トラック宇宙基地完成
2024年7月8日。トラック宇宙基地は完成した。
『大日本帝国が作り上げたトラック宇宙基地は、人類が作り上げた史上最大規模の構造物になった。第一期、第二期工事15年間による工事により一辺12キロメートル、総面積約150平方キロメートルと言う途方もない大きさの浮体構造物をトラック環礁に作り上げた。しかもこれで完成では無く2030年までにはさらにひと回り大きくされる事が予定され、基地工事としての最終工程が終わる第四期工事が完成すればその規模は一辺20キロメートル、総面積約400平方キロメートルという途方もない大きさ(大阪市と同規模)になる予定だった。建設費は膨大なものになったがそれは大日本帝国経済にとっては単なる浪費ではなく、そこから様々な利益が産み出されるので経済と言う歯車を大きく回転させる事となった。
そして宇宙開発とそれに関わる産業こそが右肩上がりの好景気を現出させ、しかも世界情勢が大きな援護射撃をおこなった。アメリカ合衆国の崩壊による市場シェアの奪取と、ヨーロッパ連合との対立激化による新たなる競争。これにより大日本帝国最大級の大規模公共投資である宇宙開発と宇宙基地建設は更に潤沢な予算と人員を配分される事になり、好景気に伴う税収の増大は国債発行をゼロにしても数年前の何割増しと言う活況を呈し当然IAXAが受け取る国費の額も増大していた。それに加えてIAXAが行っていた軌道基地[きぼう]での努力が大きく実を結び、これに折から発生していた地球規模での衛星事業の莫大な利益がIAXAに転がり込んで彼らの資金をより潤沢にしていた。
これらによりIAXAが消費する予算は増大し続け、2020年度予算で遂に10兆円を突破した。IAXAはその潤沢な予算を使いトラック宇宙基地建設を加速させると共に軌道基地[きぼう]の拡張工事も行った。モジュール構造とした事から拡張工事は容易になり、H-2Aロケットに搭載し次々と打ち上げた。そして完成当初は総重量500トンの最大長100メートルでしか無かった軌道基地[きぼう]は、2023年6月に総重量2300トンで最大長480メートルにまで拡張された。そして[きぼう]は軌道基地たる役割を十分に発揮する為の設備を有するに至った。人類初の宇宙ドックが建設されたのである。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋
トラック宇宙基地の基本構造は石油採掘船のような箱型の構造物そのものが単に環礁内の海面に浮かび、自らが生み出す自重そのものとその箱の中に海水を引き入れ、それを慎重に制御する事で安定を図るという画期的なものだった。関連産業に対する国内での技術蓄積と、さらなる利益を求めた企業の莫大な研究投資がこれを可能としたのだ。簡単に言えば常に水面に姿を現した潜水艦のようなものとなる。その制御の為だけに最新鋭の超高速電算機が複数設置され、施設の注排水を制御する事になった。そしてもう一つの特徴としてモジュール構造と言う方式が採られていた。これは巨大という言葉すら不足するこの構造物の生産性を少しでも高めるために、大日本帝国全土の造船所で同じ構造物を量産しそれを繋ぎ合わせる方法をとる事で1日でも早く1円でも安く作ろうと言う意図があった。また大日本帝国本土からの運搬を考えると曳船の規模から、分離構造にしなければどうにもならないという問題もあり、安全性の面での区画を最初から区切っておく事により何らかの問題が発生した時の損害を最小限に止める目的もあった。1つのモジュールは一辺約100メートル水面からの高さ50メートルほどの上層の構造物の大きな洋上石油採掘船のような形をしており、大日本帝国本土で内部の艤装も多くを終えてから運ばれる方式がとられ、このため2009年の建造開始からたったの3年、最初のモジュールが運び込まれてからたったの1年半ですでに中枢部は業務を開始すると言う離れ業を見せていた。この建造には大日本帝国の手空きの造船所に仕様を共通化して発注され、世界最大級の造船ドッグのある三菱重工業株式会社長崎造船所の1000メートルドッグでは、その生産性の高さを見せつけるように一度に7つも同じモジュールを作ると言う離れ業を見せ、似たような情景を大なり小なり大日本帝国全土に現出させていた。そのような情景を現出させる事が出来たのは、世界の超大型タンカーの代替建造スケジュールが一通り終える事が出来たからである。世界の造船市場では大日本帝国が世界シェアの4割を誇る一大産業であった。
このモジュールの数でこの施設の巨大さを数字で多少なりとも分かりやすくすると、1キロメートル四方でこのモジュール100個分必要であり、15年でなんと1万5000個ものモジュールがこの施設の建造に必要という事になる。単年度単位でも年間約1000個、一日3個ものモジュールをまるでベルトコンベアーでの流れ作業のように作らねばならないのだ。大日本帝国全体が総力戦のような体制で建造をしなければならなかった。
だがこの建設による経済波及効果は、直接的なものだけで最低100兆円と言われた。好景気の追い風と生産合理化の努力により予定よりも半年早くトラック環礁の第一・第二期工事が完成した。
1辺12キロメートルに達する、人類が歴史上産み出した最大級の人工構造物の完成だった。このサイズは東京・山手線の内側全域ほどの規模になる。しかも地上50メートル以上の上に築かれた表面積の分だけで、である。これが施設全部の総床面積をあわせるとさらに数倍の規模に達し、しかも海面から約30メートルのあたりまでは太い鋼鉄の支柱が無数に存在するだけのまるで巨大なギリシャ神殿のような何もない空間であり、そこを利用して巨大な工業区画や港湾施設などを作り上げれば、「街」としての規模は優に100万都市を凌駕するものがあった。
トラック宇宙基地に目立つ構造物と言えば、広大な緑地区画以外に目に付く物はモジュール内に納まり切らなかった大規模な組立工場や各種電波・電探施設、そして無数の幾何学的なロケット打ち上げ台と目玉商品の大型電磁カタパルトであった。施設内には、単にロケット打ち上げに必要な施設だけではなく、広大な敷地内の移動のための道路網とリニア軌道の交通システムが網の目のように整備されたのは当然として、本国から遠く離れた異境の地と言う事で性風俗業など極端な娯楽施設をのぞく、人間が居住するのに必要な全てのものも同時に備えていた。これは、住環境のために整備された人工の大地、わざわざ建造物の上に土を盛って造成された巨大な緑地公園や、数十万の人口を支える生鮮食品を作り出すための大規模な水耕農場すら存在していたと言う点からもその徹底度が伺い知れる。この事から、この施設を世界最初のアーコロジーと呼ぶ建築学者もいる程だ。もちろん、役所から病院、学校、警察、消防、銀行、郵便、四軍の基地に至るまで、ありとあらゆる大日本帝国の社会システムを維持するための政府施設も存在していた。
また大日本帝国本土から加工したものを運ぶコストと時間が無駄であるとして、巨大な下部空間を利用した工業区画も第二期工事から平行して整備され、エネルギー備蓄のための石油・天然ガス備蓄施設や巨大発電所なども含めると、それだけで一つの工業都市を凌駕する規模にすらなっていた。電力に関しては施設内に内包する各種発電所の他に、本土に先駆け太陽熱発電衛星の受信施設が作られ、実働したその時には天空からの実用送電が既に開始された。この施設が完全に実働した時、トラック環礁にある日本人の数は都市として末端まで含めると何と20万人にも達していた。
大日本帝国本土からの日帰りすら可能にした超音速旅客機の果たした役割も大きかったが、衛星通信と光通信技術・電算技術のおかげで、本土との情報的・物理的時間差がほとんどなくなっていた事がこの『街』の現出を容易にしたのだ。しかもこの施設の規模は、最終的には50万人に達する予定だった。
トラック宇宙基地完成の記念式典は盛大に行われた。大泉元総理も計画を始動させた人物である為に招待され、他には亜細亜条約機構加盟国首脳陣が招待された。そしてトラック宇宙基地の完成は大日本帝国の宇宙開発計画を更に拡大させる事になった。新型の『H-3ロケット』と、大型電磁カタパルトで射出される最新鋭の往還宇宙船『伊邪那美』が大日本帝国の宇宙開発の新たなる役目を果たす事になった。大日本帝国の次なる宇宙開発計画『第3次宇宙開発計画』の目標は『恒久的月面基地』の建設であった。