決別しきれない心
式が始まるまでファナは貴族の謁見を受けていた。
「お美しい、さすが先代の皇后様の姫様ですね」
「そんなことございませんわ」
「その簪もとても豪華で流石、皇帝陛下が自らお選びのことはございますね」
「えぇ、私にはもったいないくらいです」
「とんでもございません、皇女様のためにお作りになられたのですから」
ファナは心の中で先ほど謁見にきた貴族を心の中で笑った。何もこんな両国の者がいる謁見の場で今はまだ自国であるリチュワード国の教養をひけら
かすべきではない。まぁ、その間違った本人は間違ったことにも気付いていないだろうが。普通、降嫁の簪は龍が刻むことがきめられている。しかも
朱色でこれはどんなデザインにしろどこかに付いているものだ。しかし自分の付けている簪は朱色が主体ではあるが龍ではない。遠くからみていたら
気付かないだろうが、さきほどのようにじっと見て気付かないほうが珍しいというものだ。しかし、この簪も前皇后の形見という意味ではとても大切
なものだが。さっきの貴族も前の貴族も気付いていなかった。自分の国にろくに使える貴族はいないのかと飽きれたものだ。なぜかというと皇族降嫁
の簪を付けていないのは別れという意味も勿論あったが、それだけのためにそんな愚かなことはしない。試すためだ。あちらの国行くときファナは誓
った。あちらの国でなんとしてでも生き抜いて、あちらでリチュワード国の皇女が生きた証を残す。礎を残すと。でもそれには少なからず、あちらで
も少し融通が利きそしてこちらでも多少権力があり、絶対に裏切らない賢い後ろ立てがいる。まぁファナにも協力してくれている後見人がいないわけ
でもないのだが。
「ねぇ、ラン式はまだ始まらないの?いったいいつまで貴族様のお相手をしなきゃならないの」
少し嫌味っぽく頬杖をついて後ろに控えているランに話しかけた。
「はぁ、まだ当分は謁見が続くかと・・・」
自分で行くと決めて臨んだはずだったのにこうも長いと行きたくないと思う気持ちが膨らんでくる。そんな気持ちを振り払うようにぐっと振り返って姿
勢を正そうとした所でファナの動作は止まった。
「オルマンお兄様・・・。それにフレアも」
「久しぶりだね、ファナ」
「お姉様、ご機嫌いかがですか」
数秒、動作が止まった後ファナは再び動き始めた。皇族への挨拶はこの後だったからそのときでいいと思っていたのだが。いまここでこのリチュワー
ド国の皇太子で実の兄であるオルマンと義母姉妹であるフレアが挨拶にくるとは思わなかった。
オルマンはファナを見つめふっと表情を緩めた。
「綺麗だ、こんな唐突でしかも異国でなければこんなに悲しむこともないだろうに。済まないファナ、私の力が足りないから」
「お兄様、こんな私にお情けをかけてくださるなど、もったいなきお言葉でございます」
「何を堅苦しい、実の兄妹だろう。それに私はお前の後見人なのだぞ。もう少し兄を頼ってはくれないのか」
「いえ、お兄様、わたしはお兄様にお助けをたくさん頂きました。十分でございます」
ファナは深々と頭を下げた。本当にオルマンには助けてもらった。同じ前皇后の子でも幼く力のなかったファナの後見人に皇太子になって間もない時
期に自ら名乗り出てくれたし、現皇后に毒殺されそうになったときにも自分の近衛隊の一部隊を当ててくれ、そしてその後もそのまま護衛を就かせて
くれている。そんな人にもうこれ以上なにを言うことができるというのだろう。それに横に並んでいるフレアも自分を姉として慕ってくれているし、
その母である現第2皇妃も母のいないファナに母親のように目をかけてくれた。
だから「お姉様はご自分でなんでもしすぎですわ、もう少し頼ってくださってもいいのでは?」というフレアの疑問がよく分からない。貰ってばかりな
のにこれ以上どうやって頼ればいいのだろうか?
「なにかあればすぐに文をだすように、いいねファナ」
「はい、そのようにさせていただきます」
「お姉様、私にもですよ」
「分かっているわ、必ず季節の変わり目と何かあったら連絡するわ」
自分を忘れられていたことに気付いたのかずいと身を乗り出して頬を膨らませながら言うフレアにふっと頬が緩んだ。
「あの姫様、そろそろお時間が」
先ほどまでファナの隣で息を潜めるように控えていたランが遠慮がちに声をかけた。
「あぁ、そうだね。忙しいのにすまないね、私たちの挨拶のときにすればよかったね」
「いいえ、そんな事ありません。嬉しかったです、来て頂いて」
「では失礼するね」
名残おしそうに足をあげ動き出したオルマンは背を向けてフレアと一緒にファナの席から離れて皇族の席に戻っていった。
出発の儀はなんの問題もなく形式通り行い終わった。
こんなものかと少し拍子抜けしたぐらいだ。ファナが最も嫌いとする厳かで盛大なパーティのようなものだと思っていたのだが。
結果だけを言えばこれでよかったと思える。それ以上は意味もないし、したくもないと自分で勝手に結論づけさせた。
最後に残っている皇族への挨拶だって少し第一皇女と現皇后に嫌味を言われるくらいで自分の父親である皇帝はおそらく形式的に誰かが書いたであろ
う文脈をなんの感情もなく読むのだろう。
「あら、噂をすれば・・・だわ」
そう言って遠くから仰々しく並んで歩いてきた第一皇女とその取り巻きをにらみつけた。
「ファナ様、おめでとうございますわ。しかしあの国ではねぇ、あそこは野蛮な者が多いでしょうに。あちらの皇帝も戦争にばかりお出になってその
妃となるファナ様はご心労が耐えませんわね」
「お気遣いありがとうございますわ、皇女様。しかし私のご心配は無用ですわ、私はお国のために行くのですから。それよりご自分のことを第一にお
考え下さい。貴方様がなさることはすべてよい事も悪い事もすべて国のためとなるのですから。例えば夜会に意味もなく毎日出られることなど」
「そっそれは・・・」
「貧しく苦しんでいる民のためになさっているのですわよね。私も見習いたいものですわ。その無神経さというか、図太さ?」
「・・・っ・・。よっ用事を思い出しましたわ。しっ失礼しますわ」
「いつも夜会で見る気位の高そうな顔が歪んでいたのは実に面白いものね」
キュと口をしめてこの場を逃げるように去っていった第一皇女を思い出したようにくすくすと笑い出すファナはどこか楽しそうだ。ランは少しだけあ
のいつも嫌味を言ってくる第一皇女が哀れに思えてきた。
「さてあとは、皇帝陛下へのご挨拶だけね、これはこちらに来てくださるものではないから行きましょうか、ラン準備とあちらに知らせを」
「はい、かしこまりました」
さきほどのやりとりのことが嘘のように特別険しくなった表情に反応して周りがそそくさと動き始める。
それに合わせてファナは腰を上げた。
「第2皇女、ファナ・リチュワード・アテナ参りました。皇帝陛下お目通りをお許し下さいませ」
「入れ」
わずかな間のあと返ってきた言葉はこれだけだった。とりあえず扉の奥に行かなければ挨拶は出来ない。まぁあちらは薄絹で面を蔽いこちらからは表
情なんて見られないのだろうが・・・。とりあえずファナはその声に従った。
すっと進み出て頭を垂れる。
「面を上げよ」
その声が聞こえたのはファナも意外だった。もうずっとこのまま頭を下げたままでなんの感情の欠片も見あたらない文脈を聞くだけだと思っていた。
「皇帝陛下にはますますご壮健のことと存じて」
「そのような挨拶は構わん」
「失礼致しました」
話の途中で区切られてしまった。自分の父親が形式的だとは露ほどにも思ってないが娘が最後の挨拶をしようとしているのに、途中で区切ることはな
いだろう。それにもうこれ以上前置きはいらないと分かった以上、ファナは喋る言葉を失ってしまった。
気まずい沈黙が流れる。
「ファナ・リチュワード・アテナ」
「はい」
「なぜ、汝は吾が贈った簪をつけておらぬ?」
突然何を言うかと思って下を見つめていた顔を上げてみれば、薄絹を面から取っておりじっとこっちを見ていた。正確に言えば簪のない髪をだが。
「私にはもったいないものだと思いましたので失礼を承知の上で別のものと取り替えさせて頂いた所存です」
「それは、皇后のものだな」
「覚えて・・・おいででしたか。母、いえ今は亡き皇后陛下の形見の品でございます」
驚いた、正直に。この簪はいつも母が気に入って使っていたらしいものなのだ。らしいというのはファナが幼かったため覚えていないのだ。オルマン
が母の部屋からファナ宛てにかかれた手紙と簪を内密に持ってきてくれたものだ。それを覚えているとは、母のことなど忘れているのだと思った。
「皇后の件のことうらんでおろうな」
「いいえ、皇帝陛下のせいではございませんので」
「よい、恨めばよい。何にせよ吾が絡んでいる、吾が知らぬところでも・・な。汝のこともそうだ」
気のせいだ。一瞬、この人が切なそうな顔をした気がした。あるはずがない、そんなこと。そうだ、ありえない。大切にしてくれていたなら、自分は
いま頃こんなに嫌な思いはしていないし、放っておかれるはずがない。ましてや敵国に嫁がせるなんてまずないだろう。
「気にしておりません。それに私はこれから別の国に行くのです。皇帝陛下のお手を煩わせる心配もなくなり少し安心いたしているくらいです」
「吾が汝がいて迷惑しておったとでも汝は思っていたのか」
今までずっと感情を出さなかった皇帝が怒っているように見えた。でもそれは癇癪を起こすような感じではない。どこかもっと身近にいる人への怒り
のように思えた。
「いえ、いつも私は後宮の奥に閉じこもっていただけの者でしたから」
嘘は言ってない。自分は先代の皇后が亡くなって数年後に来た今の皇后に出来るだけ存在を示さないようにしてきた。自分が皇位を狙っているなんて
露ほどにも思ってない事を知らせるために。現に昔は頻繁にあった皇后と第一皇女からの嫌がらせも少なくなってきている。それに後宮の奥に部屋を
移るように命じたのは皇帝ではなかっただろうか?
「吾がなんのために汝を後宮の奥に移るように命じたのか分からんのか」
「分かり・・・ません」
「そうか、もう下がれ」
「はい、失礼いたします」
もうこれ以上頭を上げて話せそうになかった。分かってしまった。あの人の意図を、考えていたことを。あの人の前皇后への気持ちも。
俯いてそれだけを言うとファナは逃げるように謁見室を飛び出して行ってしまった。
もうこれが親子として分かち合える最後だと知っていたのに・・。
あれからもう一度オルマンなどから挨拶をうけファナはあちらからの迎えの馬車に乗った。
心はリミシャールを捨てきれずに・・・。
少し更新が遅くなってしまいました。