ヨーロッパ合衆国成立
大日本帝国のトラック宇宙基地完成と恒久的月面基地建設計画は、ヨーロッパ連合を大いに焦らせる事になった。大日本帝国は軌道基地を保有し、往還宇宙船を実用化させ、軌道基地で月往復用大型宇宙船の建造を開始したのだ。ヨーロッパ連合もESAの計画により軌道基地を建設中であるが、2024年の段階では未だに完成には程遠い現状であった。独自のGPS網である『ガリレオ』は2014年に構築し、その後の2015年から軌道基地計画を始動した。だがアリアン5の量産にも行いながら軌道基地の部品を製造する、その並立作業に時間がかかっていた。大日本帝国が僅か5年で軌道基地を完成させたのに、ヨーロッパ連合は9年が経過しても8割の完成度しか無かった。しかも2014年から大日本帝国は更に大軍拡となる『第6次国防力整備計画』をも始動させていた。あまりにもペースが違っていた。大日本帝国は軍拡競争でも宇宙開発競争でも、常に先を行っていた。ヨーロッパ連合の首脳陣は頭を抱えた。28ヶ国もの国家連合が、大日本帝国ただ1ヶ国に軍拡競争と宇宙開発競争で敗北しているのである。しかも亜細亜条約機構という括りで見ると、その差は絶望的に開いていた。経済規模で見ても大日本帝国はアメリカ合衆国の崩壊により世界一のGDPとなり、それはヨーロッパ連合という国家連合になっても対抗出来ていなかった。更にロシア連邦や中華連邦・インド等のGDPも拡大を続けており、亜細亜条約機構全体でみればGDPは世界の半分を占めていた。ヨーロッパ連合で世界の3割で、残る2割は中東・アフリカ・南米の各諸国となっていた。
ヨーロッパ連合は危機感を強めていた。『このままではジリ貧に陥り、ヨーロッパが黄色人種に負けてしまう。』欧州理事会では平然と、このような人種差別発言が相次いだ。そして1年以上に及ぶ欧州理事会での議論は1つの結論に至った。それは『ヨーロッパが1つの国家に統合する』であった。驚くべき結論であった。だがそれは1年以上に及ぶ欧州理事会での議論と、ヨーロッパ連合各国議会での議論で承認された。そして2025年10月3日のヨーロッパ連合総会で『ヨーロッパ合衆国成立宣言』が満場一致で採択され、人類史上最大の国家が成立したのである。しかもヨーロッパ合衆国にはヨーロッパ連合に加盟していなかった、ノルウェー・スイス・ボスニアヘルツェゴビナ・セルビア・モンテネグロ・コソボ・アルバニア・北マケドニア・モナコ・アイスランド・リヒテンシュタイン・アンドラ・サンマリノもヨーロッパ合衆国に統合する事になった。これは凄まじい事態であった。バチカン以外がヨーロッパ合衆国という国に統合されたのである。
それまで存在していた国は州となり、イギリス州やフランス州等と呼ばれる事になった。『合衆国』になったのには妥協の産物であった。ヨーロッパには王国と共和国が存在していた。その状況で統合した後の王国にいる王族の扱いに、イギリスを中心とした王国側が懸念を表明していた。他の共和国側は『ヨーロッパ王国』にして王国側の王族が1年毎に国家元首になっても良いと表明した。だがその表明にフランスが断固として反対した。フランスはフランス革命をしてまで共和制に移行した経緯があり、国家元首が国王になる事に極端に反対したのである。その断固とした反対に、各国は頭を抱えた。一時はフランスの反対により国家統合計画は頓挫しかけた。だが欧州理事会での粘り強い議論により『王国』では無く『合衆国』にする事で合意した。『共和国』にならなかったのは当然ながら王国側の感情的理由からである。そして統合後の国名が『ヨーロッパ合衆国』に決定した後は、各国の王族の扱いについて議論された。そこでフランスが、政治的に一切王族が関与しないなら1年交代の各国王族の国家元首就任を認める、と提案した。この提案は王国側にとっては多少なりとも不満があったが、王族が存続出来る為に賛成するしかなかった。そして正式に欧州理事会で各国王族は1年毎に順番にヨーロッパ合衆国の国家元首になる事が決定された。だがフランスの提案により国家元首は『完全なる象徴』として定義される事になった。一切の政治的関与は認められず、ただ存在するだけになった。そしてヨーロッパ合衆国初代国家元首にはヨーロッパ王室で最長の歴史を有するデンマーク国王が欧州理事会で決定された。その後はヨーロッパ王室の歴史が古い順に交代する事になり、2代目国家元首はイギリス国王となっていた。そして更にイギリスはヨーロッパ合衆国への統合を前に、『イギリス連邦王国』と『イギリス連邦』の解散を発表した。
紆余曲折はあったがヨーロッパ合衆国は成立し、国際連合本部と世界各国に通達された。世界各国はヨーロッパ合衆国を承認し国交を樹立したが、各国外務省は対応に追われた。41ヶ国がヨーロッパ合衆国の1ヶ国だけになり、大使館が大幅に減ることになるからであった。国際連合本部も同じで加盟国が一気に40ヶ国も減少し、安全保障理事会常任理事国もイギリスとフランスが消滅した。ヨーロッパ合衆国はそのまま常任理事国の座を要求し、国際連合も他の常任理事国である大日本帝国とロシア連邦が承認した為にヨーロッパ合衆国は安全保障理事会常任理事国となった。だがこれにより安全保障理事会常任理事国は大日本帝国とロシア連邦とヨーロッパ合衆国の3ヶ国だけになってしまった。新世紀日米戦争でアメリカ合衆国が安全保障理事会常任理事国を除名されてから4ヶ国だったが、今や3ヶ国になってしまった。国際連合、そして安全保障理事会の改革も求められる事になった。
そして新世紀日米戦争後から有名無実化していた『NATO』はヨーロッパ合衆国の成立により、正式に解散が表明されたのである。