迫る脅威
国防大臣が提案した対応策をシャーロット大統領は採用した。空軍に対してステルス戦略爆撃機アスガルドと大陸間弾道ミサイルを用いた、大日本帝国本土空襲作戦の立案を命令したのである。だが命令を受けた空軍は大騒ぎであった。何せ大日本帝国本土空襲であり、そこらの国に空襲を行うのでは無いのである。作戦立案は困難を極めた。何せヨーロッパ合衆国と大日本帝国の間には亜細亜条約機構が存在していたのである。
そんな中で亜細亜条約機構各国の上空を飛行すれば、大日本帝国に空襲を行うという情報は筒抜けになる。大陸間弾道ミサイルは良いにしても、ステルス戦略爆撃機の飛行経路は十分に考える必要があった。空軍は会議を行った結果、北極圏上空を飛行しベーリング海峡を抜けて大日本帝国を目指す飛行経路を取ることにした。海軍は残存する攻撃型原子力潜水艦20隻全てを出撃させる事になり、出港準備が行われていた。
そうなると後は早かった。空軍の立案した大日本帝国本土空襲作戦は国防省の会議で採決され、シャーロット大統領に報告され許可を貰う事になった。シャーロット大統領は国防大臣からの説明を受けると、大日本帝国本土空襲作戦を正式に許可した。空軍と海軍に対して準備が完了次第に作戦を開始するように命令したのである。その命令を受けて海軍は攻撃型原子力潜水艦20隻全てを出撃させた。空軍は準備に少し時間が掛かったが、2048年12月1日。ヨーロッパ合衆国空軍による大日本帝国本土空襲作戦が開始されたのである。
大日本帝国の早期警戒衛星が再びヨーロッパ合衆国による大陸間弾道ミサイル発射を探知した。大陸間弾道ミサイルの発射は探知すると共に、大日本帝国政府首脳陣に即座に伝えられた。偶然にも弾道ミサイルの発射のタイミングで、叶総理以下閣僚達は閣議中であった為に即座に避難が行われた。その為に核シェルターも兼ねる首相官邸地下の危機管理センターに叶総理は避難したのである。
宮内省にも弾道ミサイル発射は伝えられ、天皇陛下と皇后陛下、皇族方も避難が行われた。大日本帝国軍も迎撃体制に入り、陸軍は帝都を始め主要都市部のレーザー砲と、自走レーザー砲による迎撃体制に入った。空軍も45式ステルス戦闘攻撃機閃光を緊急発進させ、迎撃体制に入った。前回の発射の時には海軍連合艦隊機動打撃群も出撃前であった為に迎撃準備に入ったが、その連合艦隊機動打撃群も今はインドで補給整備中であった。その為に今回は陸軍と空軍のみで迎撃する事になった。
首相官邸地下の危機管理センターに集まった叶総理以下の閣僚達に、情報の洪水が押し寄せた。なんと言っても大陸間弾道ミサイルの発射である。しかも今回はロシア連邦に着弾する事無く飛翔を続けていた。叶総理は着弾予想地点は何処になるか尋ねた。尋ねられた士官は暫く返答しなかったが、驚きの表情をすると答えた。推定着弾予想地点の延長線上には大日本帝国本土があるとの事であった。その情報は危機管理センターを騒然とさせた。
『ヨーロッパ合衆国による大陸間弾道ミサイル発射は大日本帝国首脳陣を騒然とさせた。前回は発射後直ぐにロシア戦線に着弾したが、今回は既にロシア戦線を通り過ぎて飛翔を続けていた。イラン戦線には方角的に狙われておらず、推定着弾予想地点が大日本帝国であると判断されたのである。もちろんその間に亜細亜条約機構各国が存在したが、戦術的戦略的にヨーロッパ合衆国にとって意味の無い攻撃になる。その為に大日本帝国は最悪の事態を想定して迎撃準備を整えた。何せヨーロッパ合衆国から大日本帝国まで15分しか無かったのである。
ここからは戦後開示された記録と関係者へのインタビューを基に、記していきたい。私は大陸間弾道ミサイル発射当時はインドにいた為に、大日本帝国本土の騒動を全く知らなかった。だが記録を閲覧し関係者にインタビューすると、如何に政府と軍が奮戦していたかが分かった。もちろん国民も軍の慌ただしい動きに何かあるとは感じていたが、混乱を招いて二次災害を発生する訳にはいかないとの判断からなのか至って冷静であったようである。
政府もその二次災害を懸念していたのである。というよりそもそも到達まで15分しか無い為に、避難等出来る筈も無かった。その為に迎撃を完璧に行う事に軍は全力をあげていた。陸軍は帝都を筆頭に国内主要都市にレーザー砲を設置していたのである。固定砲台であるレーザー砲は24時間365日体制で警戒を行っており、不慮の事態には万難を排して迎撃を行う事になっていた。そして戦時という事もあり陸軍は自走レーザー砲も展開させ、迎撃に備えていた。
空軍も45式ステルス戦闘攻撃機閃光を出撃させて迎撃体制を整えた。2式改早期警戒管制機も離陸して大陸間弾道ミサイルの探知に備えた。最大の懸念は海軍連合艦隊機動打撃群がいない事であるが、それは致し方無い事態であった。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋