7-3 磨いて
カキアにとっての労働、ロエにとっての長い待機時間を経て、庁舎の外に出る頃にはポールではためく旗が夕日で染められていた。
「んあぁー、お仕事したー!」
気の抜けた声を上げて、カキアが両手を上げ、伸びをする。
「カキア」
「何? だらしないとか言わないでね。小言言うならキラちゃんぐらいかわいさ装備してきて」
「それを持つ、良い?」
「はい?」
「《それ持って出て良いヤツか?》」
大きく振り上げた手の片方、カキアの右手には紐付きの茶封筒が握られている。
数秒カキアは自分の手を見上げて固まった。
「駄目なヤツです、はい、ありがと」
二階で作成して、一階で提出する書類を、帰りがてらに持って降りたはずだった。現在、玄関を出てしまっている。
しょうがなくきびすを返したカキアに、ロエはそれまでと変わらず付いて行こうとした。
「待ってて。すぐ戻るから」
命じられて踏み出していた足を止める。カキアが再び建物に消えていくのを、ロエは見送った。
手持ち無沙汰を、ロエはぼんやりと旗を眺めて過ごす。
その時、声がかかった。
「ゲストさん、ゲストさんっ」
聞き覚えがあるような声に、ロエは発生源を探す。下ろした視線の先、なぜかベンチの影にしゃがみ込む男がいる。目を合わせた途端、光に怯む素振りで顔を逸らされる。
いつかの庁舎職員、マイケルだ。
呼ばれたということは用があるということだと認識し、ロエは近づいていく。用件を聞こうと、ベンチの手すりに手をついて軽く腰を折る。
「うわっ、やっぱり輝いていらっしゃる!」
英語を理解し始めているロエだが、マイケルの表現は何が何だか分からなかった。
「すいませんっ、大変お節介とは思いつつでも先のこととか思えばお教えしといた方がいいかなぁとか思いまして声かけたんですけど、やっぱり美形が過ぎてドキドキするぅッ」
とりあえず落ち着きがないことだけは分かった。
「えっと、ゲストさん、どこまで英語分かるようになりました?」
やっと分かる言葉が出た。
「ゆっくり話して」
「了解です。ゆっくりゆっくり」
深く頷き、それからマイケルは決死の表情で口を開く。
「その……カキアさんと結ばれました?」
小さく、密やかな問い。
もうロエは分からない。
「一緒? 一緒」
一緒に住んでいるのだから間違えではないはずだと、頷いて単語を繰り返す。
途端にぶわぁっと満面の笑みを浮かべ、マイケルはロエの手を握ってきた。
「そうですよね、あの距離感でそうじゃないわけないですよね! おめでとうございます! まさかカキアさんがこっち側とは思わなかったけど、自分のことみたいに嬉しいです!」
すべて小声ではあるが、圧はうるさい。
腕はぶんぶん振られる。
「ありがとう?」
祝われているらしいことはロエにも分かるので、儀礼的に言葉を返す。が、いまいちよく分かっていないので発音が狂う。
「すごい、すごいなー、やっぱり美形は強いなー。──のあっ、美形に触れてしまったぁ!?」
うるさいし、訳がわからない人物だが、悪意は一切ないことを急に放り出された手を見つつロエは断定した。
それはそれで落ち着いて欲しいと心から思う。ビカビカと眩しいネオンサインのように感情が表出して、機微を汲み取った上で言語の聞き取りに使うロエにはしんどい。
「そ、それでですね。ここからはゲストさんには、申し訳ない話なんですが……」
明滅する感情が唐突に鈍った。
「この街、その……あんまり男同士でそういう関係性を受け入れる文化ではなくて……。それで、カキアさんも今までそういうの見せなかったってことは、あからさまにはしたくないんじゃないかなぁって……」
話し方も落ち着いたが、代名詞が多いため、ロエには難しい。
「他所から来てるゲストさんには、ゲストさん自身の価値観があるって分かります。でも、事実この街はそうで、カキアさんには今まで築いてきた生活があると思うんです。だから、好きって気持ちで触れたくなるのは分かるんですけど、カキアさんが大切にしてるもの守るためにも、こう……」
「カキアの、大切?」
「そうです、そう。好き合ってても、やっぱり、お互い尊重すべきことってあると思うんです。でも街の悪いとことか、ゲスト受け入れのカキアさんは言いづらいでしょうし、……嫌われたくないから自分の価値観も主張しにくくて我慢しちゃってるのかもしれないし。……最後は、結局お二人の間の話だって分かってるんです。でも、せっかくうまくいったなら、幸せでいて欲しいなぁって絶対余計なお世話なんですけど」
伝わるのは熱意と、カキアとの関係性についての言及ということ。
カキアの大切。
カキアは、少なからずゲストの面々に心を砕いている。それは今日も実感できたことで。
ロエは横を向いた。
「今の表側ではそこまでですけど、実際人種差別とかもボクらの親世代ぐらいまでは入り口分けたり、職業分けたり、相当だったみたいで。それがゲストを受け入れる特区になって、警官にもあの少しぽっちゃりめの南部の血の方がなるぐらい、すっごい変わったんです。昔だったらもう、あのソ連系のゲストさんとか確実に赤で狩られてましたよ。だから少しずつ良くはなってるんですけど、それでもやっぱりボクらはバレると精神異常だとか言われかねなくて……ゲストさん?」
途中から俯いていたマイケルは、反応が返らないことに顔を上げ、それからロエの顔の向きに釣られてベンチを見た。
カキアが火のついた煙草を手に、座っていた。
「ん? 終わった?」
マイケルの身体が大きく震えた。
「どどどどこから」
「え、そりゃ庁舎から。一服しとくから、話あるなら続けてもいいよ」
風下のはずがまったく匂いがなく、マイケルは気付けなかった。
「おおお終わりましたぁ……」
「んじゃ、僕から一つ。マイケルくん、ここがどこだか知ってる?」
「我らの市庁舎前ですっ」
「みんなの市庁舎前です。詳しくは聞かないけど、内緒話には向かな過ぎるから君のためにも気をつけなね。君、一応上流階級の人なんでしょ?」
「水が合わなくて逃避中の五男なんで、いつでも切り捨て準備万端だと思います」
「厳しい世界だねぇ」
携帯灰皿で火を消して煙草を仕舞い、カキアは立ち上がった。両手をコートのポケットに入れ、その中の感触に、あぁそうそうと紙を引っ張り出す。ロエの横に立ち、しゃがみ込んだままのマイケルに差し出した。
「その関係かな。台帳課が忙しそうだったから代わりに電話取ったんだけど、すっごい早口でさ。聞き漏らしあったらごめん」
カサリとなったメモ紙を、マイケルは受け取る。
見た瞬間、がくっと地面に崩れ落ちる。
「え? え? なになに?」
急に倒れた若人にカキアは取り乱す。
「うちの課が一致団結して連絡拒否ってくれてた実家のパーティーのお知らせですぅ」
「ああっ、すっごい余計なお世話しちゃった感じ?」
「郵便も受け取り拒否で返してたのに」
「郵便屋さん困らせなさんな。嫌なら断ればいいじゃん」
「見ない、聞かない限りは免れますけど、届いてしまっては……」
「理解できない使命感」
そこでがばりと唐突にマイケルは上半身を起こして、カキアを見た。
「このパーティー、若干名の同行が許されてまして」
「うわ、なに、その死なば諸共精神。勘弁してよ、電話とっちゃったのは悪かったけど、お友達とかそっちの上司とかいるでしょ」
「それが嫌で台帳課全員が結託して、電話の調子が悪いやら急なクレーマーに突き飛ばされたフリやらと誤魔化してくれてたんです」
「お役所仕事って案外柔軟。あの鬼気迫る早口そのせいか。いや、こんなオジサン連れてくよりカワイ子ちゃん探しなよ」
「大丈夫です。泥団子も磨けば光るんです」
「もしかして最上級の貶し方されてる?」
「ボク、金持ちボンボンとの遊びが嫌で庭に逃げてよく作ってたんで得意なんです。水の入れ方がコツでして」
「泥団子の作り方聞きたいんじゃないのよ」
会話の迷走に疲れて息を吐き、そういえばとカキアは横を見た。おそらく内容に全然ついていけていないロエの肩に、ぽんと手を置く。
「ほら、今だと対応中のゲストまで付いてきちゃうからさ」
美形を避けるマイケルの性質を突き、カキアはうまく断ったつもりだった。
マイケルが、カキアに向けていた視線をロエに向けた。そこには、磨けば光る原石どころか、そのまま置いていれば勝手に光る星がいた。
ゴクリと、その喉が生唾を飲んで上下した。




