強行捜査
2048年3月28日。大日本帝国は断固とした決意で捜査を再開した。大日本帝国全土で行われた捜査は陸軍憲兵隊も動員してのものとなり苛烈であった。目星を付けたありとあらゆる場所が家宅捜索された。テレビ局は地方局も含め各局が生中継を行い、家宅捜索を生々しく放送した。
家宅捜索の担当は分担されており、神戸組の対立組織の本部には陸軍憲兵隊と警察が合同で担当し、対立組織の傘下組は警察が担当し、対立組織のシノギとする建物には麻薬取締部と神戸組が担当した。各地の裁判所で裁判官が発付した捜索差押許可状を所持し、各地で家宅捜索が行われた。特に本部への家宅捜索を担当した陸軍憲兵隊・警察と対立組織の睨み合いは壮絶なものとなった。本部への家宅捜索を阻止しようとする組員達と陸軍憲兵隊・警察は睨み合いを続けた。その間も怒号が飛び交い、騒然としていた。あまりにも長時間睨み合いが続いた為に陸軍憲兵隊と警察は強行捜査を決定した。警察も機動隊を動員し陸軍憲兵隊と共に、まずは本部を取り囲む組員を一斉検挙した。組員達も抵抗したが陸軍憲兵隊が示威行動として動員した、歩兵戦闘車と戦闘ティルトジェットにより組員を圧倒した。さすがに攻撃は控えられたが警察とは比べ物にならない陸軍憲兵隊の兵器に、組員達は怖じ気付き次々と逮捕された。漸く本部に押し入った陸軍憲兵隊と警察は次々と組長以下幹部陣を逮捕し、証拠品を押収した。
神戸組の対立組織全てで同じような光景が繰り広げられ、続々と逮捕者が出た。傘下組織も警察が押し入り、逮捕すると同時に数多くの証拠品を押収した。シノギとする建物にも麻薬取締部と神戸組が押し入り逮捕者と証拠品の押収が行われた。全国規模で行われた徹底的な捜査により、神戸組の対立組織は全滅。傘下組織も軒並み壊滅し神戸組の全国制覇が達成される事になった。ある意味で陸軍憲兵隊と警察の実力行使で神戸組の全国制覇を手伝う事になったが、全国規模で裏社会の取り締まりを神戸組が行う事になった事でもあった。問題はヨーロッパマフィアであった。今回の家宅捜索でも地下に潜伏している為に、所在地が分からずに何も手が打てなかった。
だが収穫もあった。警察の事情聴取により密輸ルートが漁港を介してである事が判明したのだ。これには警察のみならず麻薬取締部と神戸組も驚いた。空港や港は完璧に掌握していたが、漁港は盲点であった。だがある意味で世界最大の海洋面積を誇る大日本帝国にとっては最適な密輸ルートであった。しかも瀬取りでは無くブイを付けての海中での受け渡しとあっては、海上保安庁も漁船を取り締まれ無かった。そもそも海上保安庁が自国の漁船を取り締まるのは、よっぽどの事で無い限り有り得なかった。
密輸ルートの詳細は即座に報告され叶総理のもとに届けられた。その報告を聞いた叶総理は連合艦隊を動員してまでの捜索が、空振りに終わった理由が分かり納得した。漁港もシノギの場所であった為に捜査が行われ、対立組織が派遣していた漁業協同組合の幹部は逮捕されていた。全国の漁業協同組合も神戸組のシノギとなり、即座に麻薬密輸は禁止された。情報を伝えられた海上保安庁も南洋府の海上保安管区に重点的な海上監視を命じた。肝心のヨーロッパマフィアに関しても事情聴取が行われた。だが警察の事情聴取には対立組織のヤクザ達は口を開こうとしなかった。あまりにも喋ろうとしない為に警察は手を妬いた。そこへ陸軍憲兵隊がやって来て、事情聴取を代わりに行うと言ったのである。警察は渡りに船とばかりに引き渡した。ヤクザを引き取った陸軍憲兵隊は自分達の建物に連行すると、事情聴取とは名ばかりの拷問を開始した。かつて地下鉄サリン事件を引き起こしたカルト集団を逮捕した時も陸軍憲兵隊か『事情聴取』を行った。
この事情聴取は当然ながら世論にも諸外国に対しても秘密裏に行われていた。拷問を禁止する国際条約を大日本帝国は締結している以上は、拷問は陸軍憲兵隊も警察も行っていなかった。特に警察は事情聴取の可視化として全てを録画しており、裁判に於いての証拠にもしていた。だが陸軍憲兵隊は基本的には軍警察としての役割を有する組織である。民間人を対象にした事件は今回のように、軍の最高指揮官である内閣総理大臣の命令か、若しくは戒厳令発令中にしか捜査権は発動されないようになっていた。だが命令により捜査権が発動されると、必ずや事件の解明為に全力挙げるのが陸軍憲兵隊である。壮絶な『事情聴取』により犯人は必ず自供した。
これにより神戸組の対立組織であるヤクザは次々とヨーロッパマフィアについて話し出した。全ての情報を聞き出した陸軍憲兵隊は警察と麻薬取締部に共有すると共に、叶総理へと報告した。報告を受けた叶総理は国内にいるヨーロッパマフィアが約130人しかいないのに驚いた。そして1人残らず確保する為に、I3に対して詳細な調査を命令。陸軍憲兵隊・警察・麻薬取締部に対しては一斉検挙の為の準備を命令した。
大日本帝国国内の癌は、完全に除去されようとしていた。




