危機のシーレーン
2048年12月5日午後10時42分に『帝国商船』所有の大型コンテナ船『旭日』が消息を絶った事に気付いたのは、帝国商船本社運航管理事業部であった。
帝国商船は2000年に創業された歴史の浅い会社であるが、大日本帝国の商船会社で売上高第2位を誇る企業であった。創業当初は売上高も低い零細企業であったが僅か2年後に新世紀日米戦争が勃発。その戦争に於いて特需景気に沸いた企業であった。アメリカ合衆国本土侵攻に於いて大量に補給物資が必要になり、大日本帝国〜アメリカ合衆国への物資輸送では大量の船舶が必要となった。その為に海軍連合艦隊の輸送艦船も大量動員されたが、民間の商船会社にも仕事が大量に舞い込んだ。
帝国商船も設立間もない会社であったが政府から直々の要請があり、補給物資の輸送を担った。保有船舶が少なかった為に諸外国から船舶を買い取り、保有船舶は凄まじい勢いで拡大した。買い取り費用は株式発行や銀行からの融資、政府からの補助金で賄った。政府からの補助金は他の商船会社にも出され、大日本帝国全体での保有船舶が爆発的に増加する要因になった。新世紀日米戦争勝利後も海運は発展した為に、帝国商船が成長する理由となったのである。
帝国商船本社は大阪府にあり運行管理事業部は地下2階にあった。そこで会社が保有する全ての船舶の運行を管理し、24時間365日GPSを用いてリアルタイムで船舶を探知していた。そんな中で突如として大型コンテナ船旭日が消息を絶ったのである。
運行管理事業部は騒然となった。当然であろう。全長400メートルを誇る大型コンテナ船が突如として、何の連絡も無く消息を絶ったのだ。慌てた社員達は即座に上層部に報告すると共に、海上保安庁にも事態を報告しネットワークのデータリンクを開始した。急報を受けた海上保安庁もあまりの事態に慌てた。気象庁に問い合わせたが天気に異変は無く、地震も海底火山の噴火も無く、津波も発生していなかった。
海上保安庁としても即座に救助活動を開始するべく南洋府の第十三管区に命令を下した。だが一部の担当者が最悪の事態を想定するべきだとして、国防省にも連絡を行おうとした。それは帝国商船としても同意見であり、大型コンテナ船旭日の消息不明の情報は国防省にも伝えられた。
連絡を受けた国防省は大型コンテナ船旭日の消息不明に戦時中という事もあり、別の意味で慌てた。このタイミングで大型コンテナ船が消息不明になるなら、ヨーロッパ合衆国による通商破壊戦を疑うのが正解であった。その為に国防省は国防大臣に報告すると共に、首相官邸にも消息不明の情報を報告したのである。
2048年12月6日午前0時30分。首相官邸地下の危機管理センターでは叶総理が対策会議を開いていた。国防大臣と海上保安庁長官も出席し、帝国商船本社運行管理事業部もネットワークのデータリンクを行い出席してもらっていた。
叶総理はまずは捜索活動の進捗について尋ねた。事故か攻撃はともかく大型コンテナ船旭日が消息不明なのは事実であり、その為に乗組員の救助活動は最優先事項であった。海上保安庁は南洋府の第十三管区に捜索活動を命じ、巡視船と航空機が出撃したと答えた。国防大臣も南洋府の南洋鎮守府に配備されている海防艦と哨戒艦に捜索活動を命令し、南洋府と大宮府の各空軍基地からも偵察機と対潜哨戒機を出撃させて捜索活動に投入したと答えた。非常に大規模な捜索活動であった。
その説明を受けて叶総理は満足そうに頷いた。だが問題は大型コンテナ船旭日が消息を絶った理由であった。叶総理は帝国商船社長に原因が分かったのか尋ねた。大阪府に本社のある帝国商船とは社長が直々にリモートで対策会議に参加していたが、社長は叶総理以下政府首脳陣がいる事に緊張していたが消息不明の理由は分からないと語った。SOSも発信されていない事からその時間も無く、一瞬で消息不明になったのでは無いかと困惑しながら語った。
叶総理は対策会議に呼んでいた気象庁長官に改めて、現場海域の状況に異変は無かったのか尋ねた。気象庁長官は天気に異変は無く、地震も海底火山の噴火も無く、津波も発生していなかったと答えたのである。そうなると消息不明の理由が分からないが、国防大臣はヨーロッパ合衆国による通商破壊戦について可能性を示した。
叶総理は想定していた意見では最悪のものであったが、それはある種覚悟していた。アラビア海海戦にて保有する海軍戦力を半分にまで擦り減らされたヨーロッパ合衆国にとっては、通商破壊戦は採るべき戦略として最適なものであった。しかも最大の脅威である連合艦隊機動打撃群はインドに位置しており、空白地帯となる太平洋で行うにはうってつけであった。