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新世紀最終戦争  作者: 007
第8章 思惑
186/262

弾圧

2049年2月5日。ヨーロッパ合衆国離脱運動が続くイギリス州にて、軍と警察の合同による取り締まりが開始された。



『それは取り締まりというより、もはや弾圧であった。ヨーロッパ合衆国はイギリス州に於いて2049年2月4日戒厳令を発令。[イギリス州での治安維持の為にあらゆる行動を採る。]というのが戒厳令発令の理由であった。だが理由がどうであれイギリス州でのヨーロッパ合衆国離脱運動への対処なのは誰の目にも明らかであった。2049年2月4日の戒厳令発令により夜間外出禁止令も出されたが、イギリス州の人々は尚も離脱運動を止めなかった。寧ろヨーロッパ合衆国政府の戒厳令と夜間外出禁止令に対抗するかのように、離脱運動の規模を更に拡大させたのである。

SNSには離脱運動参加者がライブ配信を行っており、同時接続数も100万を超える等の盛り上がりをみせていた。その為に翌2049年2月5日に行われた離脱運動は参加者が格段に増加し、開催地も複数箇所で行われた。そんな中でも最大の参加者がいたのがトラファルガー広場で行われた離脱運動であった。だが離脱運動の拡大をヨーロッパ合衆国政府は敢えて狙っており、トラファルガー広場で行われた離脱運動を弾圧するべく軍と警察の合同部隊が派遣されたのである。』

広瀬直美著

『新世紀最終戦争』より一部抜粋




『それは弾圧であり、一方的な蹂躙でした。戒厳令と夜間外出禁止令は出されていましたが、私達は王室を不当に扱うヨーロッパ合衆国政府への抗議の声を上げ、ヨーロッパ合衆国離脱運動を続けていました。イギリス州全土で離脱運動は拡大しそんな中でも州都ロンドンのトラファルガー広場で行われたデモ集会は、数万人は居たはずです。皆で声を上げてヨーロッパ合衆国離脱を高らかに掲げていました。

……そうですね。確かに戒厳令と夜間外出禁止令が出されている状況でのデモは危険だとの意見も仲間内ではありました。ですがその危険を承知で皆は声を上げる事のが重要だと結論付けたのです。今ここで諦めたら負けだとの気持ちが、皆の心の中にあったのです。

……その通りですね。あんな事になるとは思ってもいませんでした。誰が想像出来ますか?軍の戦車が自国民を轢き殺したのですよ。[トラファルガー事件]と呼ばれる弾圧が始まった瞬間でした。あれは悲惨な光景で、私の彼氏は私を庇って銃殺されてしまいました。今思い出しただけでも……すいません……ちょっと。』

イギリス州離脱運動参加者インタビューより一部抜粋

史実では天安門事件は1989年6月4日に起きました。しかしこの小説の世界線では前作『新世紀日米戦争』で大日本帝国の大東亜戦争敗戦からの歴史の中で記述したように、中華人民共和国は1981年7月9日に勃発した日中戦争で消滅し、中華連邦になっています。その為にこの小説の世界線では天安門事件が起きてないので、代わりに今回のトラファルガー事件が発生しました。

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