6−3 街の規則
立ち並ぶ商店の一つ、その店は他と違ってネオンサインのない少し古風な趣をしていた。店頭の造りは木製で、中の様子を覗けるガラス窓は腰から上程度の大きさだ。そこにも紳士然とした男が写る煙草のポスターが貼ってあり、時代の風潮にあった開放感はない。
金色の塗装がほとんど剥げている斜めのポールを引き、カキアはドアを開ける。
後ろから続いたロエが最初に見つけたのは、スタンドにセットされた新聞紙と雑誌だ。ただ視覚よりも嗅覚に迫るものがあって、ロエは即座に顔を顰める。
「ハァイ、ミセス・ロドリー。儲かってるかい?」
「安物の紙タバコばっかの男が聞くんじゃないよ」
通路は狭い。店を二分割する形でカウンターがあり、その奥で老婆が椅子に座って編み物をしていた。白髪を高くまとめ、少し下がり気味な老眼鏡の上から、カキアに目を向ける。
「薄給でね」
「いい歳した男が情けない誤魔化しするんじゃないよ。うまさも分からず、一番安いので済ませてるだけだろうに。格好つけて吹かす若造より質が悪いったらありゃしない」
カウンターのショーケースと老婆の背後の棚には、所狭しと喫煙商品が並んでいる。木箱と共に展示される葉巻きの重厚さに比べ、紙タバコの四角い箱は色鮮やかで明るい。端には、石鹸やティッシュなど、幾らかの生活雑貨も揃えられている。
「ローリーだったね」
「悪いけどサー・ウォルター・ローリーじゃなくて紙巻きの方ね」
わざとらしくカウンターに出された、値段の高いパイプ用の缶を拒否し、カキアは棚の箱を指差す。老婆が音高く舌打ちしながら、缶と同じ男の絵が描かれた箱を差し出した。ポケットから掴み出したくすんだ硬貨で支払いを済ませ、カキアは煙草を受け取る。
「ところでミセス・ロドリー、電話器設置しないかい?」
「アンタ営業まで始めたのかい」
「いやぁ、口下手なんで無理だね。ティッチくんの現状確認にあったら便利なんだけど」
「で、ソイツで済ましてアンタは足を運ばなくなるのかい。購買機会の損失って、アンタ分かるかい?」
「うーん、そういうわけじゃないんだけどなぁ」
会話する二人を他所に、ロエは興味薄く店内を眺めていた。眉間の皺は徐々にほぐれても、長居したくなる空間ではない。
ただ何とはなしに入り口とは逆の、カウンターの端に目をやり──それと目を合わせた。
ヘーゼルの大きな瞳。子供だ。カウンターの端の物影にしゃがみ、じっとこちらを見ている。
「顔出さなきゃ分かるもんも分かんないだろ。老い先短い年寄りに余計なもん勧めるんじゃないよ。役所にクレーム入れるよ」
「ご勘弁を」
「勘弁して欲しけりゃ、入って早々しかめっ面の若造じゃなくて、樽腹抱えた中年オヤジでも連れてきな。いくら面の良い顔拝んだって、飯食えないんだよ、こっちは」
「ごもっとも、マム」
両手を軽く上げ、カキアは老婆の弁舌に降伏を表明する。元より強い希望ではなく、あれば便利ぐらいの気持ちのため、カキアの熱意も薄い。
「それじゃあ、対面で王子様のご機嫌伺いをしたいんけどティッチくんはいるかい?」
カキアが問いかけた時だ。
たっと物影から駆け出し、子供はカキアの足に取り付いた。
「いるよ!」
「おや、驚いた。またかくれんぼかい、ティッチくん?」
ロエは驚いた。すんなりと少年の存在を受け入れるカキアに混乱する。
カキアの腰ほどしかない、少年の見た目は異質だった。肌は灰色、もしくは薄い青にも見える。それは目を凝らして見れば、白い肌に刻まれた入れ墨の痕だ。それが顔も、手も、露出した肌すべてにある。濃淡は重なり、それが一度の施術では無いことを思わせる。
「おじちゃん、昨日ねっ、ボクねっ、お肉食べたの!」
「そりゃまた豪勢だ。ステーキ?」
「うーうん、違うの。火で枝で、焼いたの!」
「そうかい、豪快だ。ティッチくんは大変だったり、怖かったりしなかったかい?」
「ばあちゃんいなかったけど、いつものおねえさんがいたから大丈夫!」
「ティッチくんは強くてえらいねぇ」
柔らかな茶色の髪を撫でてやると、ティッチは顔を伏せてカキアの足に抱きつく力を強めた。
和やかな日常の一場面。
「──おいこら」
それを壊す行為に、カキアは非難の声を上げる。
ティッチは脇の下に手を入れて抱え上げられ、ぱちぱちとその大きな瞳でまばたきをした。しがみついていたはずのカキアの足が遠い。数秒戸惑った後、抱き上げる腕の持ち主を振り返る。
そこにいるのは、歳も背丈もティッチより随分過ぎた男。
「嫌だ」
ただ口からこぼれた言葉は幼子のような単語で。
ティッチとロエは、抱えて、抱えられて、しばし見つめ合う。
少ししてティッチは足をバタつかせて下ろしてほしいと訴えた。ロエはそれを汲み取り、ゆっくりとティッチを下ろす。
床に戻ったティッチは、ロエの腕を引いた。ロエが腰を屈める。それでも足りずにティッチは腕を引く。とうとうロエがその場にしゃがみこむ。
一旦ティッチは満足すると、今度は自分を撫でてくれたカキアの右手を取った。
「えぇー? ちょっと待ってどゆことぉ?」
最終的にはしゃがむロエを撫でるカキアの図が完成した。
驚くほど指通りの良い金髪を撫でながら、カキアは混乱の極みにいる。
「ボクだけなでてもらっててイヤだったんだよ!」
「……客にもならん奴連れてと思ったけど、アンタなんかおもしろいことになってるね」
「待って待って、君それでいいの?」
「好き」
「君、わざと目的語省略してるだろ。撫でられるのがってことだよね」
何とか最高級の毛並みから指を引き剥がし、カキアはロエの頭を軽く叩いた。
「おにいさんは誰?」
大満足の一幕を終え、ティッチは興味津々で立ち上がったロエの足にまとわりついた。
落ち着きなく動くティッチに、ロエは再び手を伸ばす。
「うわぁ、高いっ高いよ!」
これまでの肩車史上、もっとも高い視点にティッチははしゃいで、目の前の極上の金髪を躊躇いなく握った。
「落とさないでねぇ。ティッチくん、彼はロエ、新しいゲストだ」
「お客さん?」
「この店のじゃなく、街のね。色々あって言葉がまだ不慣れなんだ。あと頭がおかしい」
「教育に悪い物言いやめな」
「店には多分来ないけど、街では見掛けることもあるかもしれないから、よろしくしてくれるかい?」
「するっ、ロエおにいさんとする! ──かくれんぼする!」
最後の一言で、空気が変わった。
ロエはその類いまれなる感覚で異変を察知した。咄嗟にカキアに伸ばした手は空を掴む。
カキアの立ち位置は、すでに扉の前。清々しいほどの笑みを口に結んで、カキアは扉を押す。ひらひらと左手が別れに振られる。
「よぉし、じゃあせっかくだからこれから一緒に遊んでおいで。僕はお仕事でその辺回ってくるから~」
「カキア!」
「《少し付き合ってやれ。多分お前にとっても新しい知覚だ》」
笑みから紡ぐには不穏な言葉を残し、カキアはロエを残して店から去っていった。
※ ※ ※
「《どうなってる》」
小一時間後にカキアが迎えに行けば、ロエはものの見事に混乱した様子でティッチに振り回されていた。少々気にかかることがあったのに、思わず喉奥でクッと笑ってしまったのは仕方ない。ヘラヘラと口元を緩める。
「ちゃんと見つけてあげた?」
「《周りの人間が気にしてる方向で分かる》」
「さすがだねぇ」
「《なのにいない!》」
ティッチを煙草屋に送り届けて別れ、社用車に入って問いかければ、ロエは珍しく高揚した面持ちで支離滅裂に語る。
言葉はまるで謎かけだ。
見つける。目の前にいる。──なのに、いない。
床屋の調髪用具のカートの脇、金物屋の棚と棚の隙間、精肉店の調理台の影。潜みながらヘーゼルの大きな瞳はじっと鬼を見ている。
最初の遭遇と同じだ。ロエは決してティッチの容姿に驚いたのではない。そんな表層はどうでもいい。ティッチの姿を目に留めて街本来の住人だと思えば、カキアへ駆け寄りながらゲストの存在感に切り替わったことに驚いた。いないはずなのにいることを、いるはずなのにいないことを、認知と知覚の齟齬に混乱した。厚みの差を知覚できるはずのロエの感覚を、ティッチは掻い潜る。ひとたび見つけられたとティッチが認めれば、当たり前のようにゲストの存在感を取り戻す。
厚みが変わる。
「《どうなってる》」
嬉々と答えを求めるロエを、カキアは無視した。キーを差し入れ、エンジンをかける。シート越しに、振動が響き始める。サイドミラーで道路の後続車を見て、発進する。
「随分お気に入りだ。何か事故りそうだから機密情報伝えちゃうけど、あの子は兵器だったの」
走り始めてから、カキアは口を開いた。空いている窓から、冷たい風が入り込む。
「《遠い先の未来、技術が発展して一撃で一国を殺し尽くせる兵器ができる。その時、そこに及ばない国がどういう選択取るか、思いつくか?》」
「《面従腹背。その間に同程度の兵器を調達するために諜報、工作活動》」
「勇者サマは優秀だ。《だがそういう標準を突かずに、大国とは違う考え方で兵器を作る選択をした国が出た。現在での威力では勝てない。なら未来に及ぶ威力を》」
「《畑に塩でも撒いたか?》」
「……驚いた。君本当に優秀だね。《そうだ。ただお前の思うような効果は大国の兵器がすでに備えていた。だからその国は、もっと国家の基礎的な畑に塩を撒いた》」
商店街を過ぎる前、パン屋から出てきた子連れの女が歩道を歩いている。片手を子供と繋ぎ、もう片手の紙袋からはバゲットをはみ出させている。
「《──子が産まれる、その腹にだ》」
語るカキアの横顔とその向こうの景色を、ロエは同時に捉えた。
「《あの子は、大国側から攫われて仕立てられた、腹への呪いだ。産まれた時から何度となく彫り重ねられた呪言。だが中身はただの幼子だ。その子供に、かくれんぼと称して潜伏を仕込む。だが子供だ。そのうち見つかる。見つかった途端に呪いの拡散は始まる》」
なぜいるのか。その入れ墨は何なのか。いつからいるのか。一人だけなのか。
猜疑と不安はまともな人の営みを壊す。しかし容姿は自国の子供。探せば親もすんなり見つかる。なかったことにして終わりにもし難い。子を産むことへの、恐怖が広がる。
「《かくて呪いは腹に根付く》」
淡々とカキアは言葉を紡ぐ。一つの呪いの話を、淡々と。
「《そんな兵器の変則があの子だ。あの子は隠れるのがうまくなりすぎた。呪いの力すら吸い取るほどに》」
奇跡。その確率を指すならばそれに近い。だがその果てに生まれたのは、誰にも見つからないまま病で死んだ子供。
ロエは、少しの沈黙の後に口を開いた。
「《あいつがカキアみたいに世界を理解したら、もっとすごいことができるようになる》」
ロエの目は見抜く。かくれんぼと名付けられた行為で、ティッチは自分を変容させていた。
それは世界を理解すれば何にでもなれるという、カキアの示唆の実践だ。
すべてを聞いてなお、ロエの熱は冷めない。
その能力の可能性を語る。
カキアは軽薄な笑みを深めた。
「だぁーめ。あの子はね、もう選択したの。同じ歳ぐらいの子と、一緒に遊んだり学校行ったりしたいって。入れ墨も、少しずつ薄くなってる。《あの子は普通を選択した》」
ロエは思い出す。商店街の中を駆け回るかくれんぼの途中、ティッチが通りがかった別の子供から隠れるようにロエの後ろへ回ったことを。出掛ける時に老婆から着せられた、手編みのマフラーと帽子に顔をうずめていたことを。
ティッチの能力は呪いと結びついている。入れ墨を消せば、能力もまた失われる。
勿体ないと、ロエは思う。たかがそんなことのために、可能性を捨てるのかと。
だってあんなものは、この街が作り出した普通の押し付けでしかない。肌に文様のない子供達が一緒に遊んで学校に行く。そんなものはこの設定においての一時的な普通でしかない。
「《そんなの洗脳だろ》」
普通の押し売りはもはや洗脳と変わらない。
「知らなかった? 《この街そのものが洗脳みたいなもんだ》」
「《選択を尊重するって言ってただろ》」
「《素直に信じてたのか? この街は、可能性を殺すためにある》」
選択するということは、別の可能性を潰すということ。
カキアは何度となく、それを見てきた。
「とはいえ、まぁ人間に優しい街だとは思うよ」
人間の生き方を前提に作られる世界。どんなに時代や場所を行き来しても、それだけは変わらない。必ず人間としての常識を、頭に叩きつけてくる。
「あの姿で二十年だ。それでやっと踏み出した。その選択を、君は世界の洗脳だなんて言って軽んじるのかい?」
ティッチは、見つけてもらう喜びを知った。
ロエの培った経験が、これ以上は無意味だと断定している。流れを受け入れた人間は変わらない。人間には、流れに抗う力はないのだ。
けれど。
「《それでもあの子にこだわりたがるなら、お前の好きってのは単に珍し物好きなだけだな》」
温度感、気配、声音。何一つ変えずに、カキアはその言葉を舌から滑り落とした。
なのにロエは途絶を感じた。急速に、今まで感じ取れていなかったものを思い出す。
「《俺とあの子を並べて次は神でも狩りに行く気か》、蒐集家?」
機嫌、感情、機微。察せたはずのそれが、単調な一色で塗り潰されたかのように見えない。いつからと考えて、今日目覚めて慌ただしい朝を終えてからずっとだと気付く。
ずっと、カキアは穏やかな心境だと──思わされてきた。
交差点でギアにカキアが手を置く。変速も右折のハンドル操作にも淀みはなく、車は住宅街の方へと向かい始めた。
カキアは笑っている。軽薄な笑みとは対照的に、その深緑の瞳は重く暗く濁っている。
前髪の影で見えなくても、ロエには想像できた。




