惨劇
2048年8月5日。トルコ軍は防衛線を構築し効果的にヨーロッパ合衆国軍を迎撃していた。だがトルコ軍の奮闘も報われる事は無かった。前兆は明らかであった。あれ程までに激しい攻撃を続けていたヨーロッパ合衆国軍は、一切の攻撃を止めて後退したのである。確かに第3防衛線では死闘が繰り広げられており、トルコ軍ヨーロッパ合衆国軍共に凄まじい被害を出していた。
前回もヨーロッパ合衆国軍は被害の大きさから後退して部隊の再編を行っていた事から、トルコ軍は今回も同じ事だと判断していた。そして自分達も部隊の再編を行う事を上級司令部に伝えていた。
その報告は首都アンカラの国防省から大統領官邸にも伝えられた。大統領以下閣僚達は安堵の表情を浮かべた。ヨーロッパ合衆国による侵攻当初は来るべき時が来たと、悲壮な決意で事に当たっていたが大日本帝国はトルコを見捨てていなかったのである。即座に全面的軍事支援を発表し、亜細亜条約機構や中南米諸国も大日本帝国に続いて軍事支援を発表した。
その軍事支援は鉄道輸送と空軍輸送機による空輸で、トルコ東部に続々と搬送されていた。その軍事支援は膨大な量になり、現時点で送られた軍事支援だけでトルコ軍が平時に使用する軍需物資の2年分に相当していた。その軍事支援がなければトルコはここまで戦い続けられなかっただろう。
世界的に見ても戦時を想定して軍需企業が生産体制を
整えて、大量生産が可能なのは極めて限られていた。その国は大日本帝国・ロシア連邦・中華連邦・インド・アメリカ西岸連邦、そしてヨーロッパ合衆国のみである。それ以外の世界の国々は確かに自国の軍需企業が生産を行えるが、その体制はとてもではないが大量生産は難しかった。それにロシア連邦・中華連邦・インド・アメリカ西岸連邦にしても国産兵器やミサイルの製造には、大日本帝国から部品を輸入している為に完全なる体制は整っていなかった。
そう考えると完全に体制を整えているのはやはり新世紀冷戦に於いて対立している、二大超大国である大日本帝国とヨーロッパ合衆国のみであった。そもそもが兵器の生産体制と軍の遠隔地への派遣能力は、覇権国家のみが有する能力なのである。
その大日本帝国がトルコを支援してくれる為に、トルコはヨーロッパ合衆国と何とか戦い続けられたのである。トルコ大統領は次なる作戦について口を開こうとしたが、突如として激しい閃光に包まれた。
ヨーロッパ合衆国で核兵器運用を可能なのは海軍と空軍であった。海軍は戦略型原子力潜水艦スイス級を20隻保有していた。そして保有する全ての戦略型原子力潜水艦スイス級は、ヨーロッパ合衆国の聖域である地中海に配備されていた。戦略型原子力潜水艦スイス級はトライデントⅣ潜水艦発射弾道ミサイルを20基搭載していた。そのトライデントⅣ潜水艦発射弾道ミサイルは1基につき、16発の600キロトンの純粋水爆弾頭を搭載し最大射程18000キロを誇るものであった。
空軍はステルス戦略爆撃機アスガルドを保有し、その兵装搭載量は59100キロにも及んだ。ステルス戦略爆撃機アスガルドは最大5メガトンに設定可能な、威力可変型純粋水爆を搭載可能であった。その海軍と空軍が保有する核兵器は大日本帝国を主目標としており、亜細亜条約機構の核保有国であるロシア連邦・中華連邦・インドも目標にしていた。
だがヨーロッパ合衆国が標的とする大日本帝国等の国々は首都圏にレーザー砲を設置しており、核兵器迎撃の体制は万全であったのである。ヨーロッパ合衆国も首都圏にレーザー砲を設置しており、かつての米ソ冷戦時代にもじって、『相互確証迎撃』と呼べる状態にあったのだ。
この為にヨーロッパ合衆国のみならず大日本帝国等の核保有国同士の核は、本当の意味での牽制・抑止力としてか意味を成さない物になったのである。もちろん保有する核兵器を全て発射すればレーザー砲といえども、すり抜ける事が出来るかもしれなかったがそうなれば人類滅亡に繋がる全面核戦争になりかねなかった。
当然ながらレーザー砲を設置していない中小国には核兵器は圧倒的に有効であった。亜細亜条約機構加盟国の核を保有していない国々は、大日本帝国の核の傘が保障されておりレーザー砲を設置していなくても核攻撃はそのまま大日本帝国による全面報復を受ける事になり、核攻撃を恐れる必要は無かった。
だがトルコは亜細亜条約機構に加盟していない非核保有国であった。しかもレーザー砲を設置しておらず、万全に迎撃出来る体制では無かった。それが分かっていたが為にヨーロッパ合衆国のシャーロット大統領は核攻撃を命令したのであった。
そして運命の2048年8月5日16時21分。2002年の新世紀日米戦争に於ける大日本帝国とロシア連邦のアメリカ合衆国への核攻撃以来、46年振りにヨーロッパ合衆国によるトルコへの全面核攻撃が行われた。首都アンカラ・最大都市イスタンブールを筆頭に、ヨーロッパ合衆国が占領している地域以外のトルコの全都市が核攻撃を受けたのであった。




