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前日譚:診察室にて

迷いの竹林の奥、永遠亭の診療所。

一般人はまず辿り着けない、歳月が経っても古びることのない日本の屋敷。


腕利きの薬師、八意永琳(やごころえいりん)は、注射針と細長い管を机の上に並べていた。半開きの障子の向こうから、月の光が差して、板張りの床に影を落としている。


膝までの白髪に紅い瞳の少女、藤原妹紅(ふじわらのもこう)が、患者用の椅子に座らされていた。妹紅は赤い袴から足を投げ出して、早く済ませてほしい、と不機嫌そうに言った。


永琳は慣れた手つきで、瀉血──妹紅の血を抜く準備を進めていた。



妹紅は竹林の地理をよく知っていて、道案内や病人の搬送を担っている。


人助けのために永遠亭に出入りするのは構わないし、出入りを禁じるつもりはないが、輝夜(かぐや)に喧嘩を仕掛けるのは困ったことだった。


輝夜は輝夜で、妹紅が現れるとどこか喜々として喧嘩を買う。互いに死ぬことがない蓬莱人の殺し合いは凄惨をきわめ、永琳の頭痛のタネになっていた。


夜明けまで殺し合うのは勘弁ねがいたいが、従者という立場上、輝夜に強く出ることもできず。


考えた永琳は、妹紅の血を抜くことを思い立った。血の気が多い彼女のこと、少し抜いておけば頭が冷えて、戦いを早めに切り上げるかもしれない。


そのような思惑から、妹紅が訪ねてくると、診察室に呼びつけて血を抜くようになった。初めのうちは「体の具合を診る」と適当な理由をつけていたが、言い訳をするのも面倒になり。


今宵の永琳は、思惑をそのまま口にした。


「貴女は血の気が多すぎるのよ。血を抜けば大人しくなるかと思ってね」

「ああ……?」


腕を出すように促す永琳に、妹紅は呆れた顔をした。


「そんなことのために血を抜いてたのか」

「ええ。無論、針が怖いなら無理にとは言わないわ」


軽い挑発がよく効いたようで、妹紅は黙って腕を差し出した。管を伝って瓶に溜まっていく血液を眺めながら、そんなことで()る気が失せたりはしないぞ、と呟く。


障子の外では竹の葉が風に揺れ、夜に鳴く鳥の声が聞こえてきた。どちらも無言のまま、瓶を取り換える微かな音が響く。二本目の瓶もすぐに満たされ、三本目に手を伸ばしたところで、妹紅が不平を言った。


「おい、どれだけ抜いて──」


永琳は言葉を遮るように針を抜き取り、色白の肌を布で拭った。


「終わったわ。お疲れさま」

「じゃあ行くからな」


どこに行くかは問うだけ野暮。輝夜と一戦交えるつもりなのだ。立ち上がって障子の外に目をやった妹紅に、薬師は淡々と告げた。


「しばらくは激しい運動は控えることね。急に気分が悪くなったり、気を失ったりすることが──」

「死んだら治る」


忠告を聞き流して去ろうとした妹紅を呼び止めて、永琳は金色の茶瓶を持ち上げて見せた。


月の姫は珍品蒐集を好んでおり、飽きたものは従者や兎に押し付けている。金ぴかの茶瓶もそのひとつで、永琳が譲り受けて使っていた。


振り返った妹紅は、黄金の輝きに目を細めて「ずいぶん高尚な趣味だな」と答えた。皮肉に気づかない素振りで、永琳はお茶を勧める。


「座ってお茶でも飲んでいったら? 私のお茶は結構評判が良いのよ」


妹紅は一度足を止めたが、手をひらりと振って断った。


「遠慮しとく。待ってるやつがいるからさ」


妹紅は診察室を出て、板張りの長い廊下を歩き出す。歩調はすぐに駆け足に変わった。リボンのついた髪を揺らし、外で待つ宿敵のもとへと駆けていく。



足音が遠ざかると、永琳はそっと茶瓶を戸棚に戻した。


「血の気が多いのも困ったものね」


先ほど使った瓶には、真紅の液体がたっぷりと溜まっている。これだけの血を一度に失えば、常人なら怠くて動けないはずだ。人のことは言えないが、身も心も人間離れしている。


首無しの不死鳥と、地上で迎え撃つ月の姫。

竹林にふたり、何も起きないはずがなく。


風の音に雄叫びと断末魔が交ざり始める。永琳は障子を閉め切ると、瓶に封をして、紙札に日付を書いて貼り付けた。


「……捨てるのも惜しいわね。何かの試料になるかもしれない」


こうして、当人の知らないところで、妹紅の血液は永遠亭の試薬コレクションに加わることになった。

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