大泉総理退任
2013年9月21日。大泉麗子内閣総理大臣は党総裁任期満了により内閣総辞職して、内閣総理大臣を退任した。2001年4月26日に内閣総理大臣に就任してから、4531日(12年と148日)という桂太郎の2886日を圧倒的に上回り、大日本帝国憲政史上最長の在任期間であった。大泉総理が歴史上稀に見る超長期政権を担えたのは、やはり新世紀日米戦争の歴史的大勝利が最大の理由であった。党総裁任期は3年で再選は2期までと定められていたが、2期目の任期満了数ヶ月前に若手議員を中心に任期の規定改正を提案。それを党執行部は断る理由も無い為に臨時党大会において任期規定の改正を行った。そして総裁選挙に大泉総理しか立候補しなかった為に、無投票再選が決まり3期目に突入した。そして3期目が任期満了になろうとすると今度は党執行部が、大泉総理に特例で1期延長を要請した。それを大泉総理は受け入れて、史上初の4期目に突入したのである。4期目が任期満了になる前に党執行部と議員達は再び、大泉総理に対して特例での任期延長を要請したが今回は大泉総理自身が断った。長期間権力の座に特定の個人がいるのは国家にとってもそして当人にとってもいい事では無い、というのが任期延長を断った理由であった。それは後に大泉総理が執筆した回顧録にもこのように記されていた。
『巨大過ぎる権限を与えられた人間は、その絶対的な権限を駆使したいが為に、当初の理念を放棄する可能性がある。それは往々にして、所属する組織を絶体絶命の危機へと追い込み、自己の破滅にもつながるのである。』
大泉麗子著
『内閣総理大臣回顧録』より一部抜粋
更に大泉総理が超長期政権事を担えた理由は、大日本
帝国経済が常に成長を続けたからでもあった。北海道釧路市の復興事業による建設ラッシュ、割譲と併合による領土拡張によるインフラ整備による公共事業、第5次国防力整備計画による大軍拡による民間企業の設備投資拡大、第1次宇宙開発計画による軌道基地建設による公共事業、第2次宇宙開発計画による大規模な公共事業。これらは大日本帝国近代史上最大級とすら言われる『平成景気』と呼ばれる好景気を到来させた。この時の実質GDPの伸びが年平均10~14パーセントに達していると言えばその凄まじさが分かるだろう。この好景気の間にGDPは50%以上も上昇していたのだ。そしてこれはアメリカ合衆国が崩壊した今となっては、世界一豊かな国とされる大日本帝国での話と言う点が異常だった。また政府の宇宙開発という巨大計画は、それまででさえ直接関わる者の数だけで850万人、この宇宙港建設によりさらに数百万の参加者を産み出した。当然これを産み出すために、巨大建造物の建設に伴うための設備投資の増大が計数的に発生、後は第二次世界大戦での欧州各国のような総力戦の様相を見せつつ内需消費中心の未曾有の好景気を驀進していった。この好景気をあらわすものとして失業率の異常な低さがあり、特に専門技術者に関しては猫の手も借りたいという状態を生み出している。この為に大日本帝国国内ではにわかに工業系の専門学校の増加すら発生していた。大泉総理の任期中に大日本帝国はアメリカ合衆国を物理的に崩壊させ、その後の経済成長によりGDPは世界一となったのだ。戦争に勝ちGDPを世界一にさせた内閣総理大臣は大泉麗子だけである。そのような人物に反対出来る人間はいなかった。内閣支持率も退任する最後の時まで遂に、90パーセントを下回る事は無かった。常に高止まりした内閣支持率を維持していた。
退任した大泉前総理の為に、記念式典が開かれた。出席者は大日本帝国帝国議会の衆参両院議員全員と、各都道府県知事・軍首脳陣、そして亜細亜条約機構加盟国の首脳陣であった。国民も応募者から抽選で選ばれた人々が出席し、テレビ局は全局が生中継を行った。記念式典は大泉前総理の退任により新しく就任した内閣総理大臣の挨拶から始まった。新総理は大泉前総理の功績を称賛し、大日本帝国史上最良の内閣総理大臣だと言い切った。その後の登壇者も大泉前総理を称賛し、記念式典は賛辞の言葉で溢れた。特にアメリカ西岸連邦初代大統領は、私が今ここに立っているのは大泉前総理のおかげです、と感謝の言葉を述べた。初代大統領は2003年1月20日に就任して以来、2期8年というアメリカ西岸連邦憲法に定められた任期を全うしたが、特例により1期延長を議会に要請され3期目に突入していた。その初代大統領は大泉前総理を称賛し、亜細亜条約機構を発展させ環太平洋地域に平和と安定を齎した功労者だと、断言したのである。最後は大泉前総理の挨拶が行われた。
『皆様、本日はこのような記念式典を開催して頂きありがとうございます。私の為に国民の皆様、帝国議会議員の皆様、都道府県知事の皆様、大日本帝国四軍の皆様、亜細亜条約機構加盟国首脳の皆様、重ね重ね感謝申し上げます。私は4531日の在任期間に於いて優先したのは、大日本帝国の発展の為と亜細亜条約機構の安定でした。大日本帝国の発展は凄まじいものになり、GDPは世界一になりました。内需主導型経済である大日本帝国は、公共事業投資と法人税増税による企業の設備投資や給料引き上げにより、圧倒的な成長を遂げました。それにより法人税は引き上げられたにも関わらず、大日本帝国に進出してくる企業は絶えず、逆に海外移転する企業もいませんでした。内需主導型経済により従業員の給料を引き上げ設備投資をすれば、それだけ業績は伸び企業利益価値は上がります。良性な経済の好循環が生まれています。IT関連企業による新たなる産業も創設され、経済の好循環は続いています。更には第2次宇宙開発計画によるトラック宇宙基地建設により、重工業企業の業績・雇用も伸び続けています。
亜細亜条約機構の安定も優先されました。加盟国に対して経済支援・技術支援を行い、運命共同体として国家の発展と地域の安定に寄与する事になりました。今や環太平洋地域を覆い尽くす一大組織となった亜細亜条約機構は、今後もヨーロッパ連合よりも影響力を発揮する事でしょう。私は大日本帝国内閣総理大臣になる事が出来て、本当に幸せでした。皆様、ありがとうございました。』
大泉前総理の挨拶に会場は拍手に包まれた。