対潜哨戒
2048年12月20日。太平洋は慌ただしくなっていた。普段は単艦で航行する船も今では、大日本帝国海軍の海防艦と哨戒艦に護衛され船団として航行していた。その様は壮観ではあったが船団として纏まる為に出港日を合わせる必要があり、各商船会社としては不必要な経費が掛かりそれは荷物を待つ顧客としても手元に届くのに日数が延びる事になった。
だが叶総理は戦時に於ける国防を担う政府の失態が招いた結果だとして素直に国民に対して謝罪を行い、撃沈されは商船の建造費とは別に更に遅延に関わる全ての費用を補償すると発表した。これを受けて各種の不安や批判は沈静化し、大日本帝国世論は通商破壊戦の終息を待つ事になった。
大日本帝国海軍と空軍は対潜戦に全力を挙げて行う事になった。大日本帝国海軍は連合艦隊機動打撃群もインドから引き揚げて対潜戦に投入し、かつて大東亜戦争でアメリカ合衆国海軍に散々にやられた通商破壊戦を防ごうと躍起になっていた。今でこそ連合艦隊は万能海軍と言われる規模と能力を有していたが、大東亜戦争時には対潜戦を軽視しておりそれが原因で大東亜戦争末期には南方の油田地帯では有り余る石油が採掘され備蓄されたが、肝心のシーレーンを遮断され輸送船が尽く撃沈された。
その為に大日本帝国は戦力を残しながら戦略資源が不足し、戦争遂行能力を喪失し原爆投下という未曾有の攻撃を受け遂には敗戦を迎えたのである。その悲劇を繰り返さない為にも海軍連合艦隊は復活してからの重点的な作戦として、対潜戦を掲げ海洋国家としてのシーレーン防衛を重要視していた。
その完成形が大日本帝国海軍の誇る日本海と太平洋に設置された潜水艦探知網であった。世界各国の潜水艦がレーザー核融合炉による大馬力を利用して電磁推進が可能で、スクリューが存在しないウォータージェットのように海水を船尾から吐き出す為に、キャビテーションノイズが発生せず無音で高速航行が可能になっており、しかもその最高速力は150ノットとなり凄まじい速さを誇る。その為に相手の音を探知するパッシブソナーでは探知が出来なくなっていた。その為にこちらから音波を発信して反響で探知するアクティブソナーを用いた潜水艦探知網を大日本帝国は設置したのである。
この潜水艦探知網に加えて各鎮守府に配備した海防艦海龍甲級と哨戒艦海龍乙級により、シーレーン防衛は万全だと思われていた。それでも不足するようなら連合艦隊の攻撃型原子力潜水艦海神級は10隻が領海警備用であり、同じ超電導電磁推進潜水艦として対潜戦を行う事になっていた。更に機動打撃群の出撃も行えばVLSからの43式対潜ミサイル攻撃や、イージス原子力空母赤城級の搭載する5式艦上対潜哨戒機による攻撃も行う事になっていたのである。
だが全ては計画通りにいかないものであった。万全の探知能力を誇る筈の潜水艦探知網も、ヨーロッパ合衆国海軍の攻撃型原子力潜水艦を探知する事が出来ずに商船への攻撃を許してしまった。海軍にとっては大きな衝撃であった。だからこそ叶総理はインドにいた連合艦隊機動打撃群を引き揚げさせ、空軍の5式対潜哨戒機も投入しての大規模な対潜戦を行う事を決断したのである。
しかしその決断は吉と出た。2048年12月14日までは商船への攻撃が相次いだが、連合艦隊機動打撃群が全速力でインド洋から太平洋に引き揚げた事により抑止力が高まり、ヨーロッパ合衆国海軍による通商破壊戦は鳴りを潜めたのである。海軍連合艦隊機動打撃群と空軍の5式対潜哨戒機は縦横無尽に駆け回り、海上保安庁も各管区毎に重点的な哨戒活動を行った。海上保安庁は世界的にも珍しくヘリ空母と呼べる全通甲板式の大型巡視船を各管区毎に保有しており、その大型巡視船は海軍と共通の41式艦上汎用ティルトジェットを搭載しており、哨戒活動に多大なる貢献をしていた。その他巡視船も海軍に準ずる装備と能力を有しており、国土交通省所管でありながら海上保安庁が準軍事組織と呼ばれる所以でもあった。
亜細亜条約機構加盟国のシーレーン防衛も海軍連合艦隊は担う事になり、東シナ海・南シナ海を筆頭に東南アジア各国やオセアニア各国の沿岸にも展開していた。この抑止力による沈静化は一定の評価を得ていたが、喜ばしい状況では無いのも事実であった。何故なら全てのリソースがシーレーン防衛に割かれた結果であり、連合艦隊機動打撃群が移動すれば通商破壊戦は過熱する事になるからである。
現状の対症療法では無く根源から完治する根本療法が求められていた。即ちヨーロッパ合衆国海軍の攻撃型原子力潜水艦の殲滅である。その為に首相官邸地下の危機管理センターでは叶総理は早期の殲滅作戦実施を命令していた。国防省そして海軍としてはそれは当然として準備を急いでおり、その準備が整い次第に作戦を実行する手筈であった。