戦線後退
昨日で100話だったんですね……
まだまだ続きますので、宜しくお願いします
2048年10月20日。遂に大日本帝国陸軍とアメリカ西岸連邦陸軍がロシア戦線に到着した。だがその到着地点は当初の予定とは違い、ロシア連邦国内まで後退していた。
ロシア連邦ベラルーシ・ロシア連邦ウクライナは、ロシア連邦軍・中華連邦軍・インド軍が弾道ミサイル攻撃で半壊した事により放棄された。それは致し方無い後退であった。戦力が半減した事により戦線後退による、体制の立て直しと戦力再編が急務でとなっていたからだ。
その戦線後退は思い切ったものになっており、南からアストラハン・ヴォルゴグラード・ヴォロネジ・オリョール・オスタシュコフ・ヴィテグラ・オネガを結ぶラインを第2防衛線に新たに制定していた。
首都モスクワは最悪の場合には無防備都市宣言を行い、明け渡す事まで想定されていた。その為にエカテリンブルクへの非公式ながら、首都機能の移転が行われていたのである。具体的には各省庁の官僚達や副大統領以下の閣僚達が移動を行い、万が一の場合には政府機能が存続出来るようにしていた。
軍首脳陣は全員がモスクワに大統領共々に残り、何があろうとも死守する構えを見せていた。中華連邦陸軍・インド陸軍も半壊したが本国から増援を受け、規模を復活させていた。
これにより中華連邦陸軍・インド陸軍は各200個師団、大日本帝国陸軍の180個師団、アメリカ西岸連邦陸軍の100個師団、そしてロシア連邦陸軍100個師団、780個師団という空前絶後の大規模な陸軍が展開する事になった。
だがそれでもヨーロッパ合衆国陸軍は人造人間師団の投入により、680個師団にまで拡大しており差は100個師団でしか無かった。一般的に『攻者3倍の法則』があるが、攻撃側の兵力が劣勢である場合でも戦史において勝利した事例も少なくないために、この法則の正確性については疑問がもたれている。
それは実際にヨーロッパ合衆国軍の侵攻で証明されており、亜細亜条約機構軍としては第2防衛線に於いての防衛戦を行う事にしていた。既にロシアの冬は始まっており、ロシア最強の将軍が出陣する頃合いでもあった。
『ロシア戦線。第二次世界大戦以来ともいえるその戦線の名前は、21世紀に於いても再び使用される事になった。だが第二次世界大戦時よりも投入された兵力は凄まじい規模であった。
亜細亜条約機構軍だけで、780個師団1560万人にも達していたのである。これは大日本帝国陸軍の機甲師団・機械化歩兵師団の編成が1個師団2万人というものになっており、亜細亜条約機構加盟国がそれに合わせて自国の陸軍師団も1個師団2万人に編成したからである。
ヨーロッパ合衆国陸軍も対抗上1個師団2万人編成を行っており、250個師団500万人と430個師団860万体がロシア戦線に展開していた。まさに人類史上最大規模の戦線の出現だった。そしてその戦線に私は[大日本帝国陸軍ロシア派遣部隊]の同行取材を行っていたのである。
母親である広瀬由梨絵の影響で私も作家となり、その為に著作は軍関係が多かった。しかも親の七光りであるが母親のお陰で、国防省を始めとしてある程度は出入り自由の身分を与えられていた。そして第三次世界大戦が勃発し大日本帝国陸軍のロシア連邦派遣が決まると、国防省から連絡が入り母親の時と同じく同行取材をして欲しい、と言われたのだ。
それを私は断る訳も無く即答した。その結果私は母親と同じく同行取材を行う事になったのである。同行取材を行う大日本帝国陸軍は史上最大規模の派遣になった。そもそもが大日本帝国陸軍200個師団という歴史上かつての大東亜戦争時に於ける、170個師団を上回る規模になっていた。
その為に大日本帝国陸軍ロシア派遣部隊は、大日本帝国陸軍総軍総司令官が直接指揮を行う事になった。前回の新世紀日米戦争は東部方面軍司令官が担当したが、今回は規模が大きく同盟国支援という事もあり総軍総司令官直々の指揮となった。
その総司令官はロシア戦線に到達すると、早速自らの目で戦線を視察すると言い出した。驚く幕僚達であったが現場主義を貫く総司令官に、視察準備は素早く行われた。私は総司令官に頼みその視察に同行させてもらった。6式汎用ティルトジェットに乗り込み視察を行ったが、凄まじい光景が広がっていた。
ロシアの大地を埋め尽くす陸軍部隊の数であった。上空には空軍の戦闘攻撃機が舞っており、航空優勢を確保していた。だが視線を西部に移すと別の集団が犇めいており、ヨーロッパ合衆国軍の魔の手がすぐ近くまで及んでいるのが理解出来た。
その光景を見ながら総司令官は口を開いた。「ロシア連邦の作戦はかつてのナポレオンやヒトラーを撃退したのと同じく縦深防御です。敵の補給線を延ばし疲弊させて叩くつもりです。それに時期的ロシア連邦最強の冬将軍が出陣してくる季節です。ロシア連邦陸軍の司令官と会いましたが、我々の援軍と冬将軍でヨーロッパ合衆国軍を撃退出来ると豪語していましたが、そう簡単にいくとは思えません。
そもそもこの季節にヨーロッパ合衆国軍がロシア連邦に侵攻したのは、冬将軍への対策が出来ている証拠でもあります。ヨーロッパとして考えてもナポレオンとヒトラー、2度もロシア征服に失敗しているのでその対策はヨーロッパ合衆国としても万全でしょう。広瀬さん。この戦争は長くなりそうです。」
そう語った総司令官の顔は決意を固めた事を如実に表していた。そしてその総司令官の言葉通り、第三次世界大戦は長くなったのであった。』
広瀬直美著
『新世紀最終戦争』より一部抜粋