口説いてるのか?
カイレンに魔法を使って、暴力まで振るうなんて……そんなつもりじゃなかったのに。
「リス?」
手の甲が赤くなってたけど……大丈夫かな。
「リスティア?」
もし、もう私なんていらないって言われたら……どうしよう。
……やっぱり、私から謝ろうか。
「ねえ、トカゲ。」
「殺されたいの?」
「やっと返事した。」
シアはリスティアと出会ってまだ一週間ほどしか経っていなかったが、彼女の扱い方に関してはカイレンの次に心得ていた。
「それで、どうするの?」
「何が?」
「これよ、ちゃんと私の話聞いてた?」
リスティアはシアの言葉を聞いてもしばらく反応を見せなかった。
何かを考え込むように、冷ややかな表情でシアを見つめた。
「カイレンと、一度でいいから食堂で会ってみて。」
「イヤ。」
「うあああ!お願いだから!っていうか、会わなきゃ謝罪もできないでしょ!」
シアの痛いところを突かれ、リスティアの肩がびくりと震えた。
「……なんとかなるでしょ。」
「はぁ……自分でも無理があるって分かってるくせに。」
シアは顔を両手で覆い、深いため息をついた。
この二人のせいで、スンウとの貴重な時間がどんどん削られているのだ。
リスティアはそんなシアの表情を見て、ふっと笑いながら肩をすくめた。
「私が苦しいなら、あんたも苦しみなさいよ。」
「どんな理屈よ、それ!」
シアが頬をふくらませてリスティアを睨むと、リスティアは短く笑った。
「で、カイレンが仕事に集中できないって、それだけ?」
「……ねぇ。」
短い一言が空気を切り裂いた。
同じ部屋、同じ顔ぶれ。
けれど、会話の色はまるで違った。
スンウがこの一週間カイレンの愚痴を聞かされていたなら、シアはその反対にリスティアの話を聞かされていた。
「そんなに会いたいなら、自分で会いに行きなさいよ!!」
シアが積もり積もった思いを爆発させるように叫んだ。
リスティアはドラゴン特有の鋭敏な感覚で、あらかじめ耳をふさいでいたが、その怒鳴り声はそれでも響き渡った。
そのときだった。
コン、コン。
『誰? メリーかしら?』
リスティアは扉を叩いた者が誰なのか一瞬考えたが、その暇もなかった。
つい先ほどまで怒りで頬を膨らませていたシアの「鬼の面」が、あっという間に清楚な少女の顔へと変わったのだ。
相手の正体を確かめる間もなく、シアは風のように駆け出し、勢いよく扉を開け放った。
リスティアは驚きに目を見開いた。
一秒もかかっていなかった。
『神獣って、あんなにすぐ態度が変わるものなのか……?』
「スンウ!」
「シア?」
突然の扉の開放にスンウは目を丸くした。
シアはその腕に飛びつくように抱きつき、無邪気に笑った。
「えへへ、どうしたの? 迎えに来てくれたの?」
「あ、いや……リスティアに話があって。」
リスティアが自分を指さして尋ねた。
「私?」
リスティアの瞳がわずかに揺れた。
シアとはよく話しているが、スンウとはほとんど関わりがない。
だから、彼が自分をわざわざ訪ねてきたという事実が、妙に胸の奥で引っかかった。
「うん、リスティア。少しだけ時間ある?」
リスティアは一瞬ためらい、そして小さくうなずいた。
「……いいわ、少しだけなら。」
「ありがとう。じゃあ食堂に行こう。もうすぐ昼食の時間だし、カイレン様は来ないから安心して。」
リスティアの心を見透かしたようなスンウの言葉に、リスティアはほんの少し視線を逸らした。
シアは彼の腕をぎゅっと掴んだまま、複雑な顔をしていた。
『私じゃなくて、リス……? ああ、カイレンのことね。うん、そうよね。そうに決まってる。』
頭の中で自分にそう言い聞かせながらも、胸の奥はざわついていた。
スンウはそんな彼女の嫉妬を感じ取りながらも、あえて気づかないふりをした。
いや、むしろその微妙な嫉妬をどこか楽しんでいた。
『なにこれ、リスティアに会いに来たってだけで嫉妬してるの?』
スンウは心の中でくすっと笑い、シアが腕をさらに強く握るのを感じると、ようやく口を開いた。
「シア、リスティアと話してる間、そばにいてくれる?」
「……もちろん。絶対離れないから。」
たわいもない会話のはずなのに、スンウの背筋に冷たい汗が流れた。
『腕が……ちょっと痛いんだけど……。』
その夜、シアはいつもより強く、彼に自分の気配を残した。
食堂。
静かな空気の中で、シアとリスティアが向かい合って座っていた。
先に口を開いたのはリスティアだった。
「それで、スンウはどこ行ったの?」
リスティアが自然に「スンウ」と名前を呼ぶと、シアの表情が一瞬こわばった。
『何よ、人間人間って言ってたくせに、今さら名前呼び?』
唇を尖らせ、短く答えた。
「厨房に。」
「この屋敷には料理人がいるでしょ。わざわざ?」
「さあね、自分で作りたかったんじゃない?」
冷えた声に、リスティアが目を細める。
「なんか、口調が荒くなってない?」
「別に?」
「ふん、そんな態度取ったって、私がカイレンに会うと思う?」
リスティアが言い返した瞬間、扉の開く音が響いた。
「待たせたね。」
スンウが入ってきた。
手には温かな香りをまとった皿があった。
黄金色の卵の上を、赤いソースが柔らかく流れ落ちている。
「スンウ! それは……!」
懐かしい香りに、シアの顔がぱっと明るくなった。
「リスティア、これは俺の故郷の料理――オムライスって言うんだ。食べてみて。きっと気に入るよ。」
「オムライス?」
初めて聞く単語を繰り返し、リスティアは皿を見つめた。
艶やかな卵の表面があまりにも滑らかで、不思議なほど美しかった。
「ちょっと待って、これ病人の療養食じゃないの? それに、この赤いの……悪魔の果実でしょ。」
リスティアが警戒の目を向けると、スンウは穏やかに笑った。
『この帝国では、米は病人食で、トマトは悪魔の実なんだな。』
「そう。でも見た目だけで判断しないで。一口だけでいい、食べてみて。」
少し迷ったあと、リスティアはそっと一口すくって口に運んだ。
柔らかな卵の舌触り。口の中で広がる優しい香り。
そして、甘くも旨味のある赤いソースが絶妙に絡み合う。
リスティアの瞳がわずかに見開かれた。
「……おかしいわね。美味しい。」
「だろ?」
スンウが満足げに笑う。
その横で、シアはすでに夢中で食べていた。
「やっぱり! これ最高!」
『用意しといて正解だったな。』
オムライスは、地球にいた頃、スンウがよく作ってやっていたシアの大好物だった。
エラリオンに来てからというもの、地球の味に慣れたシアはこっちの料理をあまり口にしなかった。
だからスンウは数日前から材料を集め、試行錯誤して作り上げたのだ。
『ケチャップがなかったから、一から作る羽目になったけど……料理長の顔、相当引いてたな。』
ケチャップの跡が頬に付いたシアの顔をスンウが拭ってやると、彼女は幸せそうに微笑んだ。
スンウの作った料理の温かな香りが食堂いっぱいに広がり、場の空気まで穏やかに包み込んでいく。
それを見ていたリスティアが、小さくつぶやいた。
「仲がいいのね……。」
二人の笑顔は、まるで世界で一番自然な光景のようだった。
リスティアはしばし憂いを帯びた瞳でふたりを見つめ、スンウの声に顔を上げた。
「それで、リスティア。」
「ん?」
スンウはシアの口もとを拭いながら、静かにたずねた。
「カイレン様と、もう一度だけでも話をしてくれないかな?」
その問いに、リスティアの眉間がわずかに寄る。
本当は、彼女もカイレンと話がしたかった。
だが、問題は自尊心だった。
彼が自分を対等な存在ではなく、ただの“守るべき対象”としてしか見ていない――それが我慢ならなかったのだ。
「本当は……私もそうしたいの。でも、ここまで大きくぶつかったのは初めてで……顔を合わせたら、何を言えばいいか分からなくなる。」
うなだれ、しょんぼりと告げるリスティア。
スンウは顎に手を添え、少し考えてから口角を上げた。
「じゃあ、顔を見なければいい。」
「……え?」
「文字どおりだよ。」
スンウはリスティアの肩にそっと手を置き、軽く向きを変えさせる。
自分も背中を合わせて言った。
「こうして背中合わせで話すんだ。互いの顔は見えないけど、言葉は本音で。ね?」
スンウは手本を示すように続ける。
「リスティア。」
「うん。」
「正直、最初に会ったときは少し怖かった。」
「……あの時はごめん。本気であなたを殺すつもりはなかったの。」
「分かってる。でもね、いきなり手が出ると、どうしていいか分からなくてさ。だから最初はすごく警戒してた。」
スンウの言葉に、リスティアは黙って耳を傾ける。
「でも今は違う。君の立場も分かってきたし、共感できるところもある。」
「本当?」
「本当さ。君がこの屋敷を大切に思ってるから、ああいう行動になるんだろう? それに、子ども扱いで命令口調ばかりなら、俺だって不愉快だよ。」
「……そうね。」
ふたりは背中を合わせたまま、ゆっくりと言葉を交わす。
絡まっていた感情の糸が糸玉のように一筋ずつほどけ、リスティアの表情にも少しずつ温もりが戻っていく。
「どう? こうして話せば、喧嘩も減る。あと、会話中は感情的になるのは禁止。」
「その……教えてくれて感謝するけど、私とカイレンにできるかしら。そもそもカイレンが――」
「できるよ。」
スンウのきっぱりとした言葉に、リスティアは目を細め、すぐに柔らかく笑った。
もう、彼と話すことは不自然ではない。
「君と仲直りできるなら何でもすると、彼は言ってた。だから大丈夫。――心を開いてみて?」
「……分かった。ありがとう。」
リスティアは穏やかな声で答え、スンウの背中にそっと身を預けた。
その様子を見ていたシアが、唇を尖らせて叫ぶ。
「はい、終わり終わり! そこまで!」
シアはふたり――正確にはスンウを引きはがし、むっとした顔で胸元に隠すように抱きしめる。
とはいえ体格差のせいで、ただくっついているようにしか見えないのだが。
「で、リス。これからカイレンに会いに行くの?」
シアが細めた目で尋ねると、リスティアは口元を水平に整えた。
「いいえ。今はスンウがここにいて、カイレンも仕事で忙しいはず。夜に行くわ。」
「ちょっと、なんで“スンウ”って名前で呼ぶの? 人間人間って言ってたのに。」
「どうして? 呼んじゃダメ?」
リスティアがからかうように返すと、シアの頬はふぐみたいに膨らんだ。
スンウはそんなシアの頬を指で軽く押さえ、落ち着かせながら言う。
「じゃあ、俺は執務室に戻るよ。リスティアの言うとおり、カイレン様がひとりで忙しいだろうし。」
「ええ、ありがとう、スンウ。――それと、料理おいしかったわ。」
「ふふ、また作るよ。」
リスティアの礼にうなずき、スンウは食堂をあとにした。
そして、食堂の外。
「お聞きでしたか。――今夜は入念にご準備を。」
扉の陰で、カイレンは一部始終を聞いていた。
彼は低く笑い、つぶやく。
「そうだな。今夜は入念にいこう。前みたいな失敗はしない。」
少しして、カイレンは何気ない口調で顔を上げた。
「ところで、スンウ。」
「はい。」
「お前……うちのリスを口説いてないか?」
「……え?」
スンウは聞き間違いかと聞き返した。
だが、カイレンの眼差しは真剣そのもの。
「一番つらい時につけ込んで、純真なリスをたぶらかし、子爵位を継ごうとしている――とかじゃないよな? 俺の目の黒いうちは、断じて許さん。」
スンウは言葉を失い、心の声と口から出た言葉が少し混ざった。
「殴ってもいいですか?」『いいえ……ずいぶんお疲れのようですね。』
カイレンは腕を組み、きっぱりと言い放つ。
「ふん。俺を倒したところで、リスだけは絶対に渡さん。」
その瞬間、スンウは悟った。
リスティアは、誰に似たのかを。




