対策会議
ヨーロッパ合衆国ではシャーロット大統領が緊急対策会議を開催し事態収拾に向けて動き出した。離脱運動の主軸が王室への不当なる扱いにある事もあり、イギリス州だけの問題では済まずに他の旧王国州へと離脱運動が波及するのを恐れたからである。だが対策を行おうにもその手段に苦慮する事になった。大型モニターに映し出されていた離脱運動の模様を伝えるニュース映像では、老若男女あらゆる世代が参加しており人数も増大し続けていた。
『容易ならざる事態であった。それにヨーロッパ合衆国は曲がりなりにも民主主義国家である。フランス革命以来の[自由・平等・友愛]は重要なスローガンとなっていた。その為に離脱運動を行う自由はイギリス州の人々にあったのである。それはヨーロッパ合衆国憲法にも保障されている権利であり、人権云々を謳うヨーロッパ合衆国にとっては最も尊重すべき事であった。
だが平等をフランス革命以来のスローガンにする割には、ヨーロッパ合衆国ひいては嘗てのヨーロッパ諸国は逆差別ともいえる施策を実行した事もあった。人種差別や性差別解消を目的に有色人種や女性の登用を義務付け、会社や政府機関の20パーセントは有色人種や女性を幹部にしなければならないとしたのである。だがそれは必ずしも成功した施策とは言えず、特定の人々の優遇になり平等と謳いながら真逆の不平等を強制する事になったのである。特定の人々を優遇する為にその他の人々の立場を排除する事になったからである。それよりそもそもが有色人種や女性を差別する事そのものに問題があった。
その点大日本帝国はヨーロッパ合衆国が批判する[立憲君主制の帝国]であるが、だからこそ[全て大日本帝国臣民は天皇陛下の下に平等]に扱われているのである。その為に様々な施策を行い優遇して登用する必要は無く、全て平等に開放されている。後は当人の能力と運次第になるのだ。話が逸れた。
その為にヨーロッパ合衆国は平等を謳うが為に、離脱運動の対応に苦慮する事になったのである。だがその行為自体を放置して於いては、ヨーロッパ合衆国の国家形態を揺るがす事態になってしまう。対応は適切に行わなければならないが、間違った対応をすればそれこそ取り返しのつかない事態になってしまう。
シャーロット大統領の招集した緊急対策会議は、なかなか最適な対応を決められずにいたのであった。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋