月面基地
2049年1月23日午前9時。月面にある基地はいつもと変わらない日常の筈であった。
『月は太陽系惑星の恒久的に存在する衛星の中で、最も内側に位置する衛星であり、太陽系で5番目に大きい衛星でもある。地球から見て太陽に次いで明るい。地球から見える天体の中では太陽の次に明るく白色に光って見えるが、これは自ら発光しているのではなく、太陽光を反射したものである。太陽系の中で地球に最も近い自然の天体であり、新世紀最終戦争の時点では人類が到達した事のある唯一の地球外天体でもある。
月が人類と密接に関係している理由の一つに、暦との関係がある。それ故に暦と月の関係は近代に至るまで密接であったのである。月の[満ち欠け]を元に決めた暦は太陰暦と言い、地球から月を見ると月の明るい部分の形は毎日変化し約29.5日周期で同じ形となっており、この変化の周期を元に暦を決めたものである。歴史的に見れば元々は太陰暦を採用していた地域のほうが多かったのであり、現代でも太陽暦と太陰暦を併用している文化圏はある。月を基準に決めた暦というのは、漁師など自然を相手に仕事をする人々にとっては日付がそのまま有用な情報をもたらしてくれるものである。大日本帝国に於いても、明治5年までは太陽太陰暦を主として使用していた。明治5年に公的な制度を変えた段階でこれを「旧暦」と呼ぶようになったが、その後も長らく旧暦のカレンダーは販売され、両方を併用する人々は多かった。今でも一般の太陽暦のカレンダーに旧暦を掲載したものは広く使われている。
そして月が人類と地球に与える影響で最大の物が、月の重力は地球に影響を及ぼし潮の満ち引きを起こす事である。これは潮汐作用と呼ばれている。月よりも格段に大きい質量を持つ太陽も潮汐作用を起こし地球に潮汐力を及ぼしているが、地球からの距離が月より遠距離にあるため、その影響力は月の力の半分程度である。月の潮汐作用により、主に海洋と海底との摩擦(海水同士、地殻同士の摩擦などもある)による熱損失から、地球の自転速度がおよそ10万年に1秒の割合で遅くなっているとの研究結果もある。また、重力による地殻の変形を介して、地球-月系の角運動量は月に移動しており、これにより、月と地球の距離は年間約3.8cmずつ離れつつある。この角運動量の移動は、地球の自転周期と月の公転周期が一致するまで続くと考えられるが、そこに至るまでにはおよそ50億年を要する計算になる。逆に言えば、かつて月は現在よりも地球の近くにあり、より強力な重力・潮汐力の影響を及ぼしており、また地球(および月)はより早く回転していた。サンゴの化石の調査によれば、そこに刻まれた日輪(年輪の日版)により、4億年程前には1日は約22時間で、1年は400日程あったとされる。
その月に大日本帝国は国立研究開発法人帝国宇宙航空研究開発機構(Imperial Aerospace Exploration Agency、略称: IAXA)の総力を挙げて、恒久的月面基地を建設したのである。恒久的月面基地建設までに大日本帝国は、農耕民族らしく堅実に安全策を施し段階的に歩みを進めた。南洋の広大な海洋に大阪市と同規模になる巨大な宇宙基地を建設し、往還宇宙船伊邪那美を開発。そしてその往還宇宙船伊邪那美を使い軌道基地きぼうを建設し、宇宙ドックまで建設した。そしてその宇宙ドックで人類史上初の宇宙空間での宇宙船建造を行い、月往復用大型宇宙船月読命を建造したのである。その月読命の完成により軌道基地きぼうから月まで僅か30時間で到達する事が可能になった。
その成果により月に恒久的月面基地を建設する事が可能になったのである。大日本帝国は2034年にヨーロッパ合衆国は2038年にそれぞれ月面基地を完成させた。そして両国は地球での対立を月にまで持ち込むのは賢明で無いとして、2038年9月3日に[月平和開発条約]を締結した。大日本帝国が月の北半球側に、ヨーロッパ合衆国が月の南半球側に、月面基地を建設していた為に月の赤道上で分割し南北をそれぞれの境界とする事になった。それぞれの領土としなかったのは、1967年発効の[宇宙条約]が理由であるが、ある意味で妥協の産物ともいえる条約となったが、ここまで対立が激化している現状では最善の方法でもあった。そして地球上では2048年10月1日午前3時15分。ヨーロッパ合衆国陸軍200個師団と人造人間師団200個がロシア連邦への侵攻、[ネオバルバロッサ作戦]が開始され第三次世界大戦が勃発した。その戦争は地球上のみの事だと思われていたが、2049年1月23日午前9時ヨーロッパ合衆国の地球上での不利を覆す企てにより、月での静寂は破られたのである。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋