表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

行きずりのふたり

──鬼さんこちら、手の鳴るほうへ。


暗闇の中、ぱち、ぱち、と拍手が聞こえる。


視力を奪われた青年は、しばらく動くことができず、地面にしゃがんで頭を伏せていた。楽しげな拍手と、竹の葉が風に揺れる音、自分の呼吸だけが響いている。手の指先が震えていた。


放火癖という異常性は、幻想郷という非常識のなかで霞んでしまった。竹林の地理を知らず、身を守る術をもたない、ただの無防備な人間がそこにいた。


夜雀の歌が頭の中で反響する。暗闇の向こうに何かが潜んでいて、自分を捕って食おうと狙っているように感じられた。このまま動かずにいると悪い目に遭う。


腰に手をやると、オイルライターの手触りがあった。このままでは埒が明かない、と自分を奮い立たせてライターを取り出す。夜目が利かないだけで、光を失ったわけではない。光源があれば動けるはずだ。


蓋を開けてホイールを親指で回すと、小さな火が灯った。手元が明るく染まる。


ライターを持つ手を掲げてみても、夜雀の姿は見えなかった。好きなのは人を襲うこと、という弾むような声が頭をよぎる。


──ふざけるな、と思う。


人は火を手に入れ、火を信仰し、火を使って獣から身を守った。ならばこの炎も、己を暗闇と捕食者から遠ざけてくれるはずだ。


震える膝を押さえつけて立ち上がった。足元に気をつけながら、ライターの炎の輪郭を頼りに一歩ずつ進む。竹の根や石につまづきそうになったが、足を止めることはできない。振り返れば「何か」に食われる気がしていた。


やがて、竹がわずかに開けた場所に出る。

闇の向こうに広がる空気の感触に、青年は無意識に足を早め──。


踏み出した先には地面がなかった。


「っ……!」


体がぐらりと傾く。

理解する間もなく、前のめりに倒れ込んだ。闇の中で竹が次々と横切り、体が回転する。


ライターが手から離れて転がり、全身を打ちつけながら斜面を滑り落ちた。何かを掴もうとした指先に竹の葉が触れる。握りしめることもできず、指の間をすり抜けていった。


落下は止まらない。


鋭い衝撃が脇腹を貫いた。


息が詰まり、目の前が白く染まる。


ようやく落下が止まる。青年は暗闇の中で横たわり、荒い呼吸を繰り返した。


脇腹には何かが刺さったらしく、服の上からでも生温かい感触があった。動かそうとした足に痛みが走る。息がうまく吸えている感じがせず、喉の奥から血の味がする。


誰か公衆電話で助けを呼んでくれないだろうか。山の麓で見かけた電話ボックスを思い出した。あそこまでは戻れそうにないし、扉を開けて受話器を取って119を押すのも無理だった。


──寒い。


出血のせいか、体の奥から冷えが染みてくる。

夜明けまでに死ぬのかもしれない。


どれぐらい横たわっていたのか分からない。ふと、こちらに近づく足音を聞いた。





藤原妹紅はひとりで竹林を歩いていた。

月の姫の顔を見にいって、ついでに何度か殺してやろうと思ったのだ。


竹林は数百年間さんざん歩いていて、目をつぶっていても迷いはしない。道すがら、煙が燻る匂いと、自分のものではない血の匂いを感じた。最初は気に留めなかったが、歩くうちに、どうにも鼻につく。


少し足を止めて、気配のほうへと向かう。

足元に銀色の薄い装置が転がっていて、傍らの草から一筋の煙が上がっていた。文々。新聞で香霖堂の特集が組まれたとき、外の世界には「らいたー」なるハイテクな火打石がある、と読んだことがあった。


装置を拾い上げて煙を踏み消し、うずくまる人影のほうへ急いだ。


「おい」


声をかけて首筋に触れ、顔をこちらに向かせる。若い男だった。

出血が多い。脇腹が赤黒く染まっていて、顔色がかなり悪いが、首筋には温もりが残っている。里では見かけない服装をしているから、外来人だろう。


青年の傍らには、先の鋭い竹が生えていて、竹の断面にも擦れた血が付いていた。数日前にこの辺りを通ったとき、気まぐれに手刀で竹を切り払ったのだ。


外来の男は薄目を開けて、口をぱくぱくと動かした。まだ意識はあるらしい。


「朝から山を歩いてたら、周りが竹ばかりになって。……日が沈んでから、夜雀、ってやつの歌を聴いたんだ。鳥目にしてやる、って言われて、何も見えなくなった」


問いもしないのに、途切れがちな声で話し始める。竹林に迷い込み、ミスティア・ローレライの悪戯で視界を奪われ、足を滑らせたらしい。元凶のミスティアは飽きてどこかに消えたか、八つ目鰻の屋台の支度をしている頃だろう。


「間の悪いやつだな」


妹紅はそう呟いて、男の腕を自分の肩に回した。


「永遠亭に行く。八意永琳という薬師に診てもらえ」


そう言いつけて、男を背負い上げる。


「途中で死ぬなよ」


冷たくなっていく死体を背負うのは気分が悪いからな、と妹紅は思う。

男が返事のように息を吐き出した。妹紅は地面を蹴って、竹の隙間を縫うように駆け抜けた。


弓のような弧を描く道に行き着いた。ぶらぶら歩くにはちょうど良いが、歩いている時間が惜しい。

しっかり掴まってろ、と言って青年の姿勢を直し、助走をつけて前方に跳んだ。


膝を曲げて岩場に着地すると、二人分の重さが足腰にのしかかった。足首に嫌な力がかかった感じがするが、この程度ならよくあることだ。それぐらいで止まっていては輝夜を殺せない。


背中の男がかすれた呻き声を漏らした。


──痛がるのは生きてるやつだけだ。


心の中でそう答えて、妹紅は永遠亭への道を急いだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ