準備 2
<準備 2>
夜明け、星々が最後の囁きを交わし、空が灰色に染まる静かな朝。
スンウの微かな動きに、シアはいつものように最初に目を覚ます。
「うーん…今日もか。」
彼の動きに慣れたように、彼女はそっと彼のズボンの裾をつかんでついていく。
スンウは夢の中にいるかのように、体をうまく支えられず、ベッドから起き上がり、どこかへ向かってよろめく。ドアを開け、二人が立ち止まったのは、スンウの妹、スンアの部屋の前だった。彼の手にはスナックと薬が握られている。
意思のないロボットのように、彼はぼんやりとドアの前に立ち、沈黙する。唇が震え、何か言おうとするようにわずかに動くが、結局開くことはない。
「スンウ? スンアに何か伝えたいことでも?」
シアが優しく尋ねる。答えのない質問だと知りながら、彼女はあえて声をかける。彼の無反応に、シアは考えに沈む。
『いつからスンウはこうだったんだろう? 私がこの家に来てから? それとももっと前から?』
シアがスンウの夢遊病に気づいたのは、彼女がこの家に初めて足を踏み入れたその夜だった。夜明けの静寂の中、知らない家で眠れなかった彼女は、微かな物音に目を覚ました。部屋の中から聞こえるかすかな足音、そして暗闇の中でよろめくスンウの影。
最初は彼が起きてどこかへ行くのだと思った。だが、彼のぼんやりした眼差し、答えのない沈黙、機械のようなぎこちない動き。そのすべてが彼女の鋭い感覚を刺激した。
『何かおかしい。』
彼女は静かに彼を追いかけて観察した。スンウが立ち止まったのは、彼の妹、スンアの部屋の前だった。彼の手にあるスナックと薬、そして震える唇が、言えなかった何かを物語っていた。彼が夢遊病だと知ったのは、携帯の使い方に慣れてから調べた結果だった。
「動きを止めちゃいけないって言ってたよね。」
それ以来、シアは彼が満足するまで待つようになった。
その瞬間、彼の手から力が抜けたように、スナックと薬が床に落ちる。シアは素早くそれを受け止め、反動で倒れそうになった彼を支えて部屋に戻す。がっしりした大人の男の体を小さな少女が支えるのは簡単ではないが、神獣であるシアには問題なかった。彼をベッドに寝かせながら、彼女はつぶやく。
「精神的なトラウマが大きいとこうなるって。だいじょうぶかな。」
シアは彼の隣に横になり、近くで彼の顔を見つめる。黒い髪は夜明けの光にほのかに輝き、柔らかな曲線を描いて額を軽く覆っている。彼女が指先でそっと髪をかき上げると、透き通った額が現れる。まるで夜明けの霧のように清らかで透明な肌が、彼の静かな呼吸とともに光を放つ。
すっとした鼻は端正で力強い印象を与え、その下のプリンのように柔らかい頬は、触れればふわっと沈みそうな温かみを帯びている。今は閉じている彼の瞳は、普段彼女を見るとき、深い湖のような穏やかな温かさをたたえる。その眼差しは、いつも黙って彼女を守ってくれる優しさと、言葉にしなくても伝わる慰めで満ちている。彼の顔はただかっこいいだけでなく、過去の痛みと、それでも守り抜いた善良な心が静かに溶け込んでいるようだ。
シアは彼の均等な呼吸を聞きながら、彼の顔から夜明けのような静かな平穏を感じる。
「やっぱり…君は特別だね。」
彼女は心の中でつぶやき、微笑む。彼のそばにいるだけで心が温まるこの瞬間、彼女はこれからもこの顔、この呼吸をそばで見つめていられることに心が躍りながら眠りに落ちる。
携帯のアラーム音が夜明けを切り裂いた。スンウは目を開けると、腕の中に眠るシアを見下ろした。少し開いた彼女の口から流れ出た唾液が、彼の服を薄く濡らしていた。
彼は優しく彼女の肩を揺らしながら言った。
「シア、朝だよ。起きなよ。」
いつもより早い時間だったせいか、シアはまだ夢の中に深く沈んでいた。
「うーん…あと5分…いや、10分…」
スンウは微笑んで先に起き、朝食と外出の準備を済ませた。戻ると、シアは食卓でうとうとと眠そうにしていた。
「先に食べなよって言ったじゃん。俺を待ってたの?」
「うん…すぐ食べて準備するね。」
「急がなくていいよ。まだ時間はたっぷりあるから。」
シアは眠気が抜けない琥珀色の目をかすかに開け、ゆっくりとご飯を噛んだ。スンウは彼女の眠気を吹き飛ばそうと、いたずらっぽい口調で言った。
「今日、俺が行きたいところにも寄って、シアが行きたがってたところにも行こうか。」
シアの目が金色に輝いた。
「ほんと? じゃあ早く準備しなきゃ!」
彼女は一気にご飯をかき込んだ。スンウは心の中で笑った。
『遊園地がそんなに行きたかったのか。』
数日前、シアはテレビで芸能人が遊ぶ姿を見て、一緒に行こうとせがんでいた。その時はいろんなことで頭がいっぱいで後回しにしたけど、こんなに喜ぶとは思わなかった。準備を終えた二人は玄関を出た。
#
今、私はスンウとバスに乗っている。行き先は言っていないけど、なんとなくわかる。バスに乗る前に寄った花屋、彼の手にある二本の勿忘草、いつもと違うきちんとした服、そして顔にちらつく寂しげな影。きっと墓地だろう。
『あと数日でこの場所ともお別れだ。』
地球での時間は特別だった。エラリオンで父と人間の村を見に行ったことはあったけど、地球は全く違った。ここの物、建物、移動手段は新鮮で面白かった。そして、そのすべてを一緒に教えてくれたスンウは、いつの間にか私の心の片隅に居場所を作っていた。彼に会わなかったら、私は知らない世界で一人彷徨っていただろう。
『スンウがそばにいてくれてよかった。エラリオンでも彼のために同じようにしてあげなきゃ。』
でも、私にはまだ彼に言っていない秘密がある。エラリオンに行ったら、地球には戻れないということ。その事実を伝えようと何度も口を開きかけたけど、なぜか言葉が喉でぐるぐる回るだけで出てこなかった。
彼が知ったらどんな顔をするだろう。あの温かい瞳が揺れるのか、それとも変わらず静かに私を受け入れてくれるのか。彼のことを思うほど、罪悪感が胸を締め付ける。私が彼を知らない世界に連れていくのが、本当に彼のための選択なのか。それでも、私は彼を手放せない。彼がそばにいてくれた時間、夜明けごとに彷徨う彼の手を握った瞬間、そして私を見てくれるあの優しい笑顔。それらが私の心に深く刻まれ、私を動かす。
『そう、エラリオンでスンウをもっと幸せにすればいいんだ。』
私は自分を励まし、単純な決意に頼る。彼が地球を忘れるほど、私の世界を愛するようにすればいい。そうすれば、この罪悪感も、この迷いも、すべて消えると信じている。私は静かに微笑み、彼の手をぎゅっと握る。
ピンポーン。
スンウがバスのベルを押した。
「着いたよ。降りよう。」
彼が私を見て温かく微笑んだ。
「うん!」
彼と過ごす未来を思い描きながら、バスを降りた。
#
納骨堂に着いた。草に覆われた墓を想像していたけど、目の前には冷たい安置壇が広がっていた。
スンウは家族の写真の横に勿忘草をそっと置き、目を閉じて頭を下げた。
『何を考えてるんだろう。』
写真の中の彼の母は明るく笑っていた。スンウと同じ目の色、髪の色、穏やかな雰囲気。彼が誰に似ているのか、すぐにわかった。
視線をスンアに移した。スンウと同じ目と髪の色だったが、鋭い目つきが少し野性的な印象を与えた。でも、彼女の笑顔はどこかスンウに似ていた。
『スンアとはいい友達になれたかもしれない。』
私は心の中で彼の家族に語りかけた。
『スンウのお母さん、スンア。スンウのことは心配しないで。私が何があっても守るから。』
スンウが家族への言葉を終えたのか、手を差し出した。
「もう行こうか?」
彼の表情はすっきりしているのに、どこか寂しさが残っていた。
『いつかあの顔から痛みが消えて、陽だまりのような笑顔だけが残りますように。』
「うん!」
いつものように彼の手を握り、外に出た。
「今日、一緒に来てくれてありがとう。さっき何考えてたの?」
「うーん、なんでもないよ。」
「そう?」
本心を言うのは恥ずかしくて、ごまかした。
「じゃあ、次は遊園地行こうか? 予約してあるからすぐ行けるよ。」
「すぐ行っていいの?」
「シアが俺のために来てくれたんだから、すぐ行ってもいいよね。」
「ひひ、楽しそう! 行こう!」
陽に照らされた彼の姿は、夜明けのぼんやりした姿とは違って鮮やかだった。これからもずっと見続ける景色だと信じて、私は彼の手を握って走った。
#
「めっちゃ楽しかった!」
遊園地を終えて家に帰る階段で私が叫んだ。頭にはオオカミの耳の形のヘアバンド、腕にはスンウが買ってくれた金色のブレスレットが輝いている。遊園地では動物の耳が必須だと言って私が選んだ。だから今、私とスンウは同じオオカミの耳をつけている。
ブレスレットは売店でスンウが私の目の色を思い出したと言って選んでくれたものだった。繊細な銀のチェーンに琥珀の石がはめ込まれ、陽光に反射していた。予想外のプレゼントに嬉しくて、彼をぎゅっと抱きしめた。スンウは照れくさそうに笑って私の頭を撫でた。
トントン。その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「いる?」
聞き覚えのある声に、スンウが一瞬固まった。
「スンウ?」
驚いた彼が私の手を強く握り、すぐに緩めて言った。
「ごめん、ちょっとびっくりして。」
階段をもう一段上がり、ドアの前にいる人物を確認した。
「ジウン? なんでここに…」
「スンウ! なんで電話番号変えたの? 帰国してすぐお前に会いに来たんだよ。」
ドアの前に立っていたのは、スンウと同い年くらいに見える女性だった。親しげに近づいてきて、私が握っていない彼の左手を取り、目を合わせた。その姿に、なぜか腹が立った。私は彼女の手を払って、まっすぐに見つめた。
「何? このガキ、誰?」
彼女は驚いたように私を睨んだ。
「こっちこそ聞きたいわ。あなた誰? うちの家の前に何の用?」
私はわざと「うちの家」と強調して笑った。でも心の中は違った。スンウも慌てたのか、遅れて紹介を始めた。
「シア、こいつは幼馴染のイ・ジウンだよ。」
「ジウン、こいつは…事情があってしばらく面倒見てる子だ。」
「子」という呼び方に不満だったけど、それより目の前の女がもっと気に入らなかった。
「ふーん? 最初、スンアかと思ったよ。まぁ、スンアは死んだからすぐ違うってわかったけど。」
彼女の言葉に私は一瞬呆然とした。
『スンウはまだ家族を忘れられず、夜明けごとに彷徨ってるのに…』
腹が立って、彼女を押しのけてドアロックの暗証番号を入力し、スンウを連れて家に入ろうとした。なのに、彼女もついてきた。
「男が一人で住む家にしては、けっこう綺麗ね?」
無礼だった。さっきの言葉もそうだけど、一人で住んでるわけじゃない、私と一緒に住んでるのに。掃除はスンウがしてるけど。
「ちょっと、なんでうちの家まで入ってくるの?」
普段なら「人間のくせに」と言いそうだったけど、人が「人間」と言うとスンウが恥ずかしがるのを知っていたから、できる限り我慢した。
「あなた、面白いね。ここがあなたの家? スンウの家でしょ。」
彼女の言葉一つ一つが神経を逆撫でした。私はスンウを見て、彼女を追い出せと目で訴えた。彼は私の意図を察したのか、頷いた。
「ジウン、せっかく来たんだから何か飲む?」
…伝わらなかった。私たちは食卓に座って彼女をもてなした。
「久しぶりにスンウの話聞きたいし、ママが伝言あるって。」
「おばさんが? まさか金の話じゃないよね?」
「もちろん金のためよ。じゃなきゃ私が来るわけないでしょ?」
「はぁ…金のために娘まで送り込むのか。」
スンウはうんざりしたように顔を手で覆った。私は状況を把握しようと、静かに二人の会話を聞いた。一時間の会話でわかったことはこうだ。
一つ、スンウの母はスンアの入院費で困っていた時、ジウンの母から金を借りていた。
二つ、2年前に両親が亡くなり、受け取った保険金でその借金を返した。
三つ、私の勘だけど、ジウンとその母は保険金を狙って、ない借金を水増ししてスンウを騙そうとしているようだった。
『こいつら、純粋なスンウに手を出すなんて!』
もう我慢できなかった。私はスンウを見て言った。
「スンウ、眠いよ。もう寝てもいい?」
無垢な目で彼を見つめた。無神経な子供のわがままのようだけど、全部計算ずくの行動だった。スンウは携帯で時間を見て、今日色々回って疲れただろうと思ったのか、頷いた。
「ジウン、今日は帰ってくれ。話は明日、おばさんと直接するよ。」
彼は彼女の背中を押しながら言った。
「何? こんなこと、ママに全部言うからね!」
「みすぼらしい奴を助けてやったのに、恩を仇で返すの? スンアが喜ぶわね!」
彼女は毒づきながら出て行った。
『あいつ!』
私は普段しない悪口を心の中で吐いた。隣で疲れ果てた様子のスンウを見た。彼は私の視線を感じ、気まずそうに笑った。
「はは…ごめん、シア。こんな姿見せたくなかったんだけど。」
疲れた彼の姿に心が痛んだ。私は彼の手をぎゅっと握った。
「スンウ、今日…遊園地、めっちゃ楽しかったよね? 一緒に来てくれて本当にありがとう。」
「シアが喜んでくれて、俺も嬉しかったよ。」
彼の声は小さく、笑顔は辛そうだった。私は彼の手をもっと強く握った。
「スンウ、私はずっとそばにいるよ。」
「うん、言葉だけでもそう言ってくれてありがとう。」
「うー、言葉だけじゃないよ!」
私は少し拗ねたふりをした。
「今日、色々回って疲れただろう。もう寝よう。」
スンウが私の手を振って言った。
「うん、スンウも疲れたでしょ。早く寝よう!」
私は笑って答えたけど、心の中では企みを巡らせていた。
『さっき出てく時は調子良かったよね? あとで会おうね、ジウン。』
スンウは私のそんな心の中を知らずに、寝る準備を始めた。




