I:野鼠
まるで、旧い映画でも観ているようだ。若しくは、懐古主義が悦ぶ荒野の舞台と云ったところか。だが生憎、単眼のオペラグラスを覗く物好きな観客はここに、たったひとりだ。朽ちた教会を取り囲む柵の中で黒いマントの女たちに見護られ、粗末な衣服の子どもたちが大した遊び道具も無く無邪気に戯れている。数は凡そ三十。性別、人種、背格好に共通点はなし。世話役らしき奉賛者は四人。顔はあまり見えないが、比較的若年者だろう。その異様な光景は、集結協和都市を遠く離れた辺境の大地、見渡す限り拡がる不毛な丘陵の、ある窪地で起きている。目につく植物は雑草を除けば深緑の針葉樹が二本、裸の枝の樹々が三本、まるで向こうの山々に見捨てられたように疎に根付いている。いや、遺っていると云うべきか。
庇の陰からまたひとり、眼鏡をかけた大柄の女が出て来た。あくまで品位を保っているが、挙動に焦りと興奮が窺える。おそらく、あの独り逸れたヤギ小屋の子どもを探しているに違いない。腕を引いて眼の届く輪の中に連れ戻す気なのだろう。男は、理由も知らぬ他人事ながら、微かな反骨心を抱いた。
子どもたちは安全でもあり、囚人でもある。
思いもよらぬ不快な感情に気が散って、一度見口から顔を離し、スコープに頬を預けて雑念が消え去るのを待った。気を取り直して左目を瞑り再びレンズを覗くと、逸れた少年が看守に見つかっていた。諦めか、はたまた抵抗からか、大柄の女の方へは見向きもせず、雪を被った白い山脈の方を頑なにじっと眺めている。その視線につられて山の方へピントを合わせると、上空を舞う大きな猛禽類が雲間から優雅に姿を現した。
自由への羨望か、それとも野生の呼び声を聞いたのか。
今や虹と喩られるほど幻となったイヌワシの飛翔に胸を打たれたのか、男はまた少し動揺を感じていた。媚びず、群れず、独り闘う幼い背中を眺めていると、同類の血が共鳴に騒めきはじめる。しかし、今はそんな感情は不要だ。冷たい砂利だらけの枯草の上に平伏して観察している目的は、嗜好でも、暇つぶしでも、あの子どもの擁護でもない。そもそも、子どもに大して興味もない。頭を低く保ち、疲労して来た肘の位置を少しずらしてから、勘の導くままにレンズを傾け、ひと際目立つ塔の方へと絞りを調節した。人差し指に触れる冷たい凹みを二度叩くと、ぼやけていた十字の照準線が鮮明に浮き上がる。生体反応あり、距離は不明。窓は暗く、中の様子は解析不能。望遠はこれが最大だ。この様子では日中は自然光、夜も原始的な灯りを使用しているに違いない。狙撃から身を護る術を心得ているのだろうか。しかし、セキュリティの面には粗が目立つ。屋外には配線やバッテリーなどの電磁系統の類いも見当たらず、電子ロックや侵入トラップの反応もない。議会への申告通り、自然主義のただの不成者なら良いのだが、その“源力”がもし地下に延びていた場合には、話が一層ややこしくなる。だがそれも、今は確かめようがない。
ついに諦めて、教会の前景を肉眼で眺めた。かつての修道院らしく、生活用と思しき棟の向こう側には、まだ奥行きがある。しかし、もうこれ以上の接近は不可能だ。障害物が少なすぎる。
また延々と歩いて、あの向こう側のほど良い寝心地の丘の上を探すのか ─── まあどのみち、単車で近付くわけにもいかない。十キロ手前に取りに戻るのも面倒だ。
小高い丘の上でうつ伏せのまま、男は独りため息をついた。すると、まだ肌寒い風の中から、鋭敏な右耳が懐かしい記憶を甦らせる鈍い機械音を捉えた。音の方へ眼を細めてみたが、肉眼では微かな砂埃しか確認できない。すぐさまスコープを構えると幾つかの丘の向こうから、白い車両が間違いなくこちらへ一直線に向かって来る。
無法者の放浪者か。
いや、無知な連中があの厳戒態勢の境界崖壁地を無傷で突破できるはずがない。
旧型のようだが軍用装甲車だろうか。それとも偽装車か。何にせよ手練れの密猟者でないなら、目的は同じ、あの教会に違いない。男は瞬時に様々な憶測を廻らせながら黒いカーボングローブの人差し指を右耳に当てた。
「確認だ。シリウスから誰か寄越すと聞いてるか?議会から追加情報は? 」
太い声は獅子が吼えたように、ただひと言「いや」と端的に応えただけだった。
巻き起こる胸騒ぎを鎮めながら、録画モードを作動させた。眉間に皺を刻み、より入念に絞りを調節していると、突然チクッと腹に痛みが走った。今はそれどころではないと堪えていると、さらにチクリと痛みが刺す。止むを得ず素早くジャケット捲ると、横腹付近に小さな薄茶色の毛玉が見えた。人の腹を齧っておきながら円な瞳の無垢な顔が、きょとんとこちらを見つめている。
まったく、自然保護回復強化区域らしい珍事件だ。
追い払うに払えず慎重に手を伸ばすと、野ネズミは自ら枯草の間に駆けて行った。半ば呆れ顔で細い尻尾が叢に消えるのを見送り、急いでレンズに視線を戻した。路面走行の白い車両はそのわずかな間に眼下に迫り、柵の中の奉賛者や子どもたちが気づき、わらわらと注意を向けている。しかし、慌てふためいているという風でもない。不審に思いながらも、男は沈着に観察を続けた。
至って凡庸な旧型の車両が教会の門の前に停車すると、やがて身形の良い人物がひとり、運転席から降りてきた。そして何の警戒もなく門扉が開かれ、同時にひとりの奉賛者が小走りで建物の方へと駆け出した。だが、子どもたちに怯えている素振りはない。おそらくあの女は誰かを呼びに行ったのだ。先ほどまでヤギ小屋に居た、統率者らしき大柄の女が率先して門の方へと歩み寄り、軽い握手と朗らかな挨拶を交わしている。どう見ても顔見知りとしてのもてなしだ。その客人の様子は頭髪の薄れた後頭部しか見えないがスコープの分析モニターには“所属・医療機関”と表示されている。男は、ますます顔を顰めた。
すべてに、違和感がある。現状は、虚構の塊だ ─── 。
高まる緊張を抑え、敢えて一度俯瞰した中立的な視点を試みた。提案、説得、助言者と仮定するのはどうだ。何らかの理由で議会が内密に差し向けた交渉人とも考えられる。または、この孤立した施設を定期的に診察している世話焼きな人物という可能性もある、とも考えた。しかし、協和を拒み続ける教会が、対立しているはずの集結協和都市の関係者を笑顔で迎えるはずはなく、それ以上に、直下の心臓部である中央都市に所属して居ながら、足のつかない車両を所有してこの自然保護回復強化区域で排気ガスを撒き散らしている、それだけでこの状況は、取引、癒着、腐敗の可能性が一気に高まる。
あれこそが危険因子ではないのか・・・今まさに叛乱の片鱗を目撃しているのでは ─── 。
現場を捨て、今すぐ単車を取りに行くべきかと逸る衝動に駆られていると、次の瞬間、はたと身体中の音が止んだ。石の庇から、白髪混じりの黒衣の男がマントを翻して現れたのだ。
獲物だ。
緊迫が無意識に息を殺した。意識は恰幅の良い腹を突き出して歩く男の、一挙手一投足に集中している。それは敬意と表すべきか、それとも畏怖と呼ぶべきか、威圧的とは思えぬ男が進むその動線を、奉賛者と子どもたちが皆視線を下げ、おずおずと退いて道を開けてゆく。その中央を堂々と進み出た獲物は、扉を開けて待つ客人の男と握手を交わし、滑らかに車内へと乗り込んだ。会釈を添え、扉を閉めた危険因子もまたすぐに運転席へと回り込み、白い車両は元来た道、蜃気楼のような集結協和都市の方角へと走り去った。そして、教会の柵の中は何事もなかったかのように、また日常の平穏を取り戻した。
「なるほどな」
ため息混じりに独り呟くと、男は丘の上に寝そべったまま短い金髪を手荒く掻いて、しばし、途方に暮れた。すっかり連中に翻弄された気分だ。焦りは消え、妙な静けさだけが残っている。今度は仕切り直しのため息を吐くと、ずりずりと腹這いになって一メートルほど足の方へ下がり、上半身を起こした。枯れ草のカモフラージュを払い退け、白い自動小銃からスコープを外し、眉間に皺を刻み込んだまま、手際良く分解してゆく。
この情報は厳重に扱うべきだ ─── もはや、誰も信用できない。
─── “獣たち”以外は。
一度持ち帰って、情報を整理する必要がある。作戦も練り直しだ。男は調査を中断し、丘を降りる支度を進めた。
ふと思い出して腹を捲ると、小傷が赤らみ、わずかに血が滲んでいる。ついてないな、とぼやきながら、枯れた叢に埋めてあったライフルケースを引っ張り出した。
ザクザクと荒い小石に滑りながら丘を降りていると、道なき道の傍に、覚えのある薄茶色の毛玉を見かけた。小さな憎しみが芽生えて、足音を消しながらそっと近づいてみる。別に獲って喰おうと云うわけでもないのだが、厚手のブーツの踵から爪先へ慎重に体重をかけ、細い枯草の間を覗き見る。姿が見えた。やはりあいつだ。しかし、二メートルほど手前に来たところで危険を察知した野ネズミは、ピクっと小さな頭を上げて、瞬く間に枯草の中に消えて行った。本物の野生は違うな、と片頬を歪めて自嘲すると、またザクザクと砂を蹴って丘を降った。
その時だ、今度は何やら微かな鳴き声を聞いた。辺りを見渡すと野ネズミが居た辺りの草だけ背が低く、景色が窪んでいた。
仔猫だ。
尻尾の根元に赤い鮮血が見える。よほどの空腹か、弱肉強食を覆す気だったのか、まったく貪欲で気概のあるヤツだ。仔猫はか弱く声を上げ、ゆらゆらと揺れながら頭を気配の方へ動かした。酷く衰弱している。何処からか歩いてきたのか、それとも咥えた鳥が運良く空から落としたのか、こんな見晴らしのいい場所で、幸運にもまだ生きている。眼は見えて居ないのだろう。目やにがひどく顔を上げる気配はない。男はライフルケースを背負ったまま、その場に蹲み込んで、どうにも考えあぐねていたが、ふと、妙案を閃いた。
これも、運命だ。
サイドポーチから止血用のキットを取り出し、包帯を引き伸ばすと、それを丸めて“巣”を作り、手の平ほどの仔猫を拾い上げ、“巣”ごとガーゼで包んだ。そしてジャケットの裾をベルトの中へときつく押し込んで仔猫を胸元に仕舞い込み、何度か揺らして安全を確認すると、教会の方へ向きを変えて歩き出した。




