月面着陸
2029年2月11日午後4時27分。大日本帝国が軌道基地『きぼう』で建造した月往復用大型宇宙船月読命が月面着陸を果たした。2028年10月6日には人類史上初めて宇宙空間での宇宙船建造が完成し、進水式ならぬ『進宙式』が行われた。地球上なら進水式後に艤装工事を行う為に竣工するのにまだ時間がかかるが、宇宙ドックで艤装が完成するまで全て建造されたので進宙式はそのまま竣工でもあった。進宙式は地球上でも同時中継され、大日本帝国の偉業に世界は驚いた。全長200メートルで最大幅48メートルに達する大型宇宙船であった。スクラムジェットエンジンを搭載し、大気圏を脱出する必要が無い為に燃料効率は良かった。月往復用大型宇宙船月読命はその名前通り、『きぼう』と月の往復専用の宇宙船であった。H-3ロケットと往還宇宙船伊邪那美で『きぼう』に月面基地建設用の資材を送り込み、それを『きぼう』の宇宙ドックで月読命に搭載して月に向かうのである。月読命はスクラムジェットエンジンによりマッハ30で航行が可能で、『きぼう』から月までの約38万キロを約10時間で航行した。そしてかつてのアメリカ合衆国によるアポロ計画以来の人類が数十年振りに月面着陸を果たした瞬間であった。
この偉業は特に亜細亜条約機構加盟国を熱狂させた。自分達が付き従うと決めた大日本帝国がさらなる高みに到達した瞬間だった。その事は大日本帝国も理解しており、月面基地建設後には亜細亜条約機構加盟国の宇宙飛行士を招待すると発表していた。そして大日本帝国は民家宇宙旅行も大々的に発表しており、民間人の『きぼう』への宇宙旅行を募集した。運用効率も向上し月面基地建設用の資材を運搬する為に、H-3ロケットと伊邪那美は大量に打ち上げる必要があった。その為にある意味で、『ついで』として民間宇宙旅行を行う事にしたのだ。ついでである為に費用は1人辺り1000万円で募集された。
またしても大日本帝国に先を越されたヨーロッパ合衆国であったが、至って冷静だった。大日本帝国が先を進んでいるのは紛れもない事実であり、逆に後追いである事がヨーロッパ合衆国にとって問題解決にはやりやすい状況でもあった。その状況の為にヨーロッパ合衆国としては軌道基地オリュンポスでの、月往復用大型宇宙船アルゴーの建造に更に力を注ぐ事にした。大日本帝国と違い往還宇宙船を保有していない為に、使い捨ての通常ロケットであるアリアン5を大量に打ち上げており、費用面では大日本帝国より効率が悪かったが万難を排して取り組む事を決意していた。それはもはやヨーロッパ合衆国にとっては、新冷戦とまで言われる程にまで対立が深まった現在の状況では、自らが突き進む事で世界にヨーロッパ合衆国の名を知らしめる事に繋がるとの判断だった。
だが現状では大日本帝国と亜細亜条約機構がヨーロッパ合衆国よりも、圧倒的に優位に立っていた。それは経済的にも軍事的にもそうだが、何より重要なのは資源的にも優位に立っていたのである。大日本帝国は尖閣諸島沖の海底油田に加えて、海底熱水鉱床(金・銀・銅・亜鉛・鉛)とメタンハイドレートが日本海周辺に埋蔵されており、それらの採掘を行っていた。しかも太平洋の南鳥島周辺の海底にはレアアースとマンガンノジュールが埋蔵されており、それらも採掘を開始していた。そして大日本帝国の電力に関しては太陽発電衛星の大量打ち上げにより宇宙空間からの送電により賄っており、大日本帝国本土の電力は既に85パーセントが太陽発電衛星からの電力であった。その為に産出される石油等は発電所以外の用途に殆どが使用されていた。大日本帝国が実は資源大国であった事になり、更には亜細亜条約機構加盟国も凄まじい資源大国であった。
中華連邦は埋蔵量がすでに判明している鉱物が153種あり、総埋蔵量は世界3位を誇っていた。石炭・鉄・銅・アルミニウム・アンチモン・モリブデン・マンガン・すず・鉛・亜鉛・水銀等々主要な鉱物の埋蔵量は全て世界有数であった。石炭埋蔵量は約9000億トン以上もあり、鉄鉱の埋蔵量も約500億トン以上で、石油・天然ガス・オイルシェール・レアメタル・リン・硫黄等の鉱物資源も大量に埋蔵されていた。ロシア連邦も石油・天然ガス・金・プラチナ・パラジウム・ニッケル・バナジウム・銅等の鉱床を有し、オーストラリア等を筆頭に亜細亜条約機構加盟国の国々が何かしらの資源を有していた。それらがヨーロッパ合衆国にとって資源的にも優位に立っていた証明であった。しかも大日本帝国とヨーロッパの対立が深まり新冷戦となると、ヨーロッパ合衆国に対する亜細亜条約機構加盟国からの輸出は断絶とまではいかなくとも圧倒的に少なくなっていた。
ヨーロッパ合衆国にとっては資源不足という深刻な事態に陥っていた。だがそんなヨーロッパ合衆国は中東やアフリカ諸国に接近。中東アフリカ諸国は亜細亜条約機構が資源を域内で賄える事から、輸出先の大規模な減少に陥っていた。そんな需要と供給が合致したヨーロッパ合衆国と中東アフリカ諸国は、関係を深めていく事になったのである。