離脱運動
レジスタンス組織への予算増額が決定した事により、対策会議での議題は次なる内容に移った。その内容はこれまたI3が諜報員の活動によって掴んだ情報が元になっていた。その為にI3長官が再び説明を行った。
『第三次世界大戦を振り返るうえで、2049年1月30日に行われた大日本帝国での対策会議は重要な意味をもっている。それまで膠着状態であったロシア戦線とイラン戦線の状況に加えて、大日本帝国や亜細亜条約機構への直接攻撃を受けていた大日本帝国が、遂に本格的にヨーロッパ合衆国本土に揺さぶりをかけ始めたからである。
I3長官が語った諜報員の入手した情報とは、ヨーロッパ合衆国内部の深刻な対立関係であった。2025年10月3日にヨーロッパ合衆国が成立したが、国名が示すように嘗てのヨーロッパ諸国の、[旧王国]と[旧共和国]は対立関係にあった。妥協の産物として[合衆国]に落ち着いたが嘗ての王族は1年交代の国家元首という、学級委員程度の扱いをされてしまったのだ。これには嘗ての[旧王国]側は不満があったが、嘗ての[旧共和国]も1年交代ながら国家元首か王族になる事の不満があった。そしてそれは王族出身のシャーロット大統領になると、状況が一変したのである。シャーロット大統領は王族出身であり王位継承順位3番目の地位にいた。そこから政治家に転身しヨーロッパ合衆国大統領になったのであるが、王族出身でありながらシャーロット大統領は[旧王国]とその王族を冷遇するようになった。
ある意味で多数派である[旧共和国]を優先するのは仕方無いとの側面もあったが、シャーロット大統領の方針は徹底していたのである。閣僚は[旧共和国]の州出身を指名し、[旧王国]の州出身者は徹底的に排除された。更には毎年の国家元首になる王族の式典には参加する事が無かった。それは自分の姉が国家元首になる年でも変わることはなかったのである。あまりの冷遇ぶりと多数派の[旧共和国]優先主義に[旧王国]の州は不満に溢れていた。そしてそれは遂にイギリス州でヨーロッパ合衆国離脱の運動に発展するに至ったのであった。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋
I3長官の語ったイギリス州でのヨーロッパ合衆国離脱運動は、閣僚達をざわめかせた。それを本格的に後押しする事が出来れば、ヨーロッパ合衆国を瓦解させる事に繋がり、更に旧王国の州に波及させる事に成功すれば第三次世界大戦は長期戦にならずに済むかもしれないのだ。その話を聞いた叶総理は予算の制約を付けずに無条件でイギリス州でのヨーロッパ合衆国離脱運動の支援を命令したのである。
これには全ての閣僚も賛成し、普段なら予算で渋い顔をする財務大臣も第三次世界大戦自体が終結するのを早められるなら、経済的負担が軽くなるとして誰よりも強く賛成していた。この決定により大日本帝国は、徴兵制の招集訓練の時間を稼ぐ間の、絶好の機会を活かせる事になったのである。