侵攻計画
ヨーロッパ合衆国ドイツ州ミュンヘンの大統領官邸では、シャーロット大統領が対策会議を開いていた。トルコに対する核攻撃は大成功を収め、全土を併合するという目標も達成された。残留放射能により暫くは復興計画は立案出来ないが、それでもかつての核兵器とは違いレーザー水爆とも言われる代物であり放射能濃度は低かった。
全ては順調であった。大日本帝国叶総理の要請で亜細亜条約機構緊急総会が開催される事になったが、いきなり宣戦布告されるとはシャーロット大統領以下、閣僚達も完全に思っていなかった。その為にヨーロッパ合衆国史上初の核攻撃を経ても、どこか余裕綽々の空気が漂っていた。一部の若い閣僚は高揚感すら感じており、トルコ人に対する殺戮という罪悪感は全く感じていなかった。高揚感はシャーロット大統領自身も感じており、寧ろ政権の中で一番興奮していたのはシャーロット大統領であった。
対策会議にてシャーロット大統領はまず始めに、閣僚全員に対して感謝の言葉を述べたのである。核攻撃という結末であったが、トルコを見事に消滅させ併合する事に成功した。これもひとえに全員が一致団結して賛同してくれたお陰だと、シャーロット大統領は語ったのである。予想外の言葉に閣僚達は驚いたが、全員がシャーロット大統領の指導力に従うと決めた結果でもあった。
そして対策会議で決めるべき最大の事項は、次なる目標である中東アフリカ諸国への侵攻についてであった。それはヨーロッパ合衆国にとってはある意味で、自分達の味方を減らす行為であった。現在の新世紀冷戦に於いてヨーロッパ合衆国陣営である、中東アフリカ諸国に侵攻し併合しようというのだ。想像し辛い状況であろう。だがヨーロッパ合衆国は地球統一政府設立という崇高な目標を掲げているのも事実である。その為に中東アフリカ諸国は陣営の仲間から、併合した構成国に昇格させる必要もあった。
まさに自分勝手極まりない理論であるがそれを『明白なる使命』として掲げているヨーロッパ合衆国にとっては、成し遂げなければならない最重要課題でもあったのだ。それに今やシャーロット大統領のみならず閣僚達全員が、その事を猛烈に意識していた。
しかも世論はシャーロット大統領を熱烈に支持しているのも重要であった。今年は大統領選挙の年であるが、シャーロット大統領の支持率は対立候補を圧倒的に凌駕していたのである。12月の大統領選挙投票日に向けてシャーロット大統領は、確かな手応えを感じていた。トルコ侵攻の特別軍事作戦もある意味で選挙戦に優位に働き、トルコ併合を発表するに至り更に支持は高まった。
そして今回の中東アフリカ諸国侵攻計画である。シャーロット大統領としては中東アフリカ諸国への侵攻を開始し、ある程度の成果が得られた段階でヨーロッパ合衆国による地球統一政府設立の目標を全世界に発表する考えであった。今はシャーロット大統領以下閣僚達しか知らないヨーロッパ合衆国の壮大なる計画を、遂に全世界に発表するのである。世論の反応は未知数であるが、シャーロット大統領には勝算があった。
シャーロット大統領は国防大臣に対して軍の動員体制について尋ねた。尋ねられた国防大臣はヨーロッパ合衆国軍の動員体制について説明を始めた。
トルコ侵攻に勝利した為に侵攻に従事していた陸海空軍は本国に帰投させて補給と再編成を行っていると語った。そしてロシア連邦国境線に展開している陸軍と空軍は動きを活発にさせ、ロシア連邦を牽制する事を最優先に行っていると国防大臣は説明した。
それを聞いたシャーロット大統領は『まだ』ロシア連邦に侵攻するタイミングでは無い、と意味深な発言をしたのである。
国防大臣は重要な地中海沿岸での作戦準備を説明した。地中海沿岸にある軍港・民間港あらゆる港で陸軍の展開を行い、海軍の原子力強襲揚陸艦のみならず民間船も利用してアフリカへの海上輸送を行う事。空軍も輸送機を動員してまずは空挺部隊を展開させ、アフリカの空港・空軍基地を確保するとピストン空輸を行う事。陸軍も常設325個師団から予備役招集を行い、55個師団を増設し380個師団体制になった事。その55個師団は現在は訓練中であり、ロシア連邦侵攻による第三次世界大戦までには習熟度は向上出来る事。以上の点が説明された。
それを聞いたシャーロット大統領は順調な進展に満足していた。そして全ての準備を完了させて2048年8月15日に、中東アフリカ諸国への侵攻を開始するように命令した。中東アフリカ諸国を侵攻し占領してからロシア連邦侵攻を行い、第三次世界大戦を引き起こすのが目的であり、最終的に目指すのは地球統一政府設立であった。
それだけの大事業を成し遂げられるのは世界にヨーロッパ合衆国と、大日本帝国しか存在しなかった。大日本帝国は亜細亜条約機構を通じて間接的に亜細亜・オセアニア・南北アメリカを支配し、『日本人による太平洋帝国』と呼べる状況を創り出していた。その最終決戦、雌雄を決する時が刻一刻と近付いていたのである。




