軌道基地計画
『大日本帝国がIAXAの設立で宇宙開発に力を注ぐ事を決めた事は世界の知る事になった。新世紀日米戦争に勝利した大日本帝国が、次なる覇権確立の舞台を宇宙に求めたのは誰の目にも明らかだった。アメリカ合衆国が主導しようとした国際宇宙ステーション計画は、日米対立により雲散し国際的な宇宙開発は停滞していた。欧州宇宙機関が必死になって宇宙開発を行っていたが予算規模で、アメリカ合衆国のNASAに大きく引き離されていた。大日本帝国は宇宙開発組織が3組織もあり、予算総額はNASAに匹敵していた。その為にヨーロッパ連合は欧州宇宙機関に対する予算拠出の割合を上昇させる事にした。そうしないとIAXAに対抗出来ないという判断であった。だがそうなると軍拡競争で不利になってしまうというジレンマもあった。現状大日本帝国は第5次国防力整備計画による大軍拡を実施中であり、アメリカ合衆国が崩壊した今となっては世界最大最強の軍隊となっていた。
その大日本帝国に対抗するには全てに於いてヨーロッパ連合の総力を出さなければならなかった。それが顕になったのが2003年10月に開かれた欧州理事会であった。明確に大日本帝国を名指しして、軍拡競争と宇宙開発競争に於いて対抗すると表明したのだ。この事態に大泉総理は亜細亜条約機構総会の開催を提案した。それを受けて2003年11月に開かれた亜細亜条約機構総会で大泉総理は、ヨーロッパ連合の挑戦に受けて立つと断言したのだ。あからさまなに名指しされて対抗すると言うのなら、全面的に受けて立つとも言い切った。その力強い言葉に亜細亜条約機構の首脳陣は拍手喝采であった。特にアメリカ西岸連邦初代大統領は[大日本帝国への揺るぎ無い信頼と、全面的な協力を約束する]と断言し、他の亜細亜条約機構首脳陣も同様の言葉を述べた。新世紀日米戦争での大勝利は亜細亜条約機構加盟国に、大日本帝国に付き従う事を決意させていた。そしてそれは新世紀日米戦争後に加盟した、オーストラリア等のイギリス連邦王国を構成する同君連合国家であっても、大日本帝国に従うという決断をさせるに至ったのである。そしてこれを受けて南米諸国や中東諸国・アフリカ諸国は、新世紀冷戦だと表現した。当事者同士が相手を名指しで対抗していくと言い切った以上、その表現は正しかった。世界は再び各陣営とそれ以外の国々という、東西冷戦以来の色分けされた形になってしまったのである。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋
ヨーロッパ連合の挑戦に受けて立つと答えた大泉総理は、IAXAに対して早急な宇宙開発計画の立案を求めた。立案を求められたIAXAは会議を行った。3組織統合前から軍と共同で大量の衛星打ち上げを行っていた。それは大日本帝国独自のGPS網を完備するに至り、偵察衛星は世界中を天空から監視していた。月や火星にも観測衛星を飛ばしていたのだ。当初IAXAは月面着陸を計画した。しかしそれは日本人的理由で即座に会議で否定された。日本人は基本的に農耕民族であるからこそ、新たな土地への『挑戦』は構わないが『冒険』は厳に慎むべきだと言うことで、いきなりの月面着陸は時期尚早だと判断されたのだ。そしてそれならその中継地点として、『恒久的軌道基地を建設する』との計画を立案した。それは即座に大泉総理に報告された。IAXAから恒久的軌道基地の計画を説明された大泉総理は、その計画を即座に了承した。トラック諸島での宇宙基地建設が第5次国防力整備計画以後である以上、その間の宇宙開発計画には最適な内容であったからだ。
大泉総理は緊急閣議を招集し軌道基地計画は、閣議決定された。そして即座に帝国議会で審議され、2003年12月5日に『第1次宇宙開発計画』として成立。2004年からの5カ年計画で恒久的軌道基地建設が始動する事になった。5年間総額15兆円の計画であった。計画が決まれば後は早かった。大日本帝国は当面軌道基地を建設するとしたが、その目的は『事業』であるだけに当面の利益と後の収益の準備の為のものとなった。当面の目的とは、先に書いた軌道基地つまり有人宇宙基地を作り上げる事により、そこで無重力空間でしかおこなえない様々な長期的実験を行い、それによって直接的な利益を挙げ、その成果を後に活かす事だった。これはアメリカ合衆国がかつて東西冷戦時にイデオロギーと競争意識の赴くまま月を目標とした経済性を無視した単体での大質量打ち上げ能力を持っただけのロケット開発に狂奔していた事で大いに補強されていた。大日本帝国は月へ行くために特化されたロケットの持つ大質量投入にはそれほど興味を持たなかった。大日本帝国は何よりも経済性を重視したロケットを愛し、それゆえ生産性、管理性、稼働率、打ち上げ成功率が最も高いレベルでバランスのとられた『H』系列ロケットの改良型の大量打ち上げを行っていた。大日本帝国のロケットは、初期加速に大量(4~6基)の大型個体燃料ロケットを使用した大日本帝国伝統の『2.5段型ロケット』で、米ソの大型ロケットに比べると少し小型の全長60メートル程しかないものでしかなった。クラスター型と呼ばれる4基のメインエンジンを並べた方式のメインロケットが生み出す推力と得意の個体燃料ロケットのパワーにより低高度軌道へ30トン、高軌道には8トンの投入能力を持ったもので、特に各種ロケット技術の安定性の高さが低高度軌道への安価な物資投入を容易にしていた。このロケットは改良を重ねながら使用され、その優秀性を見せつけている。大日本帝国が大推力の大型エンジンでなく中型エンジン複数による、クラスターロケットを採用しているのは将来性を加味してのものであった。