第1次反攻作戦
2048年10月11日。中華連邦軍・インド軍の援軍を受け、ロシア連邦軍はヨーロッパ合衆国軍に対する『第1次反攻作戦』を開始した。
『第1次反攻作戦とあるが、ロシア連邦軍が失敗するとの前提であった訳では無い。1回では目的を達成するのは難しいとして、数回に分けて行う前提であったのである。
ロシア連邦軍が計画した第1次反攻作戦は、とにかく勢いづくヨーロッパ合衆国軍の侵攻を止めるのが最優先目標であった。現状のヨーロッパ合衆国軍の侵攻は勢いが弱まる事は無く、ロシア連邦軍を圧倒していた。侵攻初日に50個師団を失ったロシア連邦陸軍は後退を余儀なくされていた。
その結果としてヨーロッパ合衆国陸軍の北方方面軍はロシア連邦のコラ半島を占領しサンクトペテルブルクも包囲。中央方面軍はロシア連邦ベラルーシを占領し、ロシア連邦ウクライナのキーウを包囲。南方方面軍はロシア連邦アルメニア・ロシア連邦アゼルバイジャン・ロシア連邦ジョージアを占領していたのである。
凄まじいまでの侵攻であった。ロシア連邦陸軍は常設300個師団を誇るが、現在までに100個師団を失ってしまった。そんな状況での中華連邦陸軍とインド陸軍の200個師団ずつの援軍は、ロシア連邦にとっては非常に有り難いものであった。しかも大日本帝国陸軍の180個師団と、アメリカ西岸連邦陸軍の100個師団も援軍として駆け付ける事になっており、漸くヨーロッパ合衆国に対抗出来る状況にありつつあった。
ロシア連邦陸軍は予備役150個師団の招集と戦力化を急いで行っているが、それには暫く時間が必要であった。予備役招集は亜細亜条約機構加盟国と南北アメリカ大陸諸国も行っており、時間が必要であるが人的資源の差からヨーロッパ合衆国軍を遥かに上回る軍隊が整備される筈であった。
だがロシア連邦陸軍が既に100個師団を失ったように、各個撃破されると戦力の優位性は示せない事になる。だがかといって現状でのヨーロッパ合衆国軍の侵攻を勢いを弱らせる事も、予備役招集による戦力化による整備の時間を稼ぐ為に必要な事でもあった。
まさに[鶏が先か卵が先か]という故事が当てはまる状況に、ロシア連邦はあったのである。その為に大日本帝国とアメリカ西岸連邦は、ロシア連邦軍・中華連邦軍・インド軍による第1次反攻作戦を認めるしか無かった。
当初その第1次反攻作戦の計画を聞いた大日本帝国は叶総理が直々に、再考するように要請していた。大日本帝国国防省特に陸軍参謀本部が再考意見の筆頭であり、海兵隊合同本部もその意見に賛同した。大日本帝国軍に於いて陸戦を担う2つの組織が再考を訴えた為に、叶総理はその意見を受け入れたのである。
陸軍と海兵隊は共に、反攻は時期尚早だと断言した。ヨーロッパ合衆国陸軍は人造人間師団という弾除けと盾を担う無人兵器を投入しており、その数は今や200個師団に達していた。
それは侵攻開始からロシア連邦軍が大量に破壊していってもその数を誇っている為に、中華連邦とインドの援軍が到着しても戦力差は僅かに優位になっただけであった。
後1週間で大日本帝国陸軍とアメリカ西岸連邦陸軍が到着する為に、それまでは反攻では無く防衛体制の確立を優先するのが重要だと進言した。
それを受けての叶総理による再考要請だったが、ロシア連邦の意思は固かった。叶総理の要請は充分に理解しているが何とか反撃を行わないといけないと、ロシア連邦政府は返答した。
それを受けて叶総理は作戦は変えられないと判断し、より一層の軍事支援を行う事にした。大日本帝国空軍は保有する輸送機を総動員してロシア連邦への空輸作戦を行い、大日本帝国海軍連合艦隊の海上輸送群は貨物弾薬輸送船を総動員してロシア連邦ウラジオストクへ輸送を行い、ウラジオストクから貨物列車に積み込まれ大量輸送が行われた。
軍事支援は亜細亜条約機構加盟国も大規模な支援を行っており、ユーラシア大陸の国々は直接ロシア連邦への貨物列車を大量に運行していた。亜細亜条約機構成立による各種インフラ整備は域内の移動を効率良くしており、今回のロシア連邦への貨物列車運行でようやく真価を発揮した形となった。
それを受けてロシア連邦は中華連邦軍とインド軍との合同による、第1次反攻作戦を開始したのであった。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋
ロシア連邦軍・中華連邦軍・インド軍は一斉にヨーロッパ合衆国軍への攻撃を開始した。陸軍と空軍による共同での作戦は大規模なものになった。本来なら多国籍構成の軍事作戦は齟齬を産みやすいが、亜細亜条約機構合同軍事演習を繰り返しており意思の疎通や連携はお手の物であった。
だが進撃を開始した合同軍の頭上に、おびただしい数のミサイルが降り注いで来たのであった。




