予算成立
2048年3月27日。大日本帝国帝国議会参議院に於いて『2048年度予算案』が与党の賛成多数により成立した。成立した一般会計予算は約645兆円となり提出当初より約3兆円増額された。麻薬密売取り締まりに対する地方自治体の警察予算を国が追加で交付する事になり、衆議院予算委員会で審議中に追加された。最終的に成立した『2048年度予算案』は『国防費』約219兆円、『社会保障費』約150兆円、『公共事業費』約69兆円、『地方交付税交付金』約65兆円、『文教及び科学振興』約85兆円、『IAXA予算』約20兆円、『その他』約37兆円となる。この予算成立により叶総理は麻薬密売取り締まりに集中して取り組む事にした。
警察庁で開かれた各都道府県警察本部長が出席する『麻薬密売取り締まり対策会議』に内閣総理大臣として初めて参加し、直々に取り締まりを強化するように命令した。会議には麻薬取締部と海上保安庁も参加し、更には神戸組の組長以下幹部陣のみならず、直参組長も出席しており、表と裏が総力を挙げて取り組む事を大々的に知らしめた。叶総理は会議に於いて陸軍憲兵隊も麻薬密売取り締まりに投入すると宣言した。さすがに戒厳令の発令は見送られたが、断固として取り締まるという叶総理の決意が表れていた。
叶総理の言葉は警察・麻薬取締部・海上保安庁・神戸組・陸軍憲兵隊にも伝わり、麻薬密売取り締まりを更に強化する事を決意させた。
ヨーロッパ合衆国はその成立直後は事実上のヨーロッパ連合本部所在地とされていた、ベルギー州ブリュッセルを首都にしていた。だがブリュッセルの位置は地理的にヨーロッパ合衆国全体から見ると西に寄り過ぎており、『地理的平等性』というよく分からない理屈をかつての東欧諸国が中心となり提起した。それを提起されヨーロッパ合衆国連邦議会は、言い分は理解出来るとして首都の遷都について議論した。そして議論の末に提起理由は『首都の安全性』へと変化し、内陸部に位置するドイツ州ミュンヘンにヨーロッパ合衆国の首都を遷都させる事を決定した。そうなると後は早かった。連邦議会議事堂に大統領官邸等の政府施設が新設される事になった。今まではヨーロッパ連合時代の施設をそのまま流用し、名前を変更して使用していたが漸く新設する事になった。それが2030年の事であった。それから18年が経過しドイツ州ミュンヘンはヨーロッパ合衆国の首都として驚異的な発展を遂げた。ミュンヘンのみならずヨーロッパ合衆国中が経済成長を遂げた。大日本帝国と亜細亜条約機構の合計GDPは世界の半分を占めるが、ヨーロッパ合衆国と中東アフリカの合計GDPも世界の4割を占めるに至った。残る1割が中南米諸国と崩壊したアメリカ合衆国である。大日本帝国と亜細亜条約機構、ヨーロッパ合衆国と中東アフリカ諸国の世界のGDPに占める割合は5対4の割合になるが、大日本帝国とヨーロッパ合衆国のみでみると限り無く3対3に近くなっていた。世界最大のGDPは大日本帝国であったが、ヨーロッパ合衆国も経済成長により大日本帝国に後1歩の所まで近付いていた。高い次元でのGDP成長を誇る二大超大国の新世紀冷戦は、壮絶な軍拡競争を行わせる事になったのである。その結果ヨーロッパ合衆国はなりふり構わず大軍拡を行い、軍の規模では大日本帝国を凌駕する事になった。海軍は大日本帝国海軍連合艦隊の誇る15個機動打撃群を凌ぐ、20個機動部隊を保有するに至った。陸軍もヨーロッパ合衆国の人口5億8300万人により、325個師団を誇る規模になった。空軍も保有機数は2万機を超えていた。
ここまで大規模な軍拡を行っているがそれでも、ヨーロッパ合衆国は大日本帝国と亜細亜条約機構には負けていたのだ。確かにヨーロッパ合衆国と大日本帝国単独で比較すると、海軍と空軍は僅差でヨーロッパ合衆国が優勢で、陸軍はヨーロッパ合衆国が圧倒していた。だが大日本帝国には亜細亜条約機構という頼もしい味方が存在していたのである。ロシア連邦・中華連邦・インド・アメリカ西岸連邦を筆頭に大規模な軍拡を行っており、大日本帝国と合わせるとヨーロッパ合衆国を上回っていた。ヨーロッパ合衆国も中東アフリカ諸国が味方であるが、世界の軍事比率でいえば5対4で大日本帝国と亜細亜条約機構が優位だった。残る1割は中南米諸国とアメリカ合衆国であった。このような状況である為にヨーロッパ合衆国は軍事力では無く、ヨーロッパマフィアを使う事で大日本帝国と亜細亜条約機構を内部から弱体化させようとしたのである。色々な手間と費用が必要になったが、現状では最良の選択肢だとしてヨーロッパ合衆国の方針になっていた。しかも大日本帝国は未だに密輸ルートを特定出来ておらず、密輸は順調に行われていた。
ヨーロッパ合衆国はヨーロッパマフィアへの資金提供を増額させる事を決定し、更なる密輸量の強化を行う事にした。ヨーロッパマフィアもヨーロッパ合衆国の支援により組織は拡大を続けており、さらなる高みを目指していた。ヨーロッパ合衆国はこの調子でいけば計画は成功すると確信していた。だがヨーロッパ合衆国は叶総理の断固とした決意を侮っていたのであった。




