月面の死闘
『2049年1月24日午前2時。遂にヨーロッパ合衆国軍の月面車が、大日本帝国の月面基地に到達した。月面車は50輌確認出来、その車輛1輌毎に10人ずつ降りてきた。大日本帝国が当初予測したように月面基地を攻めて来たのは500人であったのである。
対する大日本帝国は陸軍憲兵隊月面基地派遣部隊の300人に加えて、増援として海兵両用作戦部隊の400人を合わせて700人を数えた。ヨーロッパ合衆国軍は大日本帝国月面基地の正面入り口に陣取り、全部隊を月面車から降ろして攻撃体制を整えた。対する大日本帝国軍もヨーロッパ合衆国軍の月面車の動きを捕捉していた為に、50輌全てが正面入り口に接近するのを確認すると700人全てを正面入り口に展開させていた。限られた時間ながら防衛陣地を急造し、弾除けの遮蔽物を中心に構築していた。
陸軍憲兵隊月面基地派遣部隊の司令官と、海兵両用作戦部隊の司令官である2人の大佐は協議の結果、ヨーロッパ合衆国軍に先に撃たせる事にした。それは叶総理にも伝えられ許可が下り、その模様は余す所なく撮影する事になった。
部隊の展開を終えたヨーロッパ合衆国軍侵攻部隊の司令官は、宇宙服の内蔵マイクを起動し月面車のスピーカーにリンクさせると大日本帝国月面基地に対して降伏勧告を行った。兵力差ではこちらが有利だとヨーロッパ合衆国軍侵攻部隊司令官は信じ切っていたのである。事前情報では大日本帝国月面基地には陸軍憲兵隊月面基地派遣部隊の300人しかいないと分かっており、それに対してヨーロッパ合衆国は月面基地に陸軍から500人の部隊を派遣していたのである。
その絶対的な兵力差がこの悲劇に似た降伏勧告を行わせる事になった。ヨーロッパ合衆国側も一部の人間は大日本帝国が月面車が到達するまでに、地球から援軍を送り込む可能性を指摘していたがそれは間に合わないだろうという楽観的意見に打ち消されていた。月面基地侵攻という大事を決行しておきながら、なんともお粗末な判断であった。その為にヨーロッパ合衆国軍侵攻部隊司令官は降伏勧告を行ったが、それは当然のように無視された。大日本帝国軍の2人の大佐と、月面基地総督は全く相手にする事は無かった。その無視にヨーロッパ合衆国軍侵攻部隊司令官は再び降伏勧告を行ったが、それも大日本帝国は無視した。再三にわたる降伏勧告の無視にしびれを切らしたヨーロッパ合衆国軍侵攻部隊司令官は、対戦車ミサイルランチャーとL558機関銃による攻撃を命令したのである。
L558機関銃から放たれる銃弾は月での射撃という事もあり、空気抵抗を受ける事無く素早く命中し、しかも空気が無い為に射撃音がする事も無かった。地球で射撃するよりも寧ろ威力はあるかもしれない、L558機関銃の銃弾は月面基地正面入り口のゲートに続けざまに命中した。それに対して対戦車ミサイルランチャーから発射された対戦車ミサイルは、正面入り口のゲートの上を飛翔して行ったのである。
これは発射を行ったヨーロッパ合衆国陸軍兵士の宇宙の知識不足が齎した結果であった。飛行機が旋回を行えるのは補助翼や方向舵の向きを変え、空気の流れを変更しそれを推力に変えて機体が旋回を行えるのである。それはミサイルでも同じで操舵翼により飛行時の方向転換を行う。だがこれは大気の存在する地球での方法であった。大気の存在しない月では対戦車ミサイルはロックオンしたとしても、発射時のランチャーの角度そのままに飛翔するのである。
それに気付いたヨーロッパ合衆国陸軍の兵士であったが、時すでに遅く対戦車ミサイルは月面基地正面入り口のゲートを飛び越え月面基地中心の月面タワーに直撃したのであった。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋