新たなる動き
2049年1月11日。大日本帝国では鏡開きの日に、叶総理は政府発表としてヨーロッパ合衆国による通商破壊戦を封じ込めたと、正式に発表したのである。昨年のクリスマスに行われた大規模な対潜戦によりヨーロッパ合衆国海軍の攻撃型原子力潜水艦を10隻撃沈する成果を上げてから、確実に哨戒活動に於いて攻撃型原子力潜水艦を捕捉する事が無くなった。
連合艦隊司令部としては当初は態勢を立て直す為の再編を行っているとして、哨戒活動を縮小する事は無く連合艦隊機動打撃群と鎮守府配備の海防艦・哨戒艦、そして海上保安庁を動員しての大規模な活動は続けられていた。だが年が明けてもヨーロッパ合衆国海軍の攻撃型原子力潜水艦は探知されず、平穏な状態が続いた。
しかしその油断こそがヨーロッパ合衆国の狙いだとして連合艦隊機動打撃群はその15個全てが、洋上で新年を迎える事になった。鎮守府配備の海防艦と哨戒艦、そして海上保安庁は原子力艦では無い為に母港に帰り新年を迎える事が出来る船もいた。そこまで徹底した哨戒活動が行われていたが、国防大臣は流石におかしいとして閣議で叶総理に報告を行った。
叶総理も商船への被害が出ていない事には喜ばしい状況だが、今のまま連合艦隊機動打撃群が哨戒活動に拘束され続けるのは好ましく無いとして、ヨーロッパ合衆国の真意を探る事にした。その為に空軍の偵察衛星が総動員され、I3(帝国情報捜査庁)に対してもヨーロッパ合衆国にいる諜報員に対して調査するように命令した。その結果として空軍の偵察衛星はヨーロッパ合衆国各地の港にて攻撃型原子力潜水艦らしきものが停泊しているのを捉えた。
偵察衛星の高性能カメラでは本来なら楽々と捕捉出来る筈だが、大日本帝国とヨーロッパ合衆国は共に飛行船を利用して軍事施設付近では撮影を困難にさせる為に妨害工作を行っていた。その成果により不明瞭になったがシルエットから、攻撃型原子力潜水艦だとされた。そしてヨーロッパ合衆国に潜入していた諜報員が入手した情報により、シャーロット大統領直々の命令により通商破壊戦が中止された事と海軍を沿岸防衛のみに使う事が判明したのである。
この報告を受けて叶総理は対策会議に於いて総合的判断を下し、政府発表としてヨーロッパ合衆国による通商破壊戦を封じ込めたと発表する事を決定した。またこの時に叶総理は時代も技術も進んだのに、結局決め手になったのが現地に潜入している諜報員からの報告である事に驚いていた。それをI3長官に尋ねると、科学技術が発展したからこそHUMINTが重要になってくると語った。しかもその方法は古典的なハニートラップによるものだとも語ったのである。
これには叶総理だけで無く他の閣僚も一様に驚いた。未だにその手法が通用しているのだという事に全員が驚き呆気にとられた。しかしそこまでして入手したからこそ、価値ある情報だったのである。この結果叶総理の発表により通商破壊戦に対する哨戒活動は通常体制に戻った。鎮守府配備の海防艦と哨戒艦が哨戒活動を行い、各商船も船団護衛を中止し単独航海による輸送を再開した。海上保安庁も通常の警戒体制に戻り海軍の指揮下から離れて、再び領海警備任務に復帰した。
全ては元通りになり太平洋を含めた海域は再び聖域として取り戻したのである。この結果大日本帝国海軍連合艦隊機動打撃群は全てが母港への帰還を開始した。急遽哨戒活動に投入するのが決定されてからインドを出発し、それ以後は常に洋上を航行していた。全艦が原子力艦であるからの荒業であった。
しかし漸く任務を終えたとなれば軍艦である以上は整備を行う必要があった。連合艦隊機動打撃群は昨年の10月に出撃して以来3ヶ月振りの母港への帰還であった。インドの海軍基地は大日本帝国の支援によりある程度の補修整備能力を有してはいたが、やはり本国での作業が一番適していたのである。
ヨーロッパ合衆国が海軍を沿岸防衛のみに使う事が判明した為に地球上の制海権は自動的に大日本帝国海軍連合艦隊の物になった。ヨーロッパ合衆国海軍との最終決戦はヨーロッパ合衆国近海まで進出しないといけない為に先の事になった。それまでは補修整備を行い、上陸作戦の支援が主な任務になる筈であった。通商破壊戦が終結した事で海軍の出番は暫くは無くなったが、陸軍と空軍はロシア戦線とイラン戦線で更なる活躍を求められる事になった。
そして第三次世界大戦の束の間の平穏、膠着状態の打開は意外にも冬のさなかであるロシア戦線に於いて始まったのである。それは些細な出来事から始まり、睨み合う両陣営に激しい戦闘を行わす事になった。