月への援軍
『対策会議が終わったのは、2049年1月23日午前10時30分であった。ヨーロッパ合衆国の月面車が到達する17時間の時間は刻一刻と過ぎており、1個海兵両用作戦部隊を送り込む事は決定しても時間との戦いであった。当時地球から月面基地に行くにはまずはトラック宇宙基地から伊邪那美に乗り込み軌道基地きぼうに移動、軌道基地きぼうに到着すれば宇宙ドックの月読命に乗り込み月に移動し、ようやく月面基地到着となる。トラック宇宙基地から軌道基地きぼうには伊邪那美での移動で1時間、軌道基地きぼうから月面基地には月読命での移動で10時間、軌道基地きぼうから月読命への乗り換え等諸々の時間が1時間掛かるとしても、合計12時間が必要となっていた。残された時間は15時間30分であったのである。
しかも伊邪那美の最大乗員人数は50人であり、トラック宇宙基地の大型電磁カタパルト4基を利用した同時発射であっても、最大200人しか一度に送り込む事が出来なかった。月読命は最大乗員人数200人であり、軌道基地きぼうに2隻存在する為に軌道基地きぼうから月面基地には400人を同時に送り込めた。
その為にまずは1個海兵両用作戦部隊をトラック宇宙基地に送り込み、10隻存在する伊邪那美を最大限に利用してピストン輸送により、軌道基地きぼうに送り込む事が最優先事項であった。その為に対策会議が終わった後の午前11時には早速、空軍の輸送機を利用して海兵隊の1個海兵両用作戦部隊がトラック宇宙基地に空輸される事になった。輸送される部隊は南洋府の海兵隊基地に配備されていた海兵両用作戦部隊であり、30分の時間で全部隊がトラック宇宙基地に集結する事になった。しかも月面基地への派遣という特殊性から45式戦車等の装甲車輛は一時的に部隊配備から外し、歩兵火器のみの装備での移動となった為に尚の事移動時間は早かった。
残り時間は15時間を切ったが、次なる課題はトラック宇宙基地からの伊邪那美の発射であった。大日本帝国政府・国防省・IAXAとあらゆる政府機関から命令を受けたトラック宇宙基地は、過去最高の早さで伊邪那美の発射準備を整えた。大型電磁カタパルトが4基しか無いのは分かっているが、何としても短時間で8隻の伊邪那美を発射するように、との命令だったのである。トラック宇宙基地の関係者も事が、月面基地の存続に関わるとあっては準備を遅くする事無く全力で取り組んだのである。その甲斐もあり午後12時30分には伊邪那美の発射を行う事が出来たのである。大型電磁カタパルトを用いた伊邪那美の4隻同時発射は見応えがあり、その4分後には再び4隻同時発射を行った。
約束を果たしたトラック宇宙基地の努力は実を結び、1時間後の午後1時30分には8隻の伊邪那美が軌道基地きぼうにドッキングしたのである。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋