第3次宇宙開発計画
トラック宇宙基地の完成は大日本帝国の宇宙開発を加速させる起爆剤となった。ロケット打ち上げ場だけで20ヶ所あり、更に往還宇宙船『伊邪那美』の射出装置である大型電磁カタパルトが4基も設置されていた。ロケットは新型のH-3ロケットが開発され、トラック宇宙基地から打ち上げられる事になった。H-3ロケットは初期加速に大量(4~6基)の大型個体燃料ロケットを使用した新型ロケットで、『2.5段型ロケット』となり全長70メートルを誇った。クラスター型と呼ばれる6基のメインエンジンを並べた方式のメインロケットが生み出す推力と得意の個体燃料ロケットのパワーにより低高度軌道へ68トン、高軌道には31トンの投入能力を持ったもので、前型のH-2Aロケットより10メートル大型化し能力が大幅に向上していた。大日本帝国本土の濃尾平野地域に大きなラインの組まれた『H系列』ロケット生産工場群も拡張が行われ、H-3ロケットの大量産が行われた。大型化した割には部品の流用や生産の合理化により生産費は3割の上昇に抑えられた。打ち上げ費用も4割の上昇に抑えられ、費用面での負担増大は最低限に抑えられた。寧ろ能力向上による恩恵の方が大きく、費用面は気にされなかった。
そんな中で特に全世界の注目を集めたのは、往還宇宙船『伊邪那美』であった。伊邪那美はアメリカ合衆国の『スペースシャトル』と同じ様な宇宙空間と地球を行き来する宇宙船であった。だが最大の違いはスペースシャトルが打ち上げられる各部分の全てが再利用できたわけではなく、外部燃料タンクなどは基本的には使い捨てであるのに対して伊邪那美は、完全なる再利用可能な宇宙船であった。
伊邪那美の外見はキノコを横倒しにしたような外観をししながらスペースシャトルのような航空機型をしていた。キノコのクキの部分にあたる胴体の下部中心に燃料である液体水素とその燃焼のために必要な液体酸素を搭載し、キノコのカサの縁の周りにグルッとエンジンを並べ、そしてクキの部分上部の巨大な搭載区画に数百トンもの物資を搭載可能となっている。伊邪那美はロケットと違い直立していない為に、大型電磁カタパルトによって加速されて射出される。その後搭載するパルスジェットエンジンを点火して更に加速し、脱出速度(第2宇宙速度)以上のマッハ35に到達する事で水平状態のまま宇宙空間に至り、そしてそのままの姿で帰還するのである。帰還に際してはキノコのカサの全面を覆い尽くした耐熱タイルをさらしつつ大気圏を突破した後は、高度1万メートルあたりから残存した燃料を噴射しつつゆっくりと地上に降下して着陸、高価なエンジンを含めた機体の全てが再利用できる経済性を追い求めた大日本帝国の宇宙開発が到達した究極の存在だった。その使用されている技術も、規模はともかく堅実なものだった。クラスターロケットに代表されるロケットの多数同時燃焼はもはや大日本帝国のお家芸だし、形状は単なるずんぐりしたロケットに過ぎず、事故に繋がりやすいとされる耐熱タイルも可能な限り単純に張り事故の元となりやすい剥落の可能性を最も低くした形状が選択されていた。
伊邪那美の最大の特徴は、運用効率の高さ、つまり同じロケットの次の打ち上げまでの時間の短さにあり、最短1カ月で次の打ち上げが行えるという効率の良さだった。
伊邪那美は、強力で安定性の高いパルスジェットエンジンロケット10基と、ロケットの周りを取り巻く初期加速用の6基の固体燃料ロケットを使用しており、安定性も信頼性も格段に高く、既存の技術からの発展であるだけに安全面においても優れていた。そしてこの大推力が全長110メートル、離床時の重量が補助ブースターとペイロード抜きで8500トン以上という巨体を宇宙空間へと持ち上げ、荷物を解放して再びトラック宇宙基地に帰ってくる事になる。打ち上げ能力は300~350トンもあり単なる数字の上で、ようやくかつての米ソの月ロケットより大きな数字を達成した事になる。そしてそれまでの量産型中型ロケットよりも桁が一つ大きくなっているだけでなく、トン辺りの打ち上げコストの低さは世界で最も低く、宇宙開発競争で大日本帝国は圧倒的な優位にたった。
更にトラック宇宙基地建設中から太陽発電衛星が実験型・試作型・実用試験型と次々に送り込まれ、トラック宇宙基地が完成する前には試験的な実用送電を行えるまでになっていた。そしてトラック宇宙基地運用開始前には実用化された太陽発電衛星が打ち上げられ、必要とされる電力エネルギーの80パーセントをこの宇宙からの送電により賄える事になった。他にも偵察衛星や通信衛星等様々なものが大量に打ち上げられ、一気に10基もの衛星を打ち上げて見せると言うようなパフォーマンス紛いの打ち上げも何度も行われるようになった。これを以って宇宙事業は大日本帝国の独断場と言われる程になっていた。そしてそれは2024年9月4日に策定された『第3次宇宙開発計画』により、『恒久的月面基地』の建設が示された。それにより軌道基地『きぼう』の宇宙ドックに伊邪那美は建造資材の輸送を開始。H-3ロケットも同じく輸送を開始し月往復用の大型宇宙船の建造が開始され、月往復用の大型宇宙船は『月読命』と命名された。