状況説明
選抜徴兵制のまさかの広がりは、大日本帝国にとっても予想外であった。だが亜細亜条約機構各国にとっても、陸軍戦力が少ないのは問題だった。それを解決する為に前例というか、流れに任せる判断を亜細亜条約機構各国はした形になったのである。それはロシア連邦が顕著であった。ロシア連邦は第三次世界大戦を『第三次大祖国戦争』と呼称し、徴兵制の復活を行うと高らかに宣言したのである。それはまさにヨーロッパ合衆国から全面侵略を受けている現状では致し方無い事態ではあった。
ロシア戦線は、冬将軍のお陰で何とか小康状態を保っている状態であった。猛烈な吹雪の影響により空軍も活動出来ず、亜細亜条約機構軍・ヨーロッパ合衆国軍共に防衛線での睨み合いを余儀なくされていたのである。ロシア連邦は大日本帝国で徴兵制復活の法案が提出されると、亜細亜条約機構各国の中で最も早く自国での実現を行う事にした。それはやはりロシア戦線が膠着状態である冬の間に、何としても体制を立て直す為でもあった。
現状でもロシア戦線は中華連邦陸軍・インド陸軍の各200個師団、大日本帝国陸軍の180個師団、アメリカ西岸連邦陸軍の100個師団、そしてロシア連邦陸軍100個師団、780個師団という空前絶後の大規模な陸軍が展開しており、ヨーロッパ合衆国陸軍は人造人間師団も含めた680個師団と対峙している、人類の歴史上最大規模の戦線となっていた。780個師団1560万人と250個師団500万人と430個師団860万体がロシア戦線に展開しているのである。まさに人類史上最大規模の戦線の出現だった。戦線への増援派遣にロシア連邦陸軍も予備役を使い果たしていた。
その為に徴兵制の復活はロシア連邦陸軍にとっては最適な選択であった。だが徴兵制復活を行う事が可能な国は、亜細亜条約機構の中で限られていた。可能な国は大日本帝国・ロシア連邦・中華連邦・インド・アメリカ西岸連邦・大韓民国・インドネシア・ミャンマー・ベトナム・アフガニスタン・パキスタン・オーストラリアであった。それは直接的な国力が影響していた。
上記以外の国は経済規模も小さく、そもそもとして人口が少なかった。特にクック諸島は人口約15000人であり、国としてもニュージーランドと自由連合形態をとり、ニュージーランド王国の構成国の一つである。かつては主権国家と同等の内政を行い独自の外交を行っているが、国防および外交の最終責任をニュージーランドが有し、国民も同国の国籍を保持しており、国家の三要素の内『主権』と『国民』を完全には満たさないため、国家承認していない国が多かった。
だが亜細亜条約機構に加盟した後にニュージーランドから国防及び外交の権限を返還してもらい、常備軍を保有するに至った。だがそれでも陸軍で100人、海軍で200人を編成するのが精一杯であった。海軍は国土的に海洋を守る必要から大日本帝国から哨戒艇を譲渡してもらい、海洋警備を行っている。陸軍は首都のある本島に展開し、国土である他の島へはパトロールを行っていた。その程度の規模である為に、イラン戦線には30人の派遣が精一杯であったのである。
その為にクック諸島のような小さな国は徴兵制等行える筈も無く、現状の兵力維持が限界であった。だが大日本帝国もそれは十二分に承知しており、徴兵制を復活する事が可能な国に期待していたのである。しかし大日本帝国や亜細亜条約機構でにわかに高まった徴兵制の復活は、ヨーロッパ合衆国を刺激する結果となった。
ヨーロッパ合衆国ドイツ州ミュンヘンの大統領官邸では、シャーロット大統領が国防大臣に対応策を尋ねていた。ロシア戦線は冬という自然の猛威を前に膠着状態に陥り、イラン戦線も兵力が拮抗した為に互いに防衛線を構築して睨み合いになってしまった。しかも大日本帝国の発表により各国は徴兵制復活に向けて動き出したのである。それへの対応はヨーロッパ合衆国としても行っていたが、遂にロシア戦線とイラン戦線の両方に展開する弊害が表れた。
それは人造人間の生産が追い付かなくなって来たのである。ヨーロッパ合衆国の第三次世界大戦に於ける侵攻を何よりも支えているのが、人造人間生産であった。これによりヨーロッパ合衆国は亜細亜条約機構に劣る人的資源に於いて、優位に立つことが出来たのである。
だが第三次世界大戦の戦いは想像以上に激しいものであった。トルコ・中東・アフリカ侵攻までは正直、ヨーロッパ合衆国にとっては容易であり被害は少なかった。しかし大日本帝国を筆頭に亜細亜条約機構との全面戦争となった第三次世界大戦では、開戦前の想定を遥かに上回る被害を被ったのである。お互いに被害は大きく、亜細亜条約機構は人的資源という優位を活かして徴兵制を復活させようとしていた。ヨーロッパ合衆国も当然ながら人造人間の大量生産を行っていたが、遂に生産が追い付かなくなってしまった。
その為にシャーロット大統領は国防大臣を呼び出し、対応策を尋ねていたのである。そして国防大臣はその対応策についての説明を始めた。