんで、堂々とゲスト利用します宣言止めようね」
「お世話になります」
嘆息をこぼし、逆側のロエに顔を向けると目が合った。普段乾かすだけで終わりの金髪がサイドパートで立体感を持って整えられ、濃い青の瞳がより印象的に映る。
纏うのはベルベットの素材感が夜の深みを思わせる、濃紺色のディナージャケット。そこに眩しいほどの純白のシャツに、黒の蝶ネクタイ。足元には黒エナメルオペラパンプス。
連行されたホテルの一室で、出張を承ったテーラーが感嘆の声を上げた素材は、最大限に活かされた。高身長さに初めから既製品は期待されていなかったが、やる気をみなぎらせて二週間かそこらで決死の作業を完遂させたであろう仕立て屋の苦労が偲ばれる。
だというのに、ロエの表情は険しい。
「やめろ」
伸びかけていたロエの手が止まる。それでも不満げに、視線はカキアの髪を見ている。オールバックにまとめられ、目元を隠さなくなった髪を。
カキアの垂れ目がちな濃緑色の瞳が、あらわになっていた。
「《諦めろって言ったな?》」
「《何で見せるんだ》」
「《何で見せたら駄目なんだ》」
先程まで、庁舎近くのホテルで最終的な着付けと調整、セットが行われた。完成した直後に髪型を崩され、すでに一悶着起こした後だ。
「……嫌だ」
なぜロエが不自由な英語でわざわざ主張するのか、カキアには意図が読めない。
「こんなのは後にも先にも今日だけ。我慢して」
説得の言葉にまったく納得はいっていなさそうだが、隙あらば上げられそうだった右手の気配はなくなった。
「……あの、その度々出る『ステイ』なんですけど、何だかニュアンスが」
「あぁ、知り合いが彼犬っぽいって。そう思えばまだ許せるかなぁと思ったら癖づいた」
「うーん、ボクがよこしまなだけかなぁー」
「だよね。ゲスト相手に命令口調とか良くないとは思うんだけど便利で」
「いやまぁ演出過剰になるので今日は控えてくださると」
「演出って、例の?」
「設定過多の物語は飲み込みづらいんでね」
黒塗りのキャデラックは、街の中心部を抜け、離れた立地の病院前を横切った。毎日ランニングしているロエにとっての端を越え、入場が制限されている区画へとそのまま進んでいく。
辿り着いたのは、島の住民には馴染みのない、最新鋭のリゾートホテルだ。エントランス前で車が停車する。控えていたボーイが即座に後部座席のドアを開けた。
ロエの登場に空気が揺れたのを感じながら、続いて降りたカキアは振り返る。
「どうぞ、坊っちゃん。腕でも、肩でも、お貸ししますよ。それとも手を?」
身を屈めてからかう口調で、最後に降りるマイケルを伺う。
「ロエさんに悪いんですけど嬉しいんで一瞬腕お借りします。にしてもカキアさん、目元見えるとマフィア感増しますね」
「今彼関係無いし、君はちょいちょい失礼だねぇ」
増すも何も、カキアは自身のその認定を初めて耳にした。遠回しにガラが悪いと言われている。
「いやぁ、こんな口なんで上流社会から逃げました」
「うん、英断」
手すりがわりに前腕を貸した後、カキアは素知らぬ振りでマイケルの斜め後ろに付いた。
「位置取りずるーい」
「あくまで連れですんで」
ちゃっかりとロエで隠れるマイケルに隠れる、入れ子構造の算段を取るカキアだった。
最後尾で目立たぬように辺りに視線を巡らせる。
「思ったより参加者少ない?」
天井の高いロビーへと入り、反響の大きさに自然声量は小さくなる。
「島内参加はこんなもんです。裏にクルーザーが停泊できる専用マリーナがあって、メインは島外参加のそっちですよ」
「さすが坊ちゃん、よくご存じ」
「いや、実家の経営してるホテルぐらいは把握してないと」
「……ここが?」
「あれ、言ってませんでした?」
「マイケルくん、連絡、報告、相談に問題があるって言われない?」
通りすがった老年のスタッフに深く礼をされ、片手を上げて応えるマイケルを、カキアは軽く睨んだ。
会話の一部を聞き取ったのか、ロエがカキアに身を寄せてくる。
「あの橋の向こうから?」
「厳密には違うね。《この中洲を取り巻く、あるはずと設定されてる世界だ。お前が見てるテレビ、あれもそこで撮られてる。ゲストは川と霧を越えられないが、世界は一応その先にもある。それが当然で、そう設定されてる》」
赤い橋は中洲に通じていないが、街本来の住人は定期船などで外と行き来できる。それがこの時代の普通だから、設定もそうなっている。
会場に近づくにつれ、くぐもったような喧騒が低い振動として漏れている。
両開きの扉が、三人の歩みを完璧に計算したタイミングで、白手袋のスタッフによって開かれる。
──途端に溢れ出した音、匂い、色彩。
情報の波は、一瞬にして三人を飲む。
全面ガラス張りの河に面した会場は、冬にも関わらず熱気に満ちていた。生演奏のジャズの裏で人々は密やかに言葉を交わし、飽きればその口は酒を嗜み、葉巻きを吹かす。翻るドレスの裾は色とりどりで着飾る子女は瑞々しく、歩みの後には甘い香水の香りが残る。
「まずは父に挨拶を済ませます」
マイケルの明瞭な発声に、カキアは飲まれていた意識をぐっと引き戻された。気圧されたわけではない。緊張したわけでもない。突き抜けた煩雑は、カキアの存在を揺らす。島内の生活ではありえない人口密度に触れ、慣れなささに処理が追いつかなかった。
ホテルは貸し切りらしく、会場は何部屋もの趣向の違う部屋を繋げている。三人が通るごとに、無視しがたいさざなみが走った。それでもマイケルは足取りをにぶらせない。一番奥まった、少人数のオーケストラが曲を奏でる部屋で、マイケルは目当ての人物を見つけた。
「父さん」
保守的な上流階級の父親に呼びかけるには、その呼び方は軽すぎた。
「マイケル、やっと顔を出し──」
談笑中だった他の客もまとめて、その場の空気は凍りついた。マイケルはその静止をものともせずに近付いていく。
「お元気そうで何よりです。こちらロエさんとカキアさん、ボクの職場関係の人です」
問答無用でマイケルはロエを父親に相対させる。
ロエはその誘導通りに、真正面からマイケルの父親の視線を引き受けた。
口を開く。
「《空気悪くないか、ここ。臭い》」
沈黙が、落ちた。
吹き出しかけた喉を空咳に変え、カキアは口元に笑みを浮かべて続く。
「失礼、カキアと申します。ロエ様は今お名前を名乗られ、今宵のパーティーへの招待に謝意を述べられました」
未知の言語に場の対応が遅れた隙に、カキアは今日一番の大嘘をねじ込んだ。生前の言葉であれば何でも喋っていいとは打合せ通りだが、よりにもよってな言葉に笑みがいつも以上に空々しくなる。
「カキアさんはボクと同じ庁舎職員なんです。その伝手で無理言って、今日は特別にロエ様にご参加いただけました」
「……この方は」
「仔細はご容赦ください。今宵あくまでロエ様は、異国のもてなしを楽しみに参りましたので」
「その、ロエ様は、何語を?」
「《カキア、早く帰りたい》」
「《我慢しろ》。はい、こちらではギリシャ語に近いかと。より源流に近いと申し上げれば、ご推察いただけるかと」
集団で激しい目配せが応酬される。ギリシャ語履修者を探しているが、いたとてカキア達の言語は聞き取れない。失われた古代の言語を実践で聞き取れるものなど、そうそういない。生前の時代を同じくするゲスト以外には望めないだろう。
「カキア君はその、マイケル君と同じ庁舎職員とのことだが、従軍経験がおありかな?」
父親に近い親族と思しき壮年男性が、会話の流れを何とか制御しようとカキアに矛先を向ける。
「ええ、少し前に。各地を転々としましたが、東の海では苦労しました。最後は怪我で。お恥ずかしい話です。今は書類と向き合う日々ですよ」
「な、なるほど。よく戦ってくれた」
深堀りすれば血なまぐさい話一直線の匂わせに、やはり流れが淀む。
「……本日はよくお越しいただいた。どうぞ、この後も楽しんでいらしてください」
マイケルに父親は白旗を振った。
ロエが握手を交わした後、マイケルへの小言も見合い話もなく、三人は解放された。




