更なる侵攻
ロシア戦線で反撃を受けたヨーロッパ合衆国軍であったが、その戦力は未だに衰える事無く寧ろ増大していた。
そして2048年10月25日。ヨーロッパ合衆国軍は亜細亜条約機構のロシア連邦以外の国境線である、イランに対して侵攻を開始したのであった。
『[ヨーロッパ合衆国、イランに侵攻。]この衝撃的な報せはロシア戦線にいる大日本帝国陸軍ロシア派遣部隊にも届いた。この時私は総司令官の好意により、部隊の作戦会議に列席させてもらっていた。
なのでその報せが届いた瞬間にも立ち会っていたのである。第2次反攻作戦が成功し、反撃の兆しが漸く見えた矢先にこのような事が発生してしまったのである。出席する将軍や士官達はざわめいていた。
だがそんな中でやはり大日本帝国陸軍総軍総司令官を務めるだけはあり、総司令官は一喝して座を鎮めると詳細な報告を求めたのである。即座に偵察衛星の映像がホログラムで映し出されたが、それは想像以上の規模でのヨーロッパ合衆国軍による侵攻であった。
もちろんヨーロッパ合衆国との国境線を接するイランには、大規模な陸軍が配備されていた。しかもそれは大日本帝国・ロシア連邦・中華連邦・インド・アメリカ西岸連邦以外の、亜細亜条約機構加盟国陸軍が集中して配備されていたのである。
具体的な国々は、大韓民国・パプアニューギニア・東ティモール・バングラデシュ・スリランカ・モンゴル・パラオ・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタン・ブルネイ・カンボジア・インドネシア・ラオス・マレーシア・ミャンマー・フィリピン・シンガポール・タイ・ベトナム・イラン・アフガニスタン・パキスタン・ブータン・ネパール・モルディブ・トルクメニスタン・オーストラリア・ニュージーランド・パプアニューギニア・バヌアツ・ツバル・ソロモン諸島・フィジー・キリバス・トンガ・サモア・ニウエ・クック諸島・キリバスとなる。
軍の規模が圧倒的に小さい国々もあったが、亜細亜条約機構加盟国としての責務、そして気概を見せ全ての国々がイランに軍を派遣していた。それはかつて大泉麗子元総理が亜細亜条約機構総会に於いて、「国の大小に関わらず例え兵士1人でも派遣するのは、亜細亜条約機構加盟国としての責務の現れです。規模や数では無く、出したか出さなかったか、これが肝心な事なのです。」と小国に向けた演説を行い、規模に恥ずかしく感じる事は無いと保障したのである。
人口が100万人以下や10万人以下、1万人前後の国々もある為に大泉麗子元総理の演説は、真っ当な内容であった。だがその演説のお陰もあり、全ての亜細亜条約機構加盟国が軍を派遣する事になったのである。
しかし今回のヨーロッパ合衆国による侵攻は恐るべき規模によるものになっていた。ホログラムにより偵察衛星の映像を見ていた総司令官は深刻な表情を浮かべていた。そして私を手招きすると私に語り掛けたのである。「広瀬さん、この戦争は厳しくなります。ヨーロッパ合衆国のイラン侵攻は、甚大な被害を与えるでしょう。ですが是非とも包み隠さず、全てを記録して下さい。あぁ、大丈夫です。別に負けるとは思っていません。時間は掛かろうとも勝ちます。
ですが被害は甚大なものになるでしょう。それは地球統一政府設立という幻想みたいな目標達成には必要なものなんでしょう。まぁ軍人の私が政治についてとやかく言うつもりはありません。そこは叶総理に任せるしかありません。
その経緯の全ての記録をお願いします。長くなりそうですが、頼みます。」そう語ったのである。そして総司令官の言う通り、ヨーロッパ合衆国によるイラン侵攻は甚大な被害を与えていた。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋
ヨーロッパ合衆国によるイラン侵攻は、凄まじい被害を亜細亜条約機構軍に与えた。イランに展開する亜細亜条約機構軍で大規模な軍を投入出来たのは、現地にいるイラン陸軍を筆頭に大韓民国陸軍・ベトナム陸軍・タイ陸軍・アフガニスタン陸軍・パキスタン陸軍・オーストラリア陸軍・カザフスタン陸軍・ウズベキスタン陸軍・バングラデシュ陸軍・マレーシア陸軍・ミャンマー陸軍・トルクメニスタン陸軍・スリランカ陸軍・カンボジア陸軍・インドネシア陸軍・フィリピン陸軍であった。
それ以外の国々は最大でも1個旅団、少ないとクック諸島陸軍やツバル陸軍のように1個小隊が限界であった。もはやそれなら派遣するのも無意味であったが、大泉ドクトリンともいえる亜細亜条約機構の結束がある為に、小国といえども亜細亜条約第2条を頑なに守ったのである。
だが戦力差は如何ともし難いものであった。イラン陸軍は陸軍国としての矜持を見せたが、だからといって覆す事は容易では無かった。イスラム革命防衛隊という精鋭部隊もイランは保有しており、劣勢な戦力差を覆すべく通常弾頭の弾道ミサイルまで発射した。
しかしそもそもがイランに展開する亜細亜条約機構軍は師団数が180個でしか無かった。それに対してヨーロッパ合衆国陸軍は100個師団と人造人間師団280個の380個師団を誇っていたのである。その戦力差は200個師団もあり、歴然としていた。
ヨーロッパ合衆国軍は戦力差を活かし、しかも亜細亜条約機構の小国から派遣された陸軍を集中して攻撃したのである。弱い敵から叩くという戦術の基本に忠実なヨーロッパ合衆国軍の攻撃は、イラン国境線の防衛線に綻びを生む結果となった。
そしてヨーロッパ合衆国軍の侵攻開始から、僅か4時間で防衛線は突破されてしまったのである。