戦線の動き
2049年2月8日。ヨーロッパ合衆国イギリス州では大日本帝国の方針により、I3が更に離脱運動支援を行いデモは拡大の一途をたどっていた。『トラファルガー事件』はある意味で神格化され、弾圧による犠牲者は殉教者とされた。その為にヨーロッパ合衆国政府はようやく手段を間違えたと気付いたが、それはあまりにも遅かった。イギリス州での離脱運動は日に日に拡大し、I3からの資金提供により組織も盤石なものになっていた。
『ヨーロッパ合衆国イギリス州で離脱運動が過激化する一方で、第三次世界大戦の最前線たるロシア戦線とイラン戦線では両陣営共に予備兵力が確保され次第に侵攻を再開するべく、防衛線構築を行っていた。私はその当時ロシア戦線に取材で滞在していた為に、ロシア戦線での動きについて説明していく。ロシア戦線の動きは2049年1月23日にヨーロッパ合衆国が侵攻を停止し、引き上げてから睨み合いを続けていた。そもそものヨーロッパ合衆国の侵攻自体が、ヨーロッパ合衆国にとっては無茶な攻勢となっていた。陸軍の兵力を構成する人造人間不足が問題となっていたが、大日本帝国本土攻撃と通商破壊戦が失敗した事により打開策として実行されたのが侵攻作戦であったからだ。だがあらゆる事態を想定して待ち構えていた、大日本帝国陸軍以下ロシア連邦陸軍・アメリカ西岸連邦陸軍・中華連邦陸軍・インド陸軍は空軍と協力して、効果的に防衛戦を行った。その為にヨーロッパ合衆国陸軍の侵攻は初期の段階で頓挫し、人造人間不足による予備兵力枯渇から侵攻を停止して引き上げるに至った。
その後はロシア戦線は睨み合い状態になり、両陣営共に防衛線構築を行っていたのだ。その為に膠着状態がある意味で固定される事となったが、両陣営共に予備兵力確保として徴兵制の復活と人造人間生産を行っている為に、どうしようもない事態であった。イラン戦線もある意味でロシア戦線と同じであり、大日本帝国の予備役師団を中心とする亜細亜条約機構軍とヨーロッパ合衆国陸軍の睨み合いは膠着状態となり、防衛線構築が進められていた。お互いに予備兵力確保の為に時間が必要であるが、そうなると相手も予備兵力が増えてしまう、だがそれを阻止する為の兵力は予備兵力が無いために無為にすり減る事になってしまう。両陣営共にジレンマを抱える事態となり、それが膠着状態になる原因ともなっていたのである。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋
次回は一気に半年進みます。大日本帝国以下亜細亜条約機構とヨーロッパ合衆国が、予備兵力を確保出来た事による第三次世界大戦の新たな展開を書いていきます。