囮作戦
2048年12月25日。クリスマスのこの日に大日本帝国海軍連合艦隊主導の対潜戦が開始された。連合艦隊のみならず空軍の5式対潜哨戒機と海上保安庁も参加する大規模な対潜戦であり、大東亜戦争敗戦以後復活した大日本帝国海軍の対潜戦能力の集大成ともいえる一大作戦であった。
『ヨーロッパ合衆国海軍の通商破壊戦は大日本帝国のシーレーンのみならず、亜細亜条約機構加盟国のシーレーンにも多大なる脅威を与えていた。これは経済活動に深刻な影響を与え戦時経済を狂わせる事になりそうであったが、それは海軍と空軍そして海上保安庁の活躍により何とか最小限に抑えられていた。ヨーロッパ合衆国海軍も通商破壊戦開始当初は、大日本帝国と亜細亜条約機構のある種油断を突いた事になり、10隻以上の商船を撃沈する成果を上げた。
だが大日本帝国の断固たる決意による対潜戦への尽力は、ヨーロッパ合衆国海軍の通商破壊戦を封じ込める結果となった。海上は海軍連合艦隊機動打撃群が遊弋し、各鎮守府配備の海防艦と哨戒艦が船団護衛を行った。水中は海軍連合艦隊の攻撃型原子力潜水艦が高速航行を行い、空軍の対潜哨戒機は凄まじい広さの海域を哨戒していた。更には海上保安庁まで哨戒活動に参加しており、ヨーロッパ合衆国海軍の攻撃型原子力潜水艦は隠れるのが精一杯であった。
しかしそれはヨーロッパ合衆国海軍の攻撃型原子力潜水艦による攻撃を防ぐという結果だけになり、太平洋等の海域から殲滅出来た訳では無かった。その為に相変わらず船団護衛は続けられ、輸送効率という点では劣悪であった。この点は改善する事が重要であったが、ヨーロッパ合衆国海軍も戦果が上がらない事に焦りを見せていた。
大日本帝国と亜細亜条約機構のシーレーンに対して通商破壊戦を仕掛ける事で、経済活動に影響を与え戦争遂行能力を削ぐ事が本命の任務であった。だが現状では隙をついて攻撃するのが難しく、ただただ移動を繰り返しながら隠れる事だけしか出来なかった。それはヨーロッパ合衆国本土でも話し合われ、現状打開には今よりも激しく能動的に動くしか無いとして、シャーロット大統領直々の命令により攻撃重視策が行われる事になった。
その至上命令を受けてヨーロッパ合衆国海軍の攻撃型原子力潜水艦は、今までよりも能動的に攻撃を行おうとした。だがそれは大日本帝国の誇るアクティブソナーを用いた潜水艦探知網に捕捉される確率が急激に上昇する結果となった。もちろん撃沈されては意味が無いのでヨーロッパ合衆国海軍の攻撃型原子力潜水艦は、探知されたと分かると急速潜航を行い変温層等を利用して何とか逃げ切った。
それでも中には潜水艦探知網に捕捉されずに魚雷攻撃を成功させた攻撃型原子力潜水艦もいたが、目標とする商船に命中する前に護衛の海防艦と哨戒艦による43式対潜ミサイルの迎撃で魚雷を防がれていた。それが頻繁する事から大日本帝国国防省・海軍軍令部・海軍連合艦隊司令部はヨーロッパ合衆国の焦り、序盤の攻撃成功以後全く商船を沈められていない事から、ヨーロッパ合衆国本土から戦果を求められ慌てて攻撃的になっていると判断した。
これを受けて連合艦隊司令部はある種の囮作戦を立案した。それは各商船会社の商船を総動員して、一部では単艦航行もさせるという事であった。船団護衛という集まりに煩わしさを感じた商船が秩序を守れずに単艦で行動してしまい、その商船を狙うように仕向けるという筋書きとなっていた。一歩間違えば無益に商船を失う事になる作戦であるが、こちらも狩りを能動的に行い海域の安定を確保しないといけないのも事実であったのである。
作戦は軍令部を経て国防省にも提示され国防大臣は賭けではあるが採用する価値はあると判断した。だが商船を囮にする作戦である事から各商船会社はもとより、叶総理による高度な政治的判断も求められた。その為に国防大臣は叶総理に作戦の対策会議をお願いし、叶総理は首相官邸地下の危機管理センターに於いて各商船会社もリモートで出席しての対策会議を開いた。
そこで国防大臣は囮作戦の全貌を説明したが、意外な事に各商船会社は賛成意見であった。今のままでは経済性の悪い船団での航行を余儀なくされており、早期の平常化は商船会社の総意でありその為ならある程度のリスクも考慮する、それが賛成理由であった。
最大の懸念であった各商船会社の賛成を受けて叶総理は囮作戦の決行を承認したのである。そして万が一にも商船が撃沈された場合は、その費用も政府が補償するとして各商船会社に安心材料を与えた。海軍と空軍にはプレッシャーとなるが海域の安定化は急務であるとして、万難を排して任務を遂行するように命じたのである。
そして2048年12月25日のクリスマスの日に、大日本帝国海軍と空軍そして海上保安庁による対潜戦が開始された。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋