方針決定
離脱運動に対する方針は決められずにいた。憂慮すべき事に閣僚達は意見が真っ二つに分かれていたのである。1つは外務大臣が中心となり、離脱運動を容認し過激に発展しないようにコントロールするとの意見であった。もう1つは国防大臣が中心となり、離脱運動はヨーロッパ合衆国の戦争遂行能力を奪い取る目的であり断固とした意思で取り締まるべきだとの意見であった。両者の意見はそれぞれ的を得ており、選択するのは難しかった。外務大臣が中心となった意見は主に『表現の自由』を尊重しての事であった。いかに戦時中とはいえ表現の自由は守られるものであり、それはヨーロッパ合衆国の国是でもあったからだ。しかしだからといって放置して於いては秩序を乱すばかりである為に、ある程度の警察を用いてのコントロールは必要だと言っていた。この意見には財務大臣や産業大臣等が賛同し、財政や産業への影響を見据えての意見でもあった。
それに対する国防大臣の意見は主に『戦時中に於ける秩序維持』を重視した内容であった。ロシア戦線とイラン戦線での膠着状態と月面での敗北、中東アフリカ地域でのレジスタンス蜂起と難問が次々と降り掛かるヨーロッパ合衆国にとっては国内の安定は最優先事項であった。その為にイギリス州でのヨーロッパ合衆国離脱運動は徹底的に取り締まり、騒乱の芽は早い内に排除しなければならず、国防大臣の意見は内務大臣や軍が賛同し、国内の秩序維持を重視しての意見だった。シャーロット大統領はその真っ二つに分かれた意見からどちらを採用するべきか悩んでいた。
外務大臣の意見は表現の自由という観点から重要な内容であるが、しかし実際に過激化せずにコントロール出来るかが疑問であった。更にイギリス州で事実上容認したからには他の旧王国州での住人も真似しようとするのは、火を見るより明らかであり容易に拡大する事が予想された。国防大臣の意見は戦時中の国内秩序維持という観点から重要な内容であるが、徹底的な取り締まりは『弾圧』だと受け止められ違う意味で過激化したり、王族の扱いへの不満のみならず、自由を奪われた不満も運動理由にされる恐れがあった。
どちらの意見も諸刃の剣であったが、悩んだ末にシャーロット大統領は国防大臣の意見を採用する事にしたのであった。