突然の出会い 2
<突然の出会い 2>
「これは……いったい、何が起きてるんだ……」
男――ユン・スンウは震える手で狼を抱え、家路についた。
幾日も自責と絶望の中で何も口にしていない身体は重かったが、
腕の中の小さな命を守るという意志だけが、彼を走らせた。
動物病院で応急の治療と消毒を受けた狼は、なおもか細く息をしている。
スンウには直感があった。
この生き物は、普通の野生動物ではない。
全身に刻まれた凄惨な傷跡と、微かな気配は、現実ばなれしていた。
その時、ぐう――。
空腹を訴えたのは、何日も食べていないスンウではなく、狼のほうだった。
胸の中で小さく震える感触は、この命が持つ強い生命力の証のようだった。
「俺も何日か食ってないけど……家に帰ったら、まずは食べさせないとな。」
そうしてスンウは狼と共に、誰にも迎えられない、がらんとした家へ向かった。
家に着いた彼は、狼をそっとベッドの上に降ろす。
狼は意識を取り戻したのか、低く唸りながら身を縮めた。
「大丈夫……害はしない。ただ休めばいい。」
震える声だったが、最後まで優しく言葉を続けた。
狼は最初こそ警戒したが、彼の優しさに少しずつ身構えを解いていった。
「見た目は狼、だよな……生肉をやるべきか?」
最初は食べ残しのサムギョプサルを与えたが、狼は見向きもしない。
困り果てたスンウは、横に置いたラーメンをじっと見つめる狼の視線に気づいた。
『まさか……』
器にラーメンをよそってやると、狼はがつがつと食べ始めた。
「これ、食うのか。俺が食べるはずだったのに。」
スンウはふっと笑い、自分の分をもう一度煮始める。
狼はスンウが鍋で湯気を上げている様子を見つめ、尻尾をふりふりと揺らした。
『もしかして、おかわり……?』
スンウは何日ぶりかに、はっきりと空腹を覚えた。
どれほどの時が過ぎただろう。スンウは狼を心を込めて看病した。
妹を失い学校も休んでいた彼には、時間だけは十分にあった。
傷を消毒し、包帯を替え、食事を用意する。
そうして数日が過ぎるころには、狼は次第に彼に心を開いていった。
もう近づいても唸らず、悪夢にうなされて目を覚ますと、スンウのそばに身を丸めて寄り添う。
最初の鋭い警戒心は消え、代わりにおずおずとした信頼が芽吹いていた。
一週間もすると、狼の傷は驚くほどほとんど癒えていた。
獣医は一か月はかかると言っていたのに、拍子抜けするほどだった。
「たしか一か月はかかるって……どうしてこんなに早い?」
スンウは、この狼がただ者ではないと薄々感じながらも、
それが異世界の存在――“神獣”だとは、まだ知るよしもなかった。
眠る狼を脇で眺めながら、スンウは思った。
『完全に治ったら、保護施設に預けるべきだよな。』
自分の人生は、偶然の出会いによって短く猶予された――そう信じていたからだ。
「そうだ。あの狼が治るまで、だな……」
スンウはつぶやき、目を閉じた。
『そしたら、妹に“遅すぎる”って怒られるかな?』
そんなはずはない。妹は、自分とは違って心根の優しい子だった。
むしろ自分をなだめて笑ってくれるだろう。
そうしてスンウは、もう二度と会えない妹を思い浮かべながら、狼とともに眠りに落ちた。
どれほど眠ったのか。
――トン。
誰かに小突かれる感触に、スンウは目を覚ます。
「……お……な。」
そして、声が聞こえた。
――トン。
また小突かれる。
「起きろってば!」
「う……スンア……兄ちゃん、もうちょい……ん?」
スンウは跳ね起きた。ぼさぼさの頭を掻き、目をこすったが、背中を蹴った感触は夢ではない。
この家に、彼を起こす者などいるはずがなかった。
混乱したまま振り返る。
ベッドの上に見知らぬ少女が座っていた。
雪のように白い髪、黄金の瞳、整った幼い顔立ち。
昨日までそばで眠っていた狼の姿はなく、代わりに彼女の手足には、スンウが巻いた包帯がそのまま残っていた。
スンウは言葉を失い、呆然と彼女を見つめる。
その反応が気に入らなかったのか、少女は目を吊り上げた。
「人間、ここが“地球”って場所で合ってる?」
スンウは戸惑いながらも、なぜか口が勝手に動いた。
「……ああ、ここが地球だ。」
自分の意思ではない。
そうでもなければ、誰がこんな中二病みたいな質問に素直に答えるだろう。
「じゃあ、ラエルって人間を知ってる?」
「知らない。」
今回も、口が勝手に動いた。
その時、スンウは少女の手元が微かに光っているのを見た。
先ほどから勝手に言葉が漏れているのは、あの光のせいだ――直感する。
今度は彼が先に口を開いた。
「もしかして……お前、昨日の“狼”か?」
自分が正気かどうか疑わしくなった。
だが、勝手に動く口と、跡形もなく消えた狼――その二つが、疑いを確信へと変えた。
「狼? 神獣を、そんな下等な動物と一緒にしないで!」
「神獣……?」
スンウは間の抜けた声を漏らし、目の前の少女をまじまじと見つめる。
「ねえ、人間。」
スンウの思考を断ち切るように、少女が畳みかける。
「ん?」
「ここには神殿とか魔塔はある? 皇帝みたいな存在は? それと、あなたからは魔力も神聖力も一切感じないんだけど、無能力者ってこと?」
矢継ぎ早の質問に、スンウは口を開いた。
「ちょ、ちょっと待て! 質問の前に、こっちも聞きたいことがある。」
「え? 私に? なに?」
唐突すぎる状況――狼が人の少女へと変わったかのような非現実。
混乱を押しやり、彼はまず一番に浮かんだ言葉を口にした。
「まずは自己紹介が礼儀だ。子どもみたいにタメ口でまくし立てるのはやめろ。」
あり得ないが、もし妹がこの様子を見ていたら「説教くさいお兄ちゃん!」と茶化したかもしれない。
それでもスンウは、大人として目の前の小娘に礼儀を正さねばならないと思った。
まだ大人ではないが、いつも妹を世話してきた習性からくる、大人びた一面だった。
「だから“神獣”だって言ったでしょ。」
「いや、種族名じゃなくて……君の“名前”。さすがにそれは別だろ。」
少女の頬が赤くなった。自分の振る舞いが子どもじみていたと気づいたのだろう。
「シ……ア。」
「シア? 君の名前はシアでいいの?」
「そっちこそ質問が多いじゃない! 私が名乗ったんだから、次は人間、あなたの名前!」
「えっと、俺の名前はユン・スンウだ。」
こうして二人は互いの名を知り、互いの存在を確かにした。




