イラン戦線全面侵攻
2049年8月5日午前7時45分。イラン戦線はロシア戦線と違い、亜細亜条約機構軍からの全面侵攻が開始された。
『大日本帝国陸軍が中心となって展開しているイラン戦線の亜細亜条約機構軍は、大韓民国・パプアニューギニア・東ティモール・バングラデシュ・スリランカ・モンゴル・パラオ・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタン・ブルネイ・カンボジア・インドネシア・ラオス・マレーシア・ミャンマー・フィリピン・シンガポール・タイ・ベトナム・イラン・アフガニスタン・パキスタン・ブータン・ネパール・モルディブ・トルクメニスタン・オーストラリア・ニュージーランド・パプアニューギニア・バヌアツ・ツバル・ソロモン諸島・フィジー・キリバス・トンガ・サモア・ニウエ・クック諸島・キリバスから構成されていた。大日本帝国陸軍は戦前から保有していた予備役師団200個を全てイラン戦線に派遣し、その他亜細亜条約機構各国も国力と人口に応じて相応の軍を派遣していた。大日本帝国は亜細亜条約機構で唯一ロシア戦線とイラン戦線に軍を派遣していたが、それ以外の亜細亜条約機構各国にはどちらかだけの派遣に留めていた。
そんな中でイラン戦線に展開する亜細亜条約機構軍で大規模な軍を投入出来たのは、現地にいるイラン陸軍を筆頭に大韓民国陸軍・ベトナム陸軍・タイ陸軍・アフガニスタン陸軍・パキスタン陸軍・オーストラリア陸軍・カザフスタン陸軍・ウズベキスタン陸軍・バングラデシュ陸軍・マレーシア陸軍・ミャンマー陸軍・トルクメニスタン陸軍・スリランカ陸軍・カンボジア陸軍・インドネシア陸軍・フィリピン陸軍であった。その他の亜細亜条約機構各国は人口の少ない中小国である為に、派遣総数は限られたのである。
その為に予備役師団200個を全て派遣した大日本帝国陸軍の決断は、イラン戦線への大きな助けになり中小国の負担は当然ながら軽くなったのである。その他の亜細亜条約機構軍を合わせると、侵攻を受けているイラン陸軍が80個師団を展開させ、大韓民国陸軍が65個師団、ベトナム陸軍が60個師団を中心に500個師団をイラン戦線に展開させていたのである。
対するヨーロッパ合衆国陸軍は180個師団と人造人間師団380個師団の360万人と760万体が展開していた。ヨーロッパ合衆国はロシア戦線は攻勢を主軸にしたが、イラン戦線は守勢を主軸にしていたのである。その為に大日本帝国はヨーロッパ合衆国への対抗策としてイラン戦線での侵攻を決定したのだ。しかもイラン戦線はロシア戦線と違い、海軍の全面的支援も期待出来たのが侵攻の大いなる助けになった。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋