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Ⅵ:黒鷺

赤錆に侵された街路樹の葉が一枚、ひらりと散った。この席に腰を据えていると、郷愁と拒絶の入り混じった妙な気分に(かどわ)かされる。窓の向こうには黒い三又の槍に似た街灯と、秋めいた樹々が立ち並び、明るい陽射しの石畳の上を、思い思いに着飾った鮮やかな人々が軽快な足取りで通り過ぎて行く。手には洒落たサインがこれ見よがしに印字された光沢のある紙袋や、食物に膨れ上がった両手の買物袋、時には繚乱(りょうらん)の生きた花束などを、それぞれがまるで褒美のように、腕に報酬物を抱えている。恋人たちは寄り添い、仲間たちは笑い合い、家族は慈しみ合い、誰もが往来の主役と公言し、誇らしげに自らを飾り立て、あたかも、その人生を謳歌しているように映っていた。


ここは“昼”のままなのか。


否応無しに、明々と”勝者の栄光”を見せつけられていると、触発された憶えのない惨めな憤りが、何処からともなく沸々と煮え立って来る。この扇情こそが狙いなのだろう。気を紛らわそうと思わず手元の酒を煽った。ごくごくと喉を鳴らし、すべてを流し込みかけたところで、理性が脳裏で歯止めを掛ける。しかし、それもほんの数秒の間で、自然と右手は隅に避けたはずの瓶を引き寄せ、また琥珀色の液体をトクトクとグラスに注いでいた。美味くもない酒を髭に埋もれた口元に運ぶ間、退屈凌ぎに灯りを落とした褐色の店内をひと通り見渡した。何処も既にできあがっていて、誰も窓の方など見ていない。硝子(ガラス)のシャンデリアの下、酩酊に身を開け渡し悪趣味な享楽に騒ぐ連中や、腹でも探り合っているのか、高い酒を並べた姑息な面構えの無口な集い、陶酔に濡れたべったりと寄り添う連中など、どれも胸が悪くなる景色ばかりで、余計に酒が不味くなる。荒い鼻息でグラスを曇らせ、赤いドアマットが待ち兼ねる黒い扉が開くのをしばらく期待してみるが、ダイヤ型の小窓の暗闇と、ぼやけたネオンが現実を投影しているだけだった。諦めてグラスを握る右手に視線を落とした。皮の厚い大きな手をゆっくりと開いて強く拳を握り込むと、小指側の筋から肘の関節までピリピリと電気が走り、指の間から虚しく力が逃げてゆく。以前はロックグラスを握り潰すほどの剛腕を誇っていたが、この頃はすっかり自信を失くし、不本意にも一生連れ合うこととなった人工靭帯は堅物で、柔軟さも訓練にもまったく無関心なのだと苦く思い知らされるばかりだった。慢性的に疼き続ける腕の筋肉をしばらく痛めつけてから、力無くグラスを掴み上げ、ふと気配のした黒い扉の方へ視線を遣った。すると、派手な柄物のマフラーを膝まで(なび)かせ、うねる髪を頬に揺らす、けばけばしい身形(みなり)の女が独り、小慣れた様子でふらりと入ってたきた。うっかり眼が合うと、何やら目配せをするような仕草を見せたので、反射的にさっと顔を背けた。あれはどう見ても商売人の立ち振る舞いだ。こんな蠱惑(こわく)的な歓楽街(ところ)で、面倒ごとに絡まれるのはごめんだ。憎らしげに眼の前の空席を見遣り、慰みに使い古したフライトジャケットの胸ポケットから、慣れない直感通信端末(ICD)を取り出した。結果は分かり切っている。受信記録に報せはなく、時刻と日付を表す数字だけが、ただ無機質に表示されていた。


「代理を送る」


まさに、地獄へと導かれるように延々と続く黒い闇の景色と、車窓に反射する記憶よりも幾らか老けた顔を見飽きた頃、シリウスから、そうひと言だけ連絡があった。無駄に重く洒落た形状が鼻につくが、内々に入手した地下都市(マリス)仕様の通信チップは、分厚い装甲の車内でも問題なく通じているようだ。胸ポケットへ戻しかけたところで、添付されたデータに気づいて開いてみると、電子回路を思わせる黒い地図上に蛍光色で“Mistel”という文字が点滅していた。隅に、階層と座標が表示してある。いつもなら港の旧い地下聖堂か、未復旧地域の地下街で落ち合うものと決まっているのだが、どうも今回は勝手が違うようだ。それも慎重派のコルウスにしては珍しく、代理だけを寄越すという。何か止むを得ぬ事情があるのだろうが、それはシリウス不在のこちらも同様だ。胸元に手を入れ、直感通信端末(ICD)と差し替えに、潜水列車(トープドメール)に乗り込む前にしまっておいた、内ポケットの電磁波遮断容器(ステルスケース)をもう一度入念に確認した。黄緑色の小さなランプは“レベルⅡ ”を指しており、持ち主から半径一メートル以内のあらゆる端末機器(デバイス)から、地上都市(フィロス)を含むすべての繋がりを確実に切り離していることを示している。それは自由への解放感と同時に、独り、暗く冷たい海底に沈んでゆく心許なさと、絶望の覚悟を暗黙の(はら)に握らせた。海底鉄道(フォッサ・メトロ)の金切声のように響く車輪の音と落ち着きのない不規則な揺れと振動は、磁気浮上(マグレヴ)管状道路(ヴェッセル)に慣れた甘やかされた身体に、疲労と不快感を募らせる。天井と壁の曲面が圧迫する筒状の車内に、目的方向に向かって一列に並ぶ高い背凭(せもた)れの、無愛想な座席に(はま)っていると、まるで特攻部隊の魚雷に乗せられているような陰鬱さに呑まれそうになる。仕方なく眼を閉じて思考を広げ、孤立無援の心細さを紛らわせた。ひとつの個体識別用集積回路(IDチップ)の反応が途切れたことで、今頃、人口管理塔プリフロンタル・コーテックス人工知能(AI)がマニュアルどおりに騒ぎ出していることだろう。放っておけば、すぐにあのバー(ねぐら)にも調べが入る。そうなれば追放は免れず、釈明を誤れば戻る場所を失うこととなり、果ては同朋を危機に晒す事態にもなり兼ねないが、肝の据わったこの男は呑気にうたた寝を始めた。奔放な獣たちを自由に駆け巡らせ、研ぎ澄まされた本能のまま、内在する能力を最大限に発揮させるためには、援護する確かな後ろ盾が必要だ。追尾ミサイルかパパラッチの如く追い回して来る、神経質な集結協和都市(クラスター)の管理統制に対抗するため、シリウスが呼び集め、地下巣本部(ケイヴ)と銘打って配備した”守護者”たちは実に有能だ。今回の任務も、手が回る前に手筈を整え、既に帰還後の支度まで終えているに違いない。何せ、地下含め世界中のネットワークにアクセス可能なことはおろか、人工知能(AI)人造人間(ホムンクルス)を生むほどの、抜きん出た者たちまで顔を揃えて居るのだから。シリウスがその非凡の天才たちと何処で出逢い、如何に手懐けたのかは知り得ない。しかし、先駆者は隷属(れいぞく)を嫌い、何者にも追随しないことだけは、当人が誰よりも熟知している。つまり、彼らの自由意志を在りのまま活かす。それこそが、破天荒なシリウスという男の人徳であり、人望そのものに繋がっているのは間違いない。時には厄介者を巻き込んで、周りが気を揉むこともあるが、野生の異端児に眼がないシリウス曰く“創る者とは、即ち、いとも容易く破壊する方法を知っている”だそうだ。


「不機嫌そうだな。あれが気に障るのか?」


不意に声をかけられ、振り向いてから、不用心な油断に後悔が遅れて来た。右腕の傍に立っている平たい酒瓶の向こうから、派手な服装の見憶えのない人物が、親指で窓の方を指しながら近づいている。前を開けたベロア生地の黒いジャケットの間の素肌から、幾重にも絡まるネックレスや極彩色のネクタイがシャンデリアの光を浴びて主張しており、ごまかす返し言葉を探す間そればかりに気を取られた。怪訝(けげん)に顔を上げてよく見ると、先ほど眼が合った“けばけばしい身形の中性的な女”が立っていた。声音に違和感を感じながら、逃げ場を失くして座り込んでいると、客引きか舞台俳優のように気取ったその女は、燕脂(えんじ)の口紅を引いた薄い唇に笑みを浮かべ、椅子の背に手を掛け、迷惑そうな先客を気にも留めずにペラペラと勝手に話を進めている。


「今地上は秋だろう?いや、まだ夏だったか?何なら楽園のビーチでも流そうか?あんたの好みを言ってくれれば、マスターに言ってスクリーンを変えるよ。この店のオーナーは俺だからな」


そう言いながら、許可も求めず椅子を引いて無作法に座ると、人差し指を立てた手を掲げ、カウンター内のボーイに何やら合図を飛ばした。その意外な手指を見て驚き、窓の景色が場違いな常夏のビーチに切り替わったことには眼もくれず、突き合わせた化粧に映える顔を、もう一度疑り深く見つめた。華奢な鼻筋や薄い頬では見分けがつかないが、細い顎下の尖った喉仏が、その答えを(まご)うことなく物語っている。


「そう見惚れるなよ。こう見えて俺はシャイなんだ。男か女か、地上(うえ)じゃそんなに重要か?」


軽口を叩きながら美しく切り揃えられた眉を持ち上げると、鱗粉のような藤色の(まぶた)がより煌びやかに際立った。軽率な衣装の下には、洞察の蜘蛛の巣を着込んでいるらしい。些細な動揺は鎮まり、警戒がナイフを構え、厳重に意識を護り固めた。それに同調したのか、(からす)の濡羽色に縁取った眼を挑発的に細めていた相手も次第に真顔に変わり、幾分か態度を改め、声を落として口を開いた。


「レフだな。そんな格好で怖い顔して座ってたら、嫌でも目立つぜ。待たせて悪かったな。東の海(オリエンス)のライアーだ」

「あんたが代理だっていうのか?冗談だろ」

「ご挨拶だな、ボスにはガキの頃から世話になってる。今では息子同然の側近だ」

「側近だと?ライアー(嘘つき)と名乗るようなヤツを信用しろというのか?IDを見せろ」


ライアーは波打つ前髪を掻き上げて煩わしそうに仰け反り、ベルト辺りから無造作に直感通信端末(ICD)を取り出して、テーブルに放った。レフは捲れ上がった上着の裾からわずかに覗いた、凶暴な黒い銃身を見逃さなかった。一気に身が引き締まり、この体勢から男が銃を構える速さと、袖口に潜めたナイフを抜く速さを無意識に計算した。すると、ライアーは降参だと言わんばかりに両手を上げ、手のひらをひらひらと見せつけてきた。まるで心を読まれているようで気味が悪い。その挙動を威圧で抑えつけたまま、テーブルに投げ出された直感通信端末(ICD)のスクリーンに素早く視線を走らせた、顔、ナンバー、生年月日と順に読み取っていると、腹の上に指を組んで仰け反り、太々しくそっぽを向いていた男が痺れを切らして顔を突き出した。


「シェルティだ。本名だよ。ライアーは継いだ通り名だ。これで納得か?バーナード」


思考が、ぴたりと停止した。かつての戦場に葬ったその名を知るのは、散り散りになった、ごく限られた生き残りと、背を預けられるほど気のおける、旧き盟友たちだけだ。ひと回りほど歳の離れたこの男が何故その名を口にできるのか何処まで調べがついているのか、信じがたいが、もしや身内に内通者でも居るのでは ─── 。不安な坂道を急速に転がり堕ちてゆく憶測を拾い上げるように、シェルティはレフの強張った顔を悠然と見据えながら、饒舌(じょうぜつ)に昔話を語りはじめた。


「あんたは憶えてないだろうが、ガキの頃から俺はあんたを知ってる。シリウスのボディガードだろ?随分髭を伸ばしたんだな、クマみたいだぜ。そうだ、相棒はどうしてる、図体のでかい金髪の狂犬みたいなヤツといつも一緒だっただろ?」


天然かそれとも人工物か、珍しい鉱石のような紫紺の瞳を細めて、シェルティは悪戯な笑みを浮かべている。意図的に油断を誘っているのだろうが、その屈託のない表情にふと気が軽くなり、レフは張り詰めていた緊張をゆったりと弛め、懐かしいその名に心を委ねた。


「 ─── あいつらとは、ただの腐れ縁だ」


(おぼろ)げだが、ふたりの子どもを見かけた記憶が確かにある。コルウスを取り巻いていた多くの顔触れを思い出しながら、飲みかけの酒瓶に手を伸ばし、残りの酒を空のグラスに注ぎきった。


「そんな安酒で酔えるのか?もっといい酒を頼めよ、俺の奢りだ」

「何もはるばる、お前と酒を酌み交わしに来たわけじゃないんだ。─── 白いネコに、憶えはあるか?」

「ネコ?何だ、愛玩用人造人間(コピーキャット)のことか?あいにくウチの管轄は、高官相手の高級娼館(ロイヤル・ブロッセル)でね。プロの嗜好用商人間(フェティドール)しか取り扱ってないんだ。入用ならすぐに手配するぜ」

「・・・あんたの商売に興味はない。血の通った仔ネコのことだ。最近、地上と取引があったか?」


シェルティは上着の襟を摘み上げ、長い猫の毛らしきものを見つけて口を尖らせ、フッと軽く吹き飛ばした。


「俺はこう見えて動物好きでね。でかい黒ネコを飼ってるんだが、ところ構わず毛まみれにしてくれる、可愛いヤツさ。オリエンス(俺たち)は動物には手を出さない。商売道具なんて、論外だね」


白を切る気か、若しくは核心に近づいたのか。飄々としたその態度に呆れてグラスを庇いながら、レフは慎重に、さらに一歩奥深くへと踏み込んだ。


「“俺たち”以外なら、どうだ?」

「 ─── 西の海(ヴェスト)のヤツらは、子どもだろうと仔ネコだろうと、金になるなら商品も商売相手もお構いなしさ。何せ、ヘッドが底無しに強欲な野郎だからな。陣取り合戦で勝ち星を挙げたくて仕方ないのさ」

「名は」

「 ─── ヴァルチャー。お似合いの通り名だよ。接触は止めとけ、屍まで喰い荒らすような執念深い連中だ。一度目を付けられると厄介だぜ」


開けた眉間に細い(しわ)を刻んで、シェルティは眼も合わせず、その名を口にした。何処かで聞き憶えのある名だ。酒瓶に映る曖昧な記憶を酔いに任せて辿っていると、少し間を置いてから、シェルティは突然思い立ったようにテーブルの上に両肘を突き、組み合わせた手で口元を塞いで、ずいと顔を寄せて声を潜めた。


「あんたがその道のプロなら、ついでに撃ち堕としてくれよ。周りで(うるさ)く飛び回られて、俺もボスも迷惑してるんだ」


眼と鼻の先に迫った、(あや)しい紫紺の瞳の中に、鮮烈に光る狂気を見た。この男の華美なまでに着飾った仮面の奥底には、怨恨や報復を餌にする怪物のようなものが棲んでいる。本能でそれを感じ取ると、レフはすっと酔いを醒まし、その妖艶な瞳を見詰めたまま、冷静な低い声で明確に境界を引いた。


「コルウスには恩義があるが、アヴィスの抗争に関わるつもりはない。悪いが、それがルールだ」


その意図を過敏に察したシェルティは、羽根を畳むような仕草で不機嫌にマフラーを翻した。


「均衡か?誰が守ってるんだ、そんなもの。 ─── 気が変わったらいつでも連絡してくれ。礼なら幾らでも用意するぜ」


何処までも報酬を吊り下げ、欲情を焚き付けようとするのは、商売人の(さが)なのか、それとも単に諦めの悪い性質(たち)なのか、どちらにせよ、幸い甘い誘惑に(なび)く気の迷いなどは一切起こらなかった。骨抜きにされ、融けた己の理性で溺れるような人生など、堪ったものではない。視界の端で(うごめ)く見苦しい情景が、快楽に逃げ、堕落した者の行末を露わに映し出している。


「それより、もうひとつ訊きたいんだが、ブラトヴァという名に聞き憶えはあるか。とある教会(エクレシア)君主(モナク)と呼ばれている大柄の男だ」

君主(モナク)暴君(タイラント)の間違いじゃないのか?」


腕を組んでそっぽを向いたまま、シェルティは大して唇も動かさず、早口でその台詞を言い終えた。呆気に取られていたレフが身を乗り出そうとすると、シェルティは下がれと言わんばかりに睨みつけ、気忙しく言葉を被せた。


「今のは、聞かなかったことにしてやるよ、バーナード」


両者は互いに(ひる)むこともなく睨み合ったまま、しばらく肚の探り合いが続いた。体格では圧倒的大差がついていることは一目瞭然だが、痩身のシェルティの身構えは断固として譲る気配もない。おそらくその頸動脈にナイフを突きつけたとしても、結果は同じことだろう。レフは大人しく身を引き、ゆっくりと(まぶた)を伏せ、何度か頷いて見せた。少なくとも、シェルティのこの態度で、ブラトヴァとアヴィス・インフェリスとの繋がりがあることは充分に証明された。そのわずかな収穫だけでも、わざわざ地底まで降りてきた甲斐があったというものだ。その時ふと、店の騒めきの中から不穏な気配を感知した。それとなく視線を送り、探りを入れていると、シェルティがテーブルの下から細い中指で酒瓶を弾き、ピンという澄んだ音に思わず意識を引き戻された。


「気にするな、俺のファンだよ。狙いはあんたじゃない」


それはまた、何かの合図だったようで、ガタイの良いふたりのボーイが素早く動き出したかと思うと、シェルティの背後をのしのしと通り過ぎ、ある奥の席へと向かって行った。シェルティは微笑みを浮かべたまま、真っ直ぐにレフの瞳を捉え、その方を振り向くことさえ許さなかった。やがて、女の微かな悲鳴が聞こえた。奥の席で何が行われているのか予測しながら、レフはシェルティの言う“一度目をつけられると厄介だ”という台詞に内心深く納得していた。


「 ─── これが最後だ。もうひとつだけ聞いてくれ。ある人を探してるんだが、見憶えはないか?」


懐から直感通信端末(ICD)を取り出しシェルティの方へ向けると、その微笑みが一瞬で硬直した。想定外の反応にレフは(いささ)か戸惑い、次の言葉を見失った。シェルティはスクリーン映し出された白金の髪の儚げな人物を、瞬きもせず、まるで時が止まったかのように見つめている。


「傷つけたのか?」

「 ─── どういう意味だ」

「あんたを置いて去ったんだろ?」


困惑するレフの顔を嘲笑うかのように、シェルティは頬を歪めて冷たい視線を上げた。


「勘違いするな、俺は勝手に身内の世話を焼いているだけだ。もし、知っているなら教えてくれ。もちろん、それに見合った情報は渡す」

「等価交換か?悪いがここは、悪意の都市(マリス)だ。嫌味ったらしく、あんたらが名付けた蔑称(べっしょう)だ。そうだろ?ここでものを言うのは今でも“金と権力”さ。欲を支配し邪魔者を征した者だけが生き残る。生ぬるい地上(うえ)のやり方なんざ通用しない。それに ─── 」

「何だ、言ってみろ」

「 ─── 同等の価値のものなんて、この世には無い」


挑発の応酬に喧嘩腰になりかけていたレフは、唐突に戦意を失った。調子良く能書を垂れていたシェルティは、突然の雨に打たれたように濡れた瞳で虚空を眺め、眼を合わせようとはしなかった。


「なんてな。俺の探してる人に、よく似てる気がしたが、どうやら人違いらしい。 ─── 知らないね。話は終わりだ」


沈んだ声で顔を背けて、シェルティは席を立とうと椅子を引いた。これ以上の追求は野暮だなと、レフは詮索をやめ、シェルティ、もとい、ライアーを静かに見送ることにした。しかし、このまま別れるのも、どうにも後味が悪い。多少酒に弱くなったのか、心残りに任せ、世間話を持ちかけるつもりで、また去り際の袖を引いた。


「コルウスは一体どうしたんだ。忙しいのか?長い間顔も見ていないが、無事なんだろうな」

「このところ、籠りがちでね」

「何かあったのか?」

「刺されたんだ。でも相手はプロじゃない、傷は急所を外れたよ。それから、(なだ)れ込むようにあちこち悪くなって・・・医者が言うには予後が良くない。何より、気力を失ってる」

「 ─── 援助が、必要か?」


立ち上がり、出口の方を向いたシェルティは、肩越しに半分振り返った。派手なマフラーで表情はほとんど覆われている。


「玉座が狙われるのは日常茶飯事だ。何も今日に始まったことじゃない。でも今回は話が別だ。血を分けて情を注いだ実の子どもに、裏切られたんだからな。誰だって塞ぎ込むさ」

「 ─── 何もできないのが心苦しいが、せめて物資を送る。今日の礼と、見舞いだ。気を確かに持つよう、どうか、傍に居てやってくれ」


その言葉に、シェルティはもう一度だけ、レフの真摯な眼差しをまともに見た。艶と威勢の良さはすっかり失っていたが、親を想うひとりの青年の切実な素顔が、化粧の下からはっきりと垣間見えた。


「ああ。あんたのとこの“オヤジ”にも、よろしく頼むよ。できたら、逢いに来て欲しいと伝えてくれ」


ライアーは仮面の微笑みを遺して身を翻し、永遠の夜の街へと消えて行った。


絢爛(けんらん)なシャンデリアに照らし出された丸テーブルに座り込んだまま、レフはグラスに残っていたひと口の酒を物憂げに見つめた。いつもなら、大して呑めもしないのに、毎度酒の相手をしてくれる無口な“相棒”の顔が浮かんでくる。あいつなら、すぐに胸ぐらを掴み上げて噛み付いていただろうな。猫と犬の喧嘩を想像して、独り片頬を歪めた。だが、その“相棒”も“オヤジ”も、一線を退く日が近い。琥珀色に揺れるグラスに、未練がましく、いつまで黄昏れているつもりだろうか。酒を一気に呑み干すと、しつこく疼く右腕を掴んで、レフはようやく重い腰を上げた。カウンターのボーイに有り金のすべてを渡して、店を去ろうとしたその間際、何気なく流し見た、壁飾りの絵画や写真たちに不思議と後ろ髪を惹かれた。黒い扉に伸ばした手を遊ばせたまま、何故か吸い寄せられるように一枚の写真に顔を寄せ、じっくりと眼を細めた。時代を感じる黒ずんだ素朴な木製の額縁に、若きコルウスの凛々しい姿と、ふたりの幼子が写っている。右側の肩を抱かれたひとりは、頬を赤らめた、やわらかな笑顔の子どもで、左側に半分背を向けているのは、暗色の髪を両頬に垂らした、陰のある表情の子どもだった。


その時、曖昧に霞んでいた記憶の照準がぴたりと鮮明に一致した。いつもコルウスの傍に居ながら、人目を気にして隅に隠れていた、あの内気な少年が彼なのか。そして、この天使のような子どもが、実の父親を ─── 。

人を変えるのは時の流れか、それとも、この街の酒とネオンが狂わせるのか。

コルウスの慧眼(けいがん)にそっと敬礼を送ると、レフは扉を開けて欲望の渦巻く街を後にした。

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